大阪労働学校 公開市民講座(参加費無料)

紀州鉱山の真実を明らかにする会、作成
紀州鉱山の真実を明らかにする会、作成

海南島における日本の国家犯罪
 ことし3月29日に日本政府は「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」・「国際平和支援法」)を施行しました。1941年12月8日に天皇は、「東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス」とのべ、「平和」をかかげて、アジア太平洋戦争を開戦していました。
 あらたな日本の侵略戦争の時代が開始されたいま、日本民衆が日本の他地域他国侵略の歴史的事実を具体的に詳細に明らかにすることがさらに重要になってきました。
 1922年6月に出発した大阪労働学校は、日本の侵略戦争体制が強化されるなかで、1937年に閉校しました。日本の労働者の多くが日本軍兵士として「平和」をかかげる侵略戦争に参戦しました。
1939年2月に、日本は海南島に侵入し1945年8月の敗戦に至るまでの間に、多くの村を襲撃して村民を無差別に虐殺し、家を焼き、コメや家畜を略奪しました。また、鉱山労働や軍用施設の建設に村人を労働に駆り立て、女性を虐待・強姦し、人々の暮らしと文化を破壊しました。
 しかし、日本政府、日本軍、日本企業は、1945年8月以後もこれまで、これらの重大な犯罪の責任を回避しつづけてきました。
紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会は1998年から海南島の各地で多くの被害者から日本政府・日本軍・日本企業の侵略犯罪の実態について証言を聞かせてもらってきました。
 大阪労働学校の第一回公開市民講座では、海南島における日本の侵略犯罪と抗日反日闘争の歴史を海南島近現代史研究会に報告してもらいます。その報告をふまえて、日本の労働者がアジア太平洋侵略戦争をなぜ阻止できなかったのか、日本の政府と社会がなぜこの重大な犯罪を敗戦後も放置しつづけてきたのか、日本の侵略に抗する海南島の民衆の闘争を日本の労働者はどのように受けとめなければならないか、についてみなさんとともに考え討論したいと思います。

第1回 9月10日(土)   海南島で日本は何をしたのか

ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年前は昨日のこと』上映、討論

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 1939年2月、日本は、アジア太平洋地域の中心部に位置する海南島の軍事占領を開始し、海南島を東南アジア・太平洋侵略基地とし、さらには全島を植民地としようとしました。日本政府と日本軍は、日本企業とともに、港湾、道路、橋梁、鉄道、軍事施設(飛行場、司令部、兵舎、要塞、望楼、砲台、トーチカ、火薬庫、給水塔、軍用倉庫、軍用洞窟)などを整備・新設し、鉱山資源、水産資源、森林資源などを略奪しました。日本軍は、抗日軍の根拠地と判断する海南島各地の民衆を無差別に殺害しました。
 ドキュメンタリーは、日本政府・日本軍が当時の植民地朝鮮から朝鮮人獄中者を海南島に連行して軍用施設の建設に酷使し1000人以上の朝鮮人を虐殺し遺棄した犯罪、日本軍が海南島の村々を襲撃し多くの村民を無差別に殺害した犯罪について、多くの証言を伝えます。

第2回 10月1日(土)  海南島月塘村における日本軍の住民虐殺

ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』上映、討論

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 沖縄戦のさなか、1945年5月2日の明け方、日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊の日本兵は月塘村を襲い、4時間の間に、多くの村人を殺傷しました。月塘村虐殺をふくむ、日本占領下の海南島における住民虐殺の事実は隠されつづけており、みどり児や幼児や妊婦をふくむ村人を殺傷した日本軍司令官の名も日本兵の名も明らかにされていません。
 1994年4月に月塘村の全村民は、「月塘村村民に国際社会に公開で謝罪すること、幸存者と犠牲者家族に賠償すること、月塘村に死者を追悼する記念館を建設し追悼式をおこなうこと、焼失した家屋や強奪した財産を弁償すること」を日本政府に要求する文書を出しました。
 虐殺63年後の2008年4月に、村人は、190人の犠牲者すべての名を刻んだ追悼碑を建立し、2014年7月に、証言集『血和泪的記録 海南万寧月塘村三月廿一日惨案専輯』をだしました。

第3回 10月8日(土) 日本国家の海南島侵略史の世界史的意味

報告者:佐藤正人(海南島近現代史研究会)

陵水黎族自治県英州鎮にある日本軍によって殺害された八千人の碑。後ろの死体が入れられた穴は、草に覆われている(二〇一五年一一月二一日)
陵水黎族自治県英州鎮にある日本軍によって殺害された八千人の碑。後ろの死体が入れられた穴は、草に覆われている(二〇一五年一一月二一日)

 日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけました。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代でした。
 その時代は、全世界的規模で、まだ、終わっていません。
 公開市民講座参加者のみなさんとともに、日本国家の海南島における侵略犯罪を世界史のなかで考えるとともに、海南島近現代史のなかの世界史について考えたいと思います。

手製の弓矢で日本軍と戦った。そのときの弓矢で構える

邢亜响さん(1923年生)、楽東黎族自治県尖峰鎮黒眉村(2006年3月31日)
邢亜响さん(1923年生)、楽東黎族自治県尖峰鎮黒眉村(2006年3月31日)
周亜華さん(1921年生)、東方市板橋鎮高園村(2006年3月30日)
周亜華さん(1921年生)、東方市板橋鎮高園村(2006年3月30日)