ネット社会と言葉の劣化

本山美彦(本学学長)

 はじめに

 フィンテック事業を手掛ける企業への投資と株価が急増している。2016年のフィンテック関連の投資額は、240億ドルと過去最高を更新する気配である。
 データ処理などテクノロジーの進歩を受け、米国を中心にフィンテック事業に挑むベンチャー企業が相次いで登場し、投資額も急拡大している。世界の投資額は2014年までは100億ドルに満たなかったが、15年には197億ドルと倍増した。16年はさらに2割増え、20年には約461億ドルまで膨らむであろう。
 この分野では、米国が先行しており、15年には世界の投資額の6割強を占めた。業態別では個人向けの決済やオンラインの融資事業、個人の資産運用を指南する「ロボット・アドバイザー」というコンピュータ・プログラムなどの分野への投資が目立っている。
 日本でも、ある大手銀行系列の資産運用会社が、2016年9月に設定したAI関連のファンドは、簡単に700億円超の資金を集めた。2016年に新設された日本の投信では最大規模のものであった。
 新規投信のテーマの多くは、「フィンテック」である。個人や機関投資家だけでなく、金融機関本体も、将来は既存の金融機関の土台を覆しかねないと言われているフィンテック関連のベンチャー企業への投資を活発化させている。仮想通貨取引所に出資した大手銀行も出てきた。
 世界の投資市場では、銀行が主役として金融市場に君臨できる日はなくなるのではないかとフィンテック社会の到来を新しい有望な投資物件として囃し立てている(「フィンテック企業への投資急増」『日本経済新聞』2016年9月8日付、朝刊)
 しかし、私は危惧している。フィンテックにしろ、ロボット・アドバイザーにしても、それらが高い投資収益をもたらすという、投資分野での期待が大きすぐるのではないかと。そのことが、過去、幾度も繰り返されてきた「バブルの発生・崩壊」のパターンを、いま、ふぃたたび産み出しつつあるのではないだろうかと。情報という「神託」から次々と生み出される奔流の連鎖、つまり、「サイバー・カスケード」による投資家たちの心理的偏りが、「グローバル金融危機」の引き金を引くのではないかと。
 2008年のリーマン・ショックから、世界の株価は2009年の底値から2015年末まで6年間上昇し続けた。しかし、2016年には世界同時に株価の上昇が一頓挫して、株価は横這いか若干の低落を見せた。それが単なる一服状態なのか、史上空前の超金融緩和にもかかわらず、物価はおろか、株価までもが、停滞し始めたことが、グローバル金融危機発言の予兆ではないだろうか。
 日本の政府機関も、そうした危惧感を持っているようで、2016年に入ってから、顧客への金融商品の説明を徹底するように金融庁が、証券会社やファンド運営者に対しての指導を強めている。とくに、金融機関が既存ファンドのストック営業にシフトしていることを警戒しているようだ。そうした指導もあるが、投資家側が既存の投資テーマから逃げ腰になっていることもあって、2016年の新規設定金額は、2016年10月時点で約7,300億円と、過去に例のない少なさである。
 また、これまでも特定のテーマに沿って投資する商品が相い次いで、登場するという局面はあった。中国株、SRI(社会的責任投資)といったテーマ型の商品は、分かりやすく、目を引くキーワードで投資家の関心を引き寄せようとしていた。しかし、特定のテーマに絞った商品は、組み入れ銘柄が偏る側面があり、相場が大きく崩れた場合に打撃を被る可能性があるという心配から、大型の案件は、ほとんで出されなくなった。
 そのような状況下で、フィンテック関連の大型商品が登場したのである。しかし、本報告で述べる理由によって、それに対して、私は非常に危ないものを感じる。
 
 1. ハーバート・サイモン(経済学者)がイメージしていたAI

 AIの専門家の方々には周知のことだろうが、ジョン・マッカーシー(1927~2011年)という人が、米国の認知科学者であったマーヴィン・ミンスキー(1927~2016年)と並ぶ初期の人工知能研究の第一人者で、AIという用語の創始者である。
 1961年、マッカーシーは、MIT100周年記念式典で、「タイム・シェアリング・システム」の技術によって開発されたAI技術を販売するビジネス・モデルが生み出される可能性について述べた。この考え方は、1960年代に一時的に人気となった(第1次AIブーム)が、当時のハードウェア、ソフトウェア、通信技術が未熟であったために消え去った。しかし、この会議(ダートマス会議)が、AI開発の重要性を人々に認識させたのである。
 ダートマス会議は、1か月に及ぶ、ブレインストーミングの場、つまり、参加者がてんでばらばらに自説を披露する学習の場であった。とくに、アレン・ニューウェル(1927~92年)とハーバート・サイモン(1916~2001年)が初めての人工知能プログラムと言われる「ロジック・セオリスト」のデモンストレーションを行ったことは注目される。これは、コンピュータが四則演算等の数値計算しかできなかったものであった当時では画期的なことだった。
 サイモンは、1978年の「ノーベルを記念するスウェーデン銀行賞」(俗称、ノーベル経済学賞、ノーベル記念財団の賞ではなく、一銀行の賞)である。彼は、多くの同賞受賞者を出したシカゴ大学出身である。彼の研究分野は、経営学、経済学だけでなく、人工知能、認知心理学、コンピュータ・サイエンス、政治学と広い分野にまたがっていた。
 サイモンは、行動する主体の意思決定には、辻褄の合わない要素が必ず含まれるという「限定合理性」論を展開した人である。限定合理性とは、合理的であろうと意図しつつも、認識能力の限界によって、経済主体が、限られた合理性しか持ち得ないことを表す概念である。
 総じて、意図した成果が現れることは難しい。したがって、組織は、実施内容の範囲を限定した上で、合理性を実現するという仕組みを試行錯誤的に絶えず作り直すという作業をしなければならないというのが、サイモンのいう限定合理性である。
 この限定合理性について、サイモンは、1969年初版の『システムの科学』で、「アーティフィシアル・サイエンス」という視角から説明している。
 サイモンが強調したのは、コンピュータの処理能力の進展のスピードに比べて、人間の概念形成(=認知)能力の発達速度が遅いということである。
 人間のこの欠点を補うべく、「記憶の科学」を徹底的に推進することが、決定的に必要であると言うサイモンの発想が、AIの到来を受け入れるという姿勢を大学や国家の中枢部に生み出した。
 サイモンは独特の用語の使い方をする。しかも、その用語は、彼は、文系、理系を包含した多義性を持たせている。
 たとえば、「アーティフィシアル」(人工的)という言葉について。これは、「アート」(芸術)から来る言葉である。人間社会は、なんらかの設計図に従って展開してきたものではない。
 アートとは「寄せ集め」(プリコラージュ)である。
 その例を彼は、布切れに取る。布切れにとっては、服に縫い上げられることが「自然の流れ」である。布切れを寄せ集めて、ちぎり絵を作るのは、自然の流れに反する。しかし、自然の流れに反しても、まったく別のものを創り出す能力が人にはある。その能力を活かして、その場、その場の寄せ集めを編成することで人間社会は進展してきた。
 「人工的」という言葉には、そういう意味が含まれている。本来の用途とは違う用途のために使う物や情報を生み出すことが人工的なのである。
 人工的をこのように解釈することは、構造の「多様性」の認識に結び付く。
 進化は、予め作られた設計図に基づきゼロから行われる「エンジニアリング」ではなく、既存の系統に対して用途の変更や追加を行うことによって実現してきた。その結果、進化は必ず複雑性を増してきた。挑戦と挫折、試行錯誤の繰り返し、そして、脈絡のないところから突然にやって来るヒラメキ、そうしたものが、ないまぜになって概念(認識)を形成する。
 サイモンは、その実例として脳と視覚神経の関係を説く。
 絵を描く作業がそれである。キャンバスに色を塗る。その度に私たちは、一歩下がってキャンバスを眺める。その全体像を脳裏に写し込んで、またキャンバスに向かって色を塗る。こうして絵が仕上がる。つまり、脳に概念が記憶される。
 これがサイモンの言う「デザイン」である。人間の知的な側面は単純である。ところが、人間の行動は複雑極まりない。人間が様々なデザインを寄せ集め的に描いてきたからである。人類の固有の研究課題は、「人間そのもの」であるが、複雑な人間行動を理解するためには、人間が描いてきたデザインを研究しなければならない。人間固有の研究領域はデザインの科学に他ならない。
 デザインこそ、アーティフィシアル・サイエンスである。「秩序」を求めながら、現実にはそこから大きく逸れてしまうというパラドックスを理解するには、各人が描く多様なデザインに注目しなければならない。
 「人間社会のデザイン」、「組織変革のグランド・デザイン」とかの言葉が、今日では普通に使われている。そうした意味でデザインを使用した人がサイモンである。

 2. 「沈黙のスパイラル」
 しかし、AIの進展に期待する社会には、金銭的欲望を基本としている。開発者たちの理想は、経済の現実主義のを前にして、無残にも引き裂かれている。
 情報の収集・発信基地は、IT社会では「プラットフォーム」と呼ばれている。プラットフォームは、大きく、広ければ広いほど、多くの情報を集めることができる。
 しかし、プラットフォームが、ますます特定のIT企業に集中してしまう結果、本来、多様であるべき世論が、声の大きい多数派に流れてしまいかねない。昨今の日本における「嫌中」、「嫌韓」などにそうした気配が見られる。国政選挙にしても、投票は、その時々の話題をさらった政党や候補者に集中してしまう。昔からそのような傾向はあった。しかし、最近では、サイバー空間が、世論の大きな流れを生み出す主たる要因になっているのではないだろうか。
 大きな流れでは、往々にして簡素な幼児的言葉が多用される。言葉が分かりやすければ分かりやすいほど、いろいろな流れを集めて、大河にも大津波にもできるからである。権力は、この流れを作り得たグループだけによって握られる。権力者がその波に乗って、大きな声で叫べば叫ぶほど、「大衆」は歓呼の声を挙げて付いてくる。
 そして、少数派で、力の弱い「観相者」たちは、大きな流れに連動する大声に抗した反論はせず、黙ってしまいがちとなる。
 そういうことから、世界は「全体主義的」社会に向かって漂うという危険性を訴えたのが、旧西ドイツの政治学者、エリザベート・ノエレ=ノイマン(1916~2001年)であった。『沈黙のスパイラル』がそれである(邦訳書では、「螺旋」という訳語が使われている)(1)
 ノイマンは、同書で、社会における少数派が、同調を求める多数派の圧力によって沈黙を余儀なくされていく過程を描いた。
 ノイマンは言った。自らを社会の少数派であると思っている人は、多数派に属する人々が発する同じ内容の言葉の大合唱によって、脅迫されているような感覚に陥り、孤立を恐れて自分の意見を表明しなくなる傾向があると。
 このような現象は、「長い物には巻かれよ」という旧い格言が示すように、はるか昔から存在していた。しかし、マスコミが発達するにつれて、この現象はますます広がりを見せるようになった。そして、スマホ(スマートフォン)が登場した。スマホに熱狂する人たちが巨大な層を形成するようになって、沈黙状態は、また一段と進展してしまった。スマホに代表されるSNS社会の怖さは、この一点にある。
 ここで注意しておきたいのは、「沈黙」とは、反対者たちが、自らの自発的指揮によって黙して語らないことを意味しないということである。そこには、有形無形の暴力が存在する。
 威嚇を背景とした大声だけが、すべての人の声のように社会では響いてしまう。反対者たちは、ウェブ社会で血祭りに上げられる。血祭りに上げられている人を救おうとする人たちが、多数者と反対の書き込みをしようものなら、その人への批判が無数に押し寄せてきて、その人のブログはウェブ上で瞬時に炎上してしまう。その結果、威圧的な言葉に同調する人たちのみが社会の大部分を占めるようになる。
 ジャーナリストの森健は言う。
 「ある集団で意見が極端な方向へ傾くという集団分極化は、ウェブの世界、とりわけブロゴスフィアやSNSのようなパーソナライゼーションが起きている場では、しばしば見られる現象だ。ブログやSNSのコミュニティで、ある発言者に対して明確な反論を述べるような人は(一般的な著名人の場合は別として)、多くない。・・・その発言者と対立する考えをコメントすることは、論争を招く要因になる。副次的に感情的な面倒を抱えることになり、いろいろとやっかいな話にもなる。であるなら、コメントなど返さずに黙って流してしまった方が楽だからだ」(2)
 ここで、「ブロゴスフィア」とは、「ブログ圏」、つまり、ブログの発信者と受信者たちによって構成された意味空間(コミュニティ)のことである。ブロゴスフィアという語は、「地平」を意味するスフィアとブログを組み合わせた造語である。
 ブログという言葉も、別々の用語を組み合わせた造語である。ブログは、WWWという「ウェブ」に、覚え書きや論評などを加えて「ログ」(記録)したもので、「ウェブログ」と呼ばれていた。それがさらに略されて「ブログ」となったのである。
 私がここで意識しているのは、インターネットとは異なるウェブのことである。インターネットは、個々のコンピュータを結ぶ通信網を指し、ウェブとは、インターネットの中で相互に文書などを交換し合えるシステムのことである。
 SNSは、人と人との繋がりを促進・サポートするコミュニティ型のウェブサイト、つまり、知人間のコミュニケーションを円滑にする手段や場を提供し、趣味や嗜好、居住地域、出身校、あるいは「友人の友人」といった繋がりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供する会員制のサービスであるというのが、建前としての謳い文句である。しかし、現実は、そのような歯の浮くような綺麗事にはなっていない。
 ノエル・ノイマンが指摘した「沈黙のスパイラル」という負の現象は、今でも、スマホの競争部面で確認される。現実に、過去のメディアよりもはるかに激烈な闘いが、情報を載せるプラットフォーム間で展開されているのである。アップルも、グーグルも、そしてアマゾンも、いまや新しい類の「コンテンツ配信エンジン」になろうと懸命になっている。その帰結は、世界中の膨大な視聴者にコンテンツを配信し、巨大な財務基盤を作り、コンテンツを見る人も作る人をも支配するようになる情況の出現である。
 スマホの世界では、異様な行動を取ったり、過激な言動を発したりしたユーザーは、検索機能などを通して瞬く間に発見される。その情報が社会に知れ渡るようになり、氏名や所属先などの個人情報もすぐに特定されてしまう。常識的には、情報拡散の速さに萎縮して、そうした目立つ行為は影を潜めるはずだが、ネットの世界ではそうではない。馬鹿馬鹿しさに悪乗りして投稿する目立ちたがり屋のユーザーは後を絶たず、ネット上では、その行為への反響が爆発的に増殖する。その反響が特定の主張を繰り返す特定の人への反感として大きくなった時、その人のブログは使えなくなる、つまり、「炎上」する。このようなことが今では、日常茶飯事に生じている。過激で極端な行動と言動が、劇画を見るように面白く、自分たちも面白い劇画の参加者になってしまう。その流れに、毅然として異を唱える人は、はしゃぎ回る目立ちたがり屋によって、身辺に危険を覚えるほどの激烈なネット上での攻撃の生け贄にされてしまう。
 ネットが普及すれば素晴らしい世の中になると、かつては言われていた。しかし、実際には、過激な行動、過激な言葉、過激な攻撃的強迫が、闊歩するようになっただけのことである。
 ネット上では、簡単に自分をアピールできることが、異常な行為をSNSに氾濫させるようになった大きな理由の一つである。現実世界の欲求不満がネット上でのバーチャルな世界にぶつけられる。ソーシャル・ネットワーク全盛の時代になり、ユーザーが加速度的に増加することによって、その流れに拍車がかかっている。
 スマホは、ネット依存症をも激増させている。いつでも、どこでも、容易にインターネットにアクセスできてしまうために、ネットが生活の中心になってしまっている「ネット依存症」に陥っている人が、年齢を問わず、増えている。
 総務省情報通信政策研究所が、2013年6月に発表した調査結果によると、小学生から25歳までのスマホ所有者の半分にネット依存傾向があるということであった(3)。いまでは、れっきとした中高齢者が「VR(ヴァーチャル・リアルティ)に嵌まっている。
 
 3. サイバー・カスケードと「ネット住民」が作る「共同了解」

 「ネット住民」が、「バカッター」的に付和雷同する傾が、ネット社会によって強められているという事態は、「グローバル金融危機」の温床になっていると言い切ってもよい。
 テレビのニュースがそうである。大衆向け週刊誌がそうである。これらメディアで報じられる情報の多くは、覗き趣味的なものや、事を針小棒大に表現するショッキングな内容からなる。
 多くの情報が競って、大きな滝のような流れを作り、その滝が人々の話題に上れば、似たようなテーマでまた新しい滝の流れが作られていく。多くの人は、これら滝の流れの連鎖を鑑賞することで、自分が大きな流れに沿っていることを確認し、自己満足してしまう。情報の流れが「情報のカスケード」を作り、カスケードが「共同了解の感覚」(同じように反応してしまうこと)を生み出す。
 株価がそうした「感覚」の好事例である。週刊誌であれ、新聞であれ、電子メディアであれ、大衆受けすることを狙った各種メディアが、市場で起こっている出来事をデフォルメして一斉に報じる。市場には、必ず、大衆の心を掴もうとする仕掛け人たちがいる。彼らが、たとえば、次の注目株はフィンテック関連の組織であると大々的に叫べば、そうした関連企業の株価は必ず上昇する。大衆はいとも簡単にメディアが強調する投資テーマに乗ってしまう。
 ひとたび、この投資テーマに大衆が乗ってくれれば、現実の株価は暴騰する。あるいは逆に大幅に値を下げる。株価が一定の間隔で、つねに乱高下を繰り返すのは、仕掛け人たちが流す「情報のカスケード」に大衆が煽られるからである。
 事例をS&P500に取ろう。
 S&P500は、1982年の底値102から2003年3月に1527の高値を付けた。底値から高値まで1400%もの株価上昇があったことになる。
 そして、2000年からSP500は下落基調に入り、2002年には777と、高値から2年間で50%近くも下落した。そして、再び株式市場は次の5年間、つまり、リーマン・ショック直前まで活況を呈し、株価は倍以上になった。2007年10月には1,565もの高値であった。
 その後は、周知の金融恐慌である。2008年11月20日には752にまで急落した。
 こうした株価変動のあまりのも大きな振幅こそが、情報なるものの魔物を表している。仕掛け人たちは、同じ考え方を持つ多数派のグループをできるかぎり拡大し、社会のあらゆる領域に自らの見方を植え付ける努力を払う。それに向かって、膨大なカネを宣伝に注ぎ込む。
 株式市場では、非常に多くの人が、「共同了解」の判断に乗っかっておれば間違いないとして、仕掛け人たちがもてはやす株式にカネを賭ける。
 株式に投資する人々の多くは、仲間の投資家と交わり、仲間の間で高い評判を取るおとを誇りにしている人である。「共同了解」から離れることに臆病な人は多い。
 政治の世界でも、保守政党がほとんどの場合に政権政党になるというのは、政策の正しさがそれを可能にしたというよりも、保守政党が株式市場における大衆筋と同じ役割を担うからである。社会のエリートとして人々の上に君臨するには、つねに多数派に身を置かねばならないのである。
 市場の現実は、上に見たように、乱高下幅は小さくなるどころか、市場規模が大きくなればなるほど大きくなってしまったというのが現実である。
 なぜなのだろうか?
 統計が正しく将来を見通せるという思いこみが間違っているのである。現代市場経済は、つねに、間欠的な暴風雨にさらされる。天気のように、長期に安定したことなどはまずない。専門家たちが豊富な統計上のツールを使って株価予想をする。しかし、まずそれが当たった試しはないし、よしんば的中しても、投資の収益は、投資家が多ければ多いほど小さくなり、借金しての投資は返済金利すら払えなくなるほど収益は縮小してしまう。
 抜きんでた予測モデルを使って、誰よりもお早く、正しい適正価格に近づいた投資かが大儲けできるというのが、現在のビッグデータ賛美論である。
 その思い込みが間違いだという調査結果が2005年に出されている(4)。結論は単純である。誰もが影響力がり、「共同了解」に成り上がった投資信託モデルを使っているからである。よく用いられている投資テーマは、一般的にテクニカル分析と言われているものである。この考え方は、市場の値動きを注意深く観察しておれば、他の投資家が目標に置く適正価格がどこにあるかをすぐに見つけることができるという前提に基づいている。しかし、この手法で運用しているのは、大ファンドがあることが多く、その投資手法は、すぐに他の投資家に知られてしまう。多くの人がそれに便乗する。
 「マーケットタイミング」という手法もある。これは相場の変動を予測して、実際に変動を先取りするということを狙ったものである。しかし、これが相場を乱高下させる最大の要因である。値動きを予想した段階で、他の人も同じ行動を取り、値動きが増幅してしまうからのである。理論状の適正価格を追って市場が動くのではなく、市場が他人の思惑を予測して動くことによって、値動きが相乗効果を持つのである。
 重要なことは、市場は必ず間違う。しかし、その間違いに規則性がないということである。
 多くの投資家が市場の間違いを一刻も早く見つけようと賢明になっている。それに役立つ情報を集め、見つけけだす手法を学び、実行する。しかし、そのためにかえって収益が小さくなる(5)
 「知らないことは、想像もできなく、確実性を数量化できない」こともまた、共同了解を壊してしまう(6)
 その好例が2008年のサブプライム問題。当時、大手投資銀行には、どれだけの「有毒廃棄物」(売れない金融資産)があるのか、そうした資産をどのように評価すればよいのかを把握している人はいなかった。事態の深刻さが分かってからは、正常な証券を巻き込んで、すべての種類の証券価格が暴落した。買い手がつかなかった。
 知る順番への疑心暗鬼があった。他の人々が知っていることを自分だけが知っていなかったらどうしょうか?この恐れはすべての投資家が持っている。
 右往左往する人の数は非常に多い。彼らの狼狽が市場を歪める可能性は非常に高い。その心理状態が、眼前の大きな声の流れに自らを乗せてしまう。
 「世渡りの知恵は教える。評判を落としたくなければ、慣習にとらわれずに成功するよりも、しきたりに従って失敗する方がよい」(7)
 金融の世界における「共同了解感覚」に浸る人々が、投資テーマを増強する。投資テーマとは、ある資産が平均を大きく上回る投資収益を生みそうだと主張する信念体系のことである。体系というのは、多数の人々に簡単に伝えられて、彼らを引き寄せる経済的理由付けができる装置のことを言う。
 投資テーマの典型が「ピークオイル論」である。この理論は、21世紀の最初の10~20年のうちに原油の世界生産が上限に達する。したがって原油価格が暴騰するという予測を出していた。これは、投機する人々に分かりやすかった。
 原油価格は、1990年に1バレル40ドルという高値を付けた後は下落し、1998年には、11ドルの安値になった。この時点では、「ピークオイル論」の支持者は少数であった。原油価格が300%以上上昇する1バレル40ドルを超えたのは、2004年になってからである。この頃になって「ピーク論」は注目され始めた。事実、2008年には130ドルの水準になった。しかし、重要なことは、原油価格が6年間にもわたって上昇し、300%になってから、このテーマが大衆化したということである。テーマが有効だと認識されるためには、価格が大幅に上昇した後であるという認識が大事である。
 投資テーマの初期の主唱者たちが経済的に成功すると、社会的な結びつきの情報ハイウエーに沿って、新たな投資テーマが多くの人々に伝わり、そのテーマの理屈に転向する人たちの数が増える。特別の専門知識も経験もない支持者が集団意識に引き寄せられるにつれて、「共同了解感覚」が生まれる。投資テーマに沿った投資物件の価格上昇が今後も続くという思い込みに人々は染めあげられていく。とくに、「ネット住民」たちが、自分で考えるのをやめることから、「共同了解」に煽られて作り出される市場の間違いが増幅されてしまう。
 1994~2000年の株式ブームでは、「ニューエコノミー」という言葉が流行した。グローバル化とIT技術という2つのトレンドとの融合が情報カスケードを生んだ。アマゾン、AOL、アップル、デル、エンロン、インテル、等々がもてはやされた。ナスダック100は5倍にもなった。
 2000~02年の「ITバブル」もそうであった。ネット関連の株式の本拠であるナスダック総合指数は、5,000の水準から1,100の水準まで下がった。ほぼ80%の下落であった。ネットという投資テーマではないはずの他の株式価格も投げ売りされた。一般の株式の本拠であるS&P500の指数もこの弱気の期間に50%下落した。
 ウォール街の連中は皆ペテン師であるとする別の大衆筋も生まれた。その結果、普通の株価格も暴落した。ところが、ネット・バブルの反動からきた新しい「共同理解」も早期に瓦解し、再び、人々が市場に復帰してきた2003から、株価は上昇し続け、08年までの5年間にS&P500は約2倍になった。これが、有名なサブプライム・ローン・バブルであった。
 投資テーマの「共同了解」集団に帰属することはそれなりの代償を払わねばならない。それは一種の高額の会費であり、自己主張を差し控えるという代償である。自分の社会的地位がその代償によって、高くあるという信念があれば、人々は喜んで代償を払い、投資テーマの提唱者に帰属する。
 投資家たちが、相互に完全に独立して、他の意見に影響されず、独自の判断に基づいて行動すれば、個々の投資家が市場の正確な状況認識に失敗しても、集団として見れば、ほぼ正しい認識に辿り着けるものである。つまり、投資家の集団的な判断は、どんな個人の判断よりも正確である可能性が高い(8)
 しかし、現実には、他からの影響を受けずに独立した思考を持って、金融市場に投資する人は稀少である。こうした見方の先駆者は、J.M.ケインズである。
 ケインズは、投機を、「市場心理を予測する活動」と定義した(『一般理論』、第12章5~6節)
 ケインズは言う。(プロの投資家は)「一般投資家よりも少し前に、世間一般の基準による評価の変化を予想すること」に、力と技術を費やすことが多いと。プロの投資家は、株式は、「買って以降もずっと保有する」だけの価値があるか否かではなく、「3か月か1年後に、市場が、大衆心理に左右されて、その株式をいくらで評価するか」に関心がある。
 ケインズは、プロの投資家を、企業収益の長期的変化(つまり、それを反映した適正な株式価格の長期的変化)よりも、短期的変動を予測することに関心を持つ人たちとして理解する。 投資家は、短期的に売買益を得られるかどうかに焦点を合わせる。また、投資を本職とする人の収入は、他の職よりも短期的な成績に左右される。
 ケインズはさらに言う。
 (市場は)「何かが変わらないかぎり、現状がそのまま続くだろう」との考えによって動き」、「長期的な収益見込みにとってどうでもよい」ことによって、市場参加者の多数意見が、「突然変わるため、多くの無知な個人による大衆心理から生まれた株式評価は変動が激しい」と。
 「プロの投資家は、どのようなニュースや雰囲気の変化が市場の大衆心理にもっとも影響を及ぼすかを経験上知っているので、そのような変化が間近に迫っていないかを予期することに関心を持たざるを得ない。また一方では、今日のもっとも巧妙な投資での思惑は、実はアメリカ人がよく言う『先んじる』ことだ。つまり、大衆の裏をかき、質が劣るか値打ちが下がっている半クラウン硬貨を他人に渡すことだ」。
 そして、ケインズの言葉として有名になった「美人投票論」が出される。
 「各投票者は、自分が最もきれいだと思う女性を選ぶのではなく、他の投票者が一番気に入りそうだと考える女性を選ぶ。ここで投票者は皆、同じ視点で問題を見ている。
これは、判断できるかぎりで本当に一番きれいな女性を選ぶという問題ではない。また、平均的な意見が本当に一番きれいだと考える問題でもない」、(私たちが知恵を絞って予想することは、)「平均的意見で期待されている女性だ。そして中には、4段階、5段階、あるいはもっと先まで予想する人もいると私は信じている」。
 必要なものは、市場心理の投機的な動きに心を乱されることなく、「考え得る最前で純粋な長期期待に基づいて投資をする」企業家である。
 ケインズは、動揺する人々によって左右されてしまうと、社会にしろ、国家にしろ、ひどいものになると言う。「企業家的な長期投資家が競争者たちを圧倒するかどうかは、投資市場に大きな違いをもたらす。・・・投機家は企業の安定した流れに浮かぶ泡で、害を及ぼすことはないかも知れない。しかし、企業が投機の渦に浮かぶ泡となれば、深刻な立場に立たされる。一国の資本発展がカジノの活動の副産物となるとき、国の仕事はひどくなってしまう」。
 ケインズのこの言葉こそ、ネット社会で重視されている「サイバー・カスケード論」の先駆である。「サイバー・カスケード論」は、ネット社会を危惧するものである。「サイバー・カスケード」とは、「ネット住民」が、自分の持っている情報を無視して、他人の行為を真似するとい状況を指す。それは、真似をした情報に比べて、自分の持つ情報が劣っているからだという思い込みによる。その真似は様々の人によって繰り返される。つまり、時の流れにの中で、同じ見解が次々と伝播する。つまり、連続した滝=カスケードになる。これが情報のカスケードである。これは、強い個人の同調意欲と、強い集団から排除されてしまうと自分がその集団から排除され、制裁をうけるのではないかという強迫観念による。
 投資テーマの仕掛け人たちは、多くの参加者を引きつけるためには、皆が知っている事実で大衆を納得させなければならない。投資機会が、これまでと全く異なる未経験のものであれば、情報カスケードがとくに起こりやすい。経済革命を起こしそうな新技術が生まれそうだということを耳にするとき、なじみの薄い企業の株価が高値を付けやすい(9)

 4. トービンのq

 金融論には、ト-ビンのqという重要な指標がよく用いられている。景気循環を予測するのに便利な指標だからである。
 説明を分かりやすくするために、もう一度、ニューヨークの株式市場の過去の動きのおさらいをしておきたい。
 1982年に株価は底値を打ち、そこから18年間、上昇相場が続いた。底値のダウ平均は777ドルであった。1994年には3,835ドルになった。1982年の底値から400%もの上昇であった。
 トービンの「q理論」 (Tobin’s q theory) とは、アメリカの経済学者で、「ノーベルを記念したスウェーデン銀行賞」(通称、ノーベル経済学賞)のジェームズ・トービンが提唱した投資理論であり、トービンのqは(株式市場で評価された)「企業の価値」を(その企業の)「資本の再取得価格」で割った値として定義される。
 「企業の価値」とは、株式市場が評価する企業の株価総額と債務の総額との和である。これは、いまこの企業が解散して所有者がすべて入れ替わると仮定したとき、そのときの株主と債権者が受け取ることのできる金額を表している。
 他方、「資本の再取得価格」とは、現存する資本をすべて買い換えるために必要となる費用の総額のことである。
 qが1より小さい場合、市場が評価している企業の価値は現存の資本ストックの価値よりも小さい。すなわち、現在の資本ストックの価値は過大であり、企業は資本ストックを使って財を再生産するよりも、資本ストックを市場で売却した方が利益を上げられることを意味している。市場がこの企業の価値が既存設備の価値よりも低いと評価しているため、企業は投資を控えるか、既存設備の縮小(マイナスの投資)に踏み切る。
 一方、qが1より大きい場合、市場が評価している企業の価値は現存の資本ストックの価値よりも大きい。すなわち、企業は、資本ストックを使って財を再生産する方が大きな価値を生み出すので、資本ストックを増やして財を増産する選択をする。市場が、この企業の価値が既存設備の価値よりも高いと評価しているということは、企業の将来の収益力を現在の企業規模から算出される収益力よりも大きくなることを期待していることを意味している。そうした思惑に刺激されて、企業は、投資を拡大する衝動に駆られる。
 つまり、トービンのqが上昇すると投資が増加し、トービンのqが下落すると投資が減少すると考えればよい(10)
 上記の株価動向との関係で言えば、1982年の底値から1994年まで株価は、18年間、上昇し続けた。qは、1982年の0.5から1994年には1.1になった。
 1970年から1981年までのqは、0.4から1.9の範囲で変動していた。それでも、1982年の0.5は、異常に低い値であった。これは、大恐慌時の、もっとも株価が安かった1932年以降から最も低い値であった。トービン説からすれば、1.1に戻った1994年が適正価格になるはずのものであった。しかし、この時点ではまだ「共同了解感覚」は現れていなかった。ところが、1995年になると、1970年代以降で初めて、不動産資産を持つよりも株で保有する方が資産価値は高いという数値が出された(11)
 この時から、投資信託を買った方が老後は安定するという考え方が人々の心を捕らえた。「共同了解感覚」が成立したのである。株式投資で年間10~20%のリターンが得られるというムードが市場を支配した。その勢いで、2001年のq値は2.6にまで上昇した。この値は数値が得られる過去120年間における最高のものであった。
 これが、資本財投資ブームを引き起こした。1998~2000年に長距離電話、コンピュータ、インターネット・サービス等々のブームが起こったのは、この異例のqの高さが引き金になっている。
 実際には、qが1.0を超えるのに12年間も価格上昇が続いてからの強気の情報カスケードは投資を刺激するのに十分であた。
 しかし、2001年のqが異例の高さを示したことが、逆に投資家に疑念をもたらした。今度は弱気が早々に人々を支配した。マスコミは、ネットとハイテクバブルの崩壊だとの論陣を張っていた。2001年、株価は60%ほど急落した。ナスダックは、2002年に2000年のピークから80%も下がった。
 「人間は強く興味を引かれる問題では、科学ではよくあるあいまいな判断を受け入れるということはできない。人はあまりにも気がかりだと、知るための時間はあまりないと感じるものだ」という、ロンドンの外科医でもあり、社会学者でもあったウィルフレッド・トロッターが、1921年という旧い時代に語った言葉が、2005年で再度人々の心を捉えた(12)。人は、自分の経験から信念を得ていると思い込んでいるが、信念のほとんどは、参加している社会集団から取り入れたものである。それゆえに、心を託していた主流の集団の考え方が裏切られたとき、人は容易に自己を喪い、狼狽してしまう傾向がある。それでもなお、多数の人々と行動を共にしたいとの感情に支配されているので、注意や感情を一方向に集中させ、株式の一斉のパニック売りに繋がるのである(13)
 投資テーマが支持者を引きつけ始めるのは、それを本気で信じている人たちが自分の考えを公表し、市場価格が彼らの予測した方向に動き続けるようになって以後のことになる。情報カスケードはそこからおもむろに始まる。新しく加わった人は、本当に信じている人々の議論に説得されて、自分の情報を無視し、カスケードが築く情報を受け入れる。こうして、群衆の精神的つながりが成長し始める。
 群衆の「共同了解感覚」を共有して、群衆の中で生きて行くということは、本質的に大群集心理の信念を常に強化し認め合うことである。群衆は、メディアを通じて、相互に間接的なやり取りをする。投資テーマの推奨者たちは、つねに目立っていて、絶えず広告を求めている。彼らは自分の本について語る機会をけっして逃さずに、新しくやってきた人に群衆と同じ投資テーマを受け入れるようにと訴える。それは反響室にいるようだ。訴える言葉は科学ではなく、演劇のものである(14)

 5. ジョージ・オーエルが糾弾した簡便な言語=「ニュースピーク」

 恐ろしい監視社会を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』は、あまりにも有名で、紹介するまでもない衆知の内容だが、現代社会の言葉の劣化との関連で、小説に登場する「ニュースピーク」を語りたいので、監視社会とは別の視角からこの小説のテーマを素描する。
 この小説は、過去に、人民の蜂起による社会主義革命を成功させた前指導者を追放して絶対的権力を握った「ビッグブラザー」が、社会主義の本来の思想を変えてしまい、革命の歴史も改竄して、人民のあらゆる考え方、生活のあり方を統制する様々の文明の利器(その1つがテレスクリーンという、いまのスマホに似たもの)を開発・悪用する体制を作り上げたという内容である(15)
 小説の中の専制国家「オセアニア」は、以前は、民衆の幸福を実現させる崇高な目的で革命を実現させた社会主義国家であった。しかし、いかに心の美しい革命家であっても、権力が彼を腐敗させてしまう。革命政権を打ち立てたこの指導者を打倒して、新たな権力を握った「ビッグブラザー」が作り出した体制が「イングソック」(EngSoc、旧い英語を変えて作り出された新しい英語を使う人々が生活する社会主義の国)である。
 国家は、権力機構を維持することのみを目的としている。社会福祉や国民の幸福という歯の浮くようなキャンペーンを垂れ流し、社会主義という崇高な社会を実現させるために、国家は、国民を護ると繰り返し国民に訴えている。しかし、それは単なるスローガンであって、政策は、権力を維持するためにのみ展開される。
 社会主義を目指して革命が行われるのではない。そのような口実の下に、権力を握るだけの目的で革命が遂行されるのである。
 そのために開発されたのが、「ニュースピーク」(新言語)であり、心理学の奥義を究めて訓練された「二重思考」である。
 「ニュースピーク」とは、元々の言葉(英語)を、極端に分かり易く、短い音節からなる、リズム感に溢れた言葉である。新言語には、多様な意味を持たせず、単純で無内容なものをよしとする。そのような新言語が開発され、メディアを総動員して、権力者たちは、国民にその言語を浸透させる。映画も、歌も、絵画も、分かりやすいということが絶対的使命になる。そうした、分かりやすいが、内容のない言語が、あらゆる生活環境を満たしている。
 英語圏で社会主義革命を成就させた国家を簒奪した、新しい「ビッグブラザー」という名の権力者(彼が、実際に生きているのか否かは国民には分からない。誰も実物を見ていない)は、前任者の革命国家である「英語圏の社会主義」(English Socialism)を、「イングソック」と言い換えた。新しい全体主義国家の「イングソック」は、まったく社会主義の内容を表現していない単なる符号である。そこにはいかなる意味でも、権力批判の思想が入る込む余地はない。
 たとえば、「ニュースピーク」の日常用語である「フリー」(free)には、旧い言葉が持っていた「政治的自由」、「抑圧からの自由」といった意味は排除されている。ただ「~がいない」という非常に狭い意味だけが付与されている。「雑草がない」、「害虫がいない」という使い方に「フリー」は限定されている。
 日常用語では、政治的な連想を呼ぶ言葉は徹底的に排除され、リズム感と短かい感覚のアクセントだけが強調された。
 国内の人口のほぼ90%弱は「プロレ」(旧プロレタリアートから労働者階級という意味を剥奪された新言語)と言われる庶民である。庶民には、低水準の笑い、下品な芸能、単純なリズムで踊りたくなるような大音響の演奏、あくどいポルノ映画、等々、愚民化政策を狙った娯楽がふんだんに提供される。そうした娯楽にたっぷりと浸ってしまった庶民が、プロレタリア意識に目覚めて革命的な蜂起に立ち上がることはまずない。
 監視社会であっても、この階層は徹底的に物事を深く考えることを止めて、享楽的なミーハーに成り下がってしまっているので、低級な興味本位の「美味」であると思わされている人工的な餌を投げ与えておればよいだけのことである。
 「プロレ」が「ビッグブラザー」の権力機構を支えている。言うまでもなく、彼らが「憎悪の週間」の主たる担い手である。この週間には、仮想敵(社会主義を実現させた前の支配者)を罵倒するお祭りが全国各地で開催される。
 体制側の最上層部は「党内局」と呼ばれ、権力を掌握しているごく少数者である。彼らは権力保持のためにあらゆる企画を講じる超エリート集団である。
 権力側がもっとも怖れているのは、「庶民」(プロレ)と「党局内」との間にある人口当たり数パーセントの「中間層」(「党外局」)である。これら中間層は、権力の代行者であるが、その思考能力の深さによって、反権力に向かう可能性を常に秘めている。権力側が怖れているのは、これら中間層である。
 「ニュースピーク」は、彼らを主たる対象にして開発されたものである。「ニュースピーク」の威力を最大限にするためには、難しい概念を簡素化するとともに、心理学の最新の成果を生かした「二重思考」を彼らに植え付けなければならない。
 新言語では、名詞が動詞の意味にも使われる。語尾に「-ful」をつければ形容詞にも副詞にもなる。動詞の不規則変化はなく、「-ed」をつけさえすればよい。名詞の前に「ante-」をつけると「~の前」、「post-」をつけると「~の後」、「plus-」をつけると「とても~」になる。「plusgood」は「とても良いこと」になる。「un-」をつけると「~でない」。いずれの単語も、軽い意味に限定される。「ungood」は「良くない」というだけで、「bad(悪い)ではない。そもそも、「bad」という言葉はない。
 したがって、「ビッグブラザーは悪人である」と表現する言葉はない。
 まさに、現在の「LINE」や「ツイッター」の「いいね」とか「シェア」、「拡散」の言葉である。「ネット住民」が見入るプラットフォームが提供するアプリのメッセージは、70年前のジョージ・オーウェルの「ニュースピーク」そのものである。
 現在のスマホの世界の「いいね」には「駄目」(NO!)がない。使われている「シェア」は、元々あった「乏しさを分かち合う」という意味は消し去られ、「賛成」というニュアンスでのみ使われている。発信人の考え方に賛成し、その賛成を他人にも共有してもらうべく、その考え方を転送することを「拡散」という。本来の「拡散」の意味、つまり、凝縮されていた真理が、ばらばらに飛び散る「雲散霧消」状態になって、中身が薄っぺらなものになるという意味は、完全に霧消してしまった。
 現在こそが、オーウェルを怯えさせた「ニュースピーク」の時代なのである。
 こうした極端に単純化された「ニュースピーク」に「二重思考」の教育が加わる。
 人間の考え方には常に絶対矛盾が存在する。「民主主義は善である」、その民主主義を護るためには、それを破壊する異端分子たちを抹殺しなければならない。したがって、民主主義を標榜する国家権力なので、国家への反対勢力を国家が弾圧することは容認できる。これが「二重思考」である。「国家は民主主義の擁護者である」、しかし、「国家は厳密な意味での民主主義の破壊者でもある」。この絶対的な矛盾を超えるものこそ、「国家への永遠の愛」である。「愛」こそが、絶対的矛盾を乗り越える人の「善の心」である。
 このように、「正→反→合」の弁証法が、独裁政権にとって、じつに都合よく変形されている。反対物が相互に克服されて新しい次元の世界を拓くという意味における旧来の「止揚」は、愛による心の「合一」に落とし込まれる。
 「ビッグブラザー」の支配をはね除ける潜在力を持つ層が、「プロレ」ではないかと思い、密かに改竄された社会主義革命の真相を調べて行くうちに、信頼していた人に裏切られ、投獄され、「ニュースピーク」と「二重思考」の秘術を徹底的に施されて、小説の主人公は「心の底から」、「ビッグブラザー」を「愛」し、銃殺される喜びに浸ることになる。
 日本でも、「二重思考」を扱った秀逸な短編が小説がある。
 芥川龍之介の『羅生門』がそれである。「生きるためには」、「悪」と承知しつつも悪人の老婆の身ぐるみを剥いだ小心な下人が典型的な「二重思考」の持ち主であった。
 AIロボットや車の自動運転技術の開発に鎬を削るIT専門家たちは、自分たちの輝かしい頭脳が、人々から多くの働き口を奪い去ることを心の底では怯えながら、それでも、技術開発は止めないという専門家たちも、この「二重思考」で良心の呵責から逃れている。
 核兵器の禁止を訴えて著名になった科学者たちは、そもそも原爆という悪魔をこの世に送り出すべきではなかった。彼らは、原爆開発時に、本当に、原爆が世界平和をもたらすなどと信じていたわけではあるまい。

 6. アメリカの大統領候補者に見られた「分かりやすい」が低俗な非難の応酬

 アメリカ海軍用に開発された(1975年)「フレッシュ・キンケイド」(Flesch-Kincaid)という手法がある。これは文章の長さ、一つの単語の音節数で、難易度を測るものである。短くて、少ない音節の語彙が使用されている文が、分かりやすいものであると定義される。
 その指標を用いて2015~16年のアメリカ大統領候補の予備選挙における各候補者の演説を評価すると、ドナルド・トランプ候補の演説がもっとも分かりやすかったが、きわめて幼児言葉が勝ったものであったという分析が出された。その分析によると、トランプの話す内容は、9歳の子どもでも理解できるほど簡単なものであったとされる(https://www.yahoo.com/news/good-bad-stupid-outspoken-trump-king-simple-speech-033655208.html?ref=gs)
 2015年12月15日、ラスベガスで15日に行われた共和党の大統領候補討論会の冒頭と締めの発言に、この手法を適用すると、使った語彙の少なさにおいて、討論会で対決した候補者9人の中で、トランプが際立っていた。1分半の発言の中で、トランプが使用した単語で、4音節以上のものは、全体のわずか7%にすぎなかった。これは、9~10歳の子どもでも、彼の発言を理解できることを意味するのだという。
 トランプが圧倒的な頻度で使った単語は、「良い」(good)、「悪い」(bad)、「すばらしい」(great)などの単純で短いものである。トランプは、討論会の締めの発言はその最たるものであった。「もし私が大統領に選ばれれば、われわれは再び勝てる。われわれは勝ち続け、すばらしい、すばらしい国となり、以前よりもそのすばらしさを増すだろう」等々。シリアのバッシャール・アサド大統領を非難した言葉は、「悪いやつ」、「大悪党」が多用された。
 トランプは、政治に関する大衆の単純な直感に訴えかけ、簡潔で、繰り返しの多い言葉づかいによって、聴取を安心させてきた。言葉の単純さは、それを使う人が正直ものである。逆に複雑な言葉を使いたがる人は、巧妙に聞き手を騙す技術に長けている人だと他人に思わせてしまう可能性がある)。この点は、否定できない。しかし、それも常識の範囲内の判断基準である。「良い」、「悪い」、「すばらしい」というあまりのも単純な言葉の乱発で聴衆が興奮のるつぼに入ってしまうという現在の群衆心理は、今日の社会の安定さを損なうものである。
 トランプのライバルである共和党の他の候補者たちの語彙の評価はどうだったのか。上はテッド・クルーズ上院議員と元神経外科医ベン・カーソンの15歳から、下はランド・ポール上院議員の11歳までであった。他の候補者の発言に、4音節以上の単語が含まれる割合は、平均で14%だった。これは、トランプの約2倍に相当する。発言に「複雑な」単語が使われた割合では、クルーズ上院議員が全体の24%、元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュが15%であった。
 以上が、「フレッシュ・キンケイド」を指標としたトランプの言葉の幼児性を示したものである。しかし、そもそも、「フレッシュ・キンケイト」は、文章を対象として開発されたもので、話し言葉を対象としたものではない。その点からすれば、トランプの演説の幼児性を、この指標によってのみ説明してしまうのには無理がある。
 この限界を意識して、メロン大学のエリオット・シューマッハーとマスキン・エスケナージは、「REAP」という手法を用いて、2016年のアメリカ大統領予備選挙の候補者たちの演説をランキング付けした(16)
 彼らは、2016年の米大統領予備選挙に打って出た大統領候補者人の中から5人を選び、彼らの演説の「分かりやすさ」(readability)にランクを付けた。もっとも分かりやすいランクが「1」、もっとも難しい言葉がのランクは「12」である。
 この「分かりやすさのランク」に加えて、彼らは、使われた語彙の数、文としての文法の正しさをもランク付けした。 分析から分かったことだが、文法のランクに応じて、使われる単語の頻度は異なっていた。たとえば、「勝つ」(win)という単語は、「文法の第3ランク」で他のランクよりも使われる頻度が高かった。「成功した」(succcessful)は「文法の第7ランク」で、他のランクよりも使用される頻度が高かった。
 「従属節」(dependent clause)「が文法の第2ランク」で使われることはまずない。しかし、「第7ランク」になると頻繁に使われるようになっていた。
 このような分析視角は、2004年に「コリンズ・トンプソン&コーラン」で開発され、ハイルマンたちによって、2006年、07年にさらに改善された「REAP(17)という手法に基づいている。
 「REAP」以前のものは、蒐集した生徒たちの作文をデータベースにし、先生方が生徒たちの作文を各学年別に先生方のウェブサイトに公開したものである。ある語彙をすらすらと読み、理解できる学生の多い学年を「語彙のやさしさ」のタンキングにしている。したがって、年齢が若くても理解ができる語彙のランキングは低くなる。
 たとえば、「決定」(determin)という単語は、「語彙のやさしさ」の「第11ランク」に位置づけられている。語彙のランクの決定は、その語彙がもっとも多く使われているランキングである。
「デール・チャル・やさしさ公式」(1948年)がその1つである。これは文章の中で使われている語彙数が多ければ多いほど、そして、なじみのない語彙が使われている頻度が高いほど、「難文」であると認定するものであった。
 「語彙フレームワーク」(バージョン1、1996年)もあった。これは、繰り返される語彙数と文章の長さで難易度を判定するものである。
 文章全体で見るという計測法もある。「コー・メトリックス」と言われるものがそれである(2011年)。文章を理解するだけの予備知識がどの程度のものか? 文章の難しさは?とかが総合的に判断されるものである。この手法は、文章の情緒を理解する段階区分を目指している。
 ただし、上で紹介した「REAP]以前の手法はすべて国語の教師が生徒にどのように明快な作文を書かせるかの工夫から発展してきたものである。つまり、話し言葉とは違う。話言葉は、作文よりもはるかに短いセンテンスで成り立っている。
 先に紹介した「フレシュ・キンケイド」は、作文のランキングを測定するのにもっとも優れたものである。しかし、上に指摘したように、その手法を演説に適用することにはいささか無理がある。その点、REAPは演説にも適用できる。
 理由は、文章や単語の長さをランキングの基準として重きを置かず、同じ単語や表現方法がどれだけ繰り返されるかということに重点を置いているからである。
 メロン大学のスタッフたちは、大統領予備選挙の候補者5人を比較した。テッド・クルーズ(5)、ヒラリー・クリントン(7)、マルコ・ルビオ(6)、ベニー・サンダース(6)、ドナルド・トランプ(8)の5人である。括弧内の数値は採集したサンプル数である。
 採用したサンプルは、立候補演説、キャンペーンの軌跡、勝利(敗北)宣言に分けている。
 現在では、生の演説からサンプルを最終するよりも、「宣伝ビデオ」を参照することの方がはるかに楽である。しかし、将来はどうであれ、いまは、分析には後から手を加えることのできない「生の演説」の方が、それができる「宣伝ビデオ」よりも有効である。
 彼らは、比較のために、現在の大統領予選候補だけでなく、過去の大統領の演説をも引用している。リンカーンのゲティスバーグ演説、バラク・オバマ、ジョージ・W・.ブッシュ、ビル・クリントン、ロナルド・レーガンがそうである。ビル・クリントンの演説は、年代こそ違え、リンカーンと同じ名場所で行われたものである。
 比較したものは、使われた言葉と演説の構成である。
 「REAP}で行った計測によれば、明確な違いは、過去の大統領達の演説がほとんど「8ランク」クラス程度で横並びであったのに、最近の候補者たちには、かなりバラツキが多く、トランプの「7ランク」からサンダースの「10ランク」まで、大きくばらついたことである。
 この節のはじめで紹介した、2015年のボストン・グローブでの予備選の5人を「フレッシュ・キンケイド」」で比較したものでは、多用された語彙のランクが、トランプの「ランク4」、クリントンの「ランク7」であったが、違う手法によっても、トランプの語彙の少なさは共通に指摘されたのである。しかも、程度の差はあれ、最近の大領両候補者の演説は、共通して、やさしい語彙を多用する傾向を示している。
 これが、「ネット住民」を意識してきたことの結果であるとの疑いを払拭することはできないのではないだろうか。

 おわりに

 本報告の最後に、サイバー空間が特定の巨大「プラットフォーマー」の寡占下に入っていることが社会を一方向に向かわせている最大の危険要素であることを訴えておきたい。
 ブログに、Google AdSenseというディスプレイ広告がある。定番と言われている高収益のものとされる。ブログの運営者にはAdSenseのアカウントが設定されている。
 このアカウントが突然、グーグルから停止されることが最近相次いでいて、ネット社会ではかなり大きい話題になっている。
 グーグルからは以下のようなメールがブログ運営者のアドレスに送り付けられることがかんり頻繁にあるようだ。
 「件名:Google AdSenseアカウントの非承認
 いつもAdSenseをご利用いただきありがとうございます。
 Googleでは、広告掲載プログラムをご利用いただくことで、サイト運営者、広告主、ユーザーの皆様に利益をもたらすオンラインエコシステムの構築に努めております。そのため、ユーザーや広告主の皆様に対する行為がエコシステムに悪影響を及ぼすおそれのあるアカウントに対して措置を講じることがあります。このたび、お客様のAdSenseのアカウントで無効な操作が検出されたため、アカウントを停止させていただきました。
 具体的な違反の内容につきましては、お客様に提供できる情報が限られており、アカウントで検出された無効な操作に関して詳しい情報をご希望かと存知ますが、Google独自の検出システムを保護するため、これ以上詳しい状況をお知らせすることはできません。
 サイト運営者様によっては、大幅な変更を加えて違反内容を修正したり、積極的にAdSenseプログラムポリシーの遵守に協力していただける方もいらっしゃいます。そのため、Googleではサイト運営者様と協力して問題を解決できるよう、お申し立ての手続きもご用意しています。お申し立ての際には必ず、トラフィックの分析詳細など無効な操作の原因と考えられる理由についてご記入ください。こちらのフォームからお申し立てを送信していただきましたら、その内容に応じて対応させていただきます。また、アカウントが閉鎖される一般的な理由をご確認いただいたうえでフォームを送信してください。
 ご理解のほどよろしくお願いいたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。Google AdSenseチーム」
 「アカウントが無効となったサイト運営者様は、今後AdSenseプログラムにご参加いただくことはできませんのでご了承ください。Google AdSenseチーム」
近年、VRを「ネット住民」に広めたものとして「ポケモンGo」が大きな社会現象を引き起こした。ここでも、不正を働いたと決め付けられたトレーナー(プレーヤーの当該ゲームの使用言語)のアカウントが突然停止されて「ネット住民」から苦情が殺到する一方で、「不正者を通報しよう」と、かつての「レッドパージ」や「五人組」を想起させるような殺伐たる「ネット・スラング」が横行している。
 すべての機器が、誰かによって二六時中、監視されているのは確かである。しかし、その怖さが「ネット住民」間で話題になることも少ない。
 しかし、市民の意見表明の手段が、特定の巨大「プラットフォーマー」の掌中にあることは、現代社会の最大の大量破壊兵器であることを私は満身でもって抗議したい。
 

(1)Noelle-Neumann, Elisabeth[1966], Offentliche Meinung und Soziale ontrolle, Ullstein, HC. 邦訳、E. ノエル=ノイマン著、池田謙一・安野智子訳『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学』(改訂復刻版)北大路書房、2013年(初訳書は、池田健一訳、プレーン出版、1988年)。
(2)森健[2006]『グーグル・アマゾン化する社会』光文社新書、225頁。
(3)総務省情報通信政策研究所「青少年のインターネット利用と依存傾向に関する調査」(http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/seika/houkoku-since2011.html)。
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(8)Surowiecki, James[2004], The Wisdom of Crowds: Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business, Economies, Societies and Nations,Doubleday. 小高尚子訳『「みんなの意見」は案外正しい』角川文庫、2009年。
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(10)Tobin, James[1968], " A General Approach to Monetary Theory, " Journal of Money, Credit and Banking., Vol. 1, No. 1, Feb.
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(14) Futia, Car[2009], The Art of Contrarian Trading: How to Profit from Crowd Behavior in the Financial Markets, Wiley. (山口雅裕訳『逆張りトレーダー』Pan Rolling、2011年)。
(15)Owell, Georg[1949], 1984, Secker & Warburg. (高橋和久訳『一九八四年』ハヤカワepi文庫、22009年)。
(16) Schumacher, Elliot & Maxine Eskenazi[2016], "A Readability Analysis of Campaign Speeches from the 2016 US Presidential Campaign," Language Technologies Institute,School of Computer Science, Carnegie Mellon University, CMU-LTI-16-001(ttps://arxiv.org/ftp/arxiv/papers/1603/1603.05739.pdf).
(17)Heilman, Michael, Zao, Le, Pino, Juan & Maxine Eskenazi[2008], "Retrieval of Reading Materials for Vocabulary and Reading Practice, ", '08 Proceedings of the Third Workshop on Innovative Use of NLP for Building Educational Applications,Language Technologies Institute Carnegie Mellon University(http://www.aclweb.org/anthology/W08-0910).