安倍政権の安全保障戦略考 

安倍「積極的平和主義」論批判

大阪労働学校・アソシエ講師 鈴田 渉

はじめに
 第二次安倍政権が発足し一年余りが過ぎた。内政では本年四月には消費増税も実施予定され、「経済再生」とそのための成長路線(アベノミクス)の真価が問われる。安倍政権に対する世論の眼差しもさきの臨時国会における国家安全保障会議設置法案(日本版NSC法案)・特定秘密保護法案の拙速な審議と野党の反対する中での強硬採決により厳しくなってきている。
 外交では尖閣・竹島問題を発端とする中韓両国との関係悪化は改善されず、その上に昨年末、突如、安倍首相はA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝を強行し両国の批判はもちろんのこと、米国も「失望」するとのコメントを発するなど日本と近隣諸国の関係は改善どころか悪化の一途をたどっている。その意味では内政・外交とも課題山積で、いずれ安倍政権は行き詰まり、崩壊していくこととなろう。
 そのような状況でも安倍首相は自らの「理念」(改憲は歴史的使命等)の実現なくして退陣しないという強い信念は持っていることであろう。それ故、これまでの慣例を破り内閣法制局長官に小松前駐仏大使(元外務省国際法局長)の起用、強引なNSC法・特定秘密保護法制定と突き進んでいると指摘できる。
 さて、昨年一二月一七日、安全保障政策の大転換となる「国家安全保障戦略(以下、NSS)」、「新たな防衛計画の大綱(以下、新防衛大綱」、「中期防衛力整備計画(以下、中期防)」のいわゆる安倍政権の安保戦略の「三本の矢」が新設された国家安全保障会議(日本版NSC)と閣議で決定された。内容については以下で指摘していくこととするが、全体像としては日本国憲法に真っ向から挑戦するものといってもよい。「武器輸出禁止の基準緩和」や「集団的自衛権容認」への誘導等、憲法の平和原則をことごとく踏みにじり、「愛国心」の強要など内心の自由への国家の介入を謳っている、こうした憲法上重大な問題を含むことがらを、ごく少数の構成員で組織される日本版NSCで事実上決定してしまう。法案審議で問題となった議事録すらない。短時間の密室で決められる、国民主権原理からも著しく問題といわざるを得ない。

安倍「積極的平和主義」論と憲法・平和学
 安倍政権は、防衛政策の指針としていた「国防の基本方針について(一九五七年五月二〇日国防会議及び閣議決定)」を廃止し、新たに外交・防衛政策の指針とする「国家安全保障戦略(NSS)」を決定する。以下、検討していきたい。
 政府は本戦略を、①「安全保障をめぐる環境が一層激しさを増している」②「国際協調主義に基く『積極的平和主義』を基本理念として明示する」③「国益を長期的視点で見定め、これまで以上に国際社会における主要プレーヤーとしての役割を果す」、以上のような趣旨から策定したとする」。
 今後日本の掲げるべき基本理念の中核は安倍首相が内外で提唱する「積極的平和主義」と規定する。この「積極的平和主義」についてはメディアや各界から内容が不明瞭、定義づけがない等の批判や指摘が多い。この点については同日、民主党安全保障総合調査会(会長 北澤元防衛相)の談話でも「『積極的平和主義』も、その定義が依然不明確であり、安倍総理の復古的戦前回帰志向と相まって国際社会に誤ったメッセージを与えかねない」と発表している。あわせて、NSSそのものについても長期戦略を示すことを謳いながら、食糧安全保障が明確に位置づけられていない、逆に短期的な政策も含まれており、全体として整合性のないものである。安倍政権の威勢の良いスローガンばかりが先行した中身の薄い文書と評価している。
 筆者もこの「積極的平和主義」という言葉・用法に違和感を有する。まず積極的平和といえばオスロ国際平和研究所の創設者で平和研究の第一人者であるノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士の定義が思い起こされる。ガルトゥング博士は「平和概念」を戦争のない状態を消極的平和とし「構造的暴力(貧困・抑圧・人権侵害・差別等)」のない状態を積極的平和に区別する。安倍政権の政策(社会保障制度改悪や高校無償化廃止など貧困救済制度を改悪する政策)を見る限り、安倍「積極的平和主義」は平和学的領域からは「平和」のらち外といえる。
 さらに日本国憲法の平和主義について再度確認したい。戦前日本の憲法学の第一人者で「天皇機関説」問題で軍部より排撃された美濃部達吉博士の「新憲法逐條解説(一九四七年)」において憲法の前文における平和主義と第九条を次のように解釈している。前文平和主義を「永久的平和主義」と定義する。内容は第一に日本国民が常に平和を望み、戦争の権利を放棄し軍備を撤廃し永久に平和の国たるべきことを宣言している。第二に、国の安全と生存は他国の信義に委ねること、第三に世界総ての国民が平和のうちに生存する権利があることを確認し各国に平和への勧誘を行うべき趣旨というものである。第九条解釈においては「独り我が国は、ポツダム宣言受諾に伴い、一切の軍備を撤廃し、戦争遂行能力を失った結果は、防御的の戦争すらも事実上不可能となったので、世界の諸国に未だかつて類例を見ない絶対的の戦争放棄を宣言する」と指摘している。また、新憲法について当時の文部省が発行した副読本「あたらしい憲法のはなし」においても美濃部博士の見解同様、前文の平和主義を「国際平和主義」という語を用いて説明している。その意味で憲法上から政治的・政策的に要請している平和主義とも安倍首相のいう「積極的平和主義」は全く異なる内容といえる。
 以上のことを踏まえ、憲法のいう「平和主義」は日本を基点として自衛をも含めた全面的な戦争放棄とそのための軍備の撤廃、それを国際社会に向けて同調・勧誘することが原意的意味と指摘したい。歴代自民党政権は「平和主義」と「国際協調主義」を分離し都合よく解釈してきたが、それは誤りだとあわせて指摘したい。

「国家安全保障戦略」の批判的検討
 本戦略で政府はこれまでの平和国家としての歩みを①戦後一貫して平和国家の道を歩んできた。②他国に脅威を与えるようなことは行わず「専守防衛」に徹してきた。③非核三原則を堅持してきたことと自賛する。戦後日本は日米安保同盟に基き米軍の極東アジア戦略に組み込まれ外交・安保政策を実施してきた、「専守防衛」についてもその装備等からするとグレーゾーンの領域に入ってきたといえる。核兵器廃絶についても米国の核の傘に頼り、長らく国連の全面的核廃絶決議について米国とともに反対や棄権などの投票行動をしてきた、以上のように戦後日本の「平和」は日本国憲法とのせめぎあい、微妙な関係を維持し今日に至ってきたといってもよいのではないか。
 逆に「軍事大国」「戦争のできる国」にはならず、このように曲がりなりにも「専守防衛」「自衛のための必要最小限度の実力」に押し込められてきたのは紛れもなく憲法の平和原則の存在とそれを破ってはいけないという世論があったからである。歴代自民党政権もこうしたことは無視することはできず、防衛や憲法問題については「抑制的」姿勢を保ってきた。
 ところが今回の安倍政権の策定した戦略(NSS)は自民党自らが規定した国是を自ら壊していくものといえよう。その内容は国益(国際経済社会における権益)優先・日米同盟強化・国連平和維持活動(PKO)への自衛隊の積極的活用等の防衛体制の整備と質的量的面の向上をあげている。その中には、「武器輸出禁止三原則」の見直し、焦点となっている「集団的自衛権」行使容認や「敵基地攻撃能力」の保持に道をひらいていくというものの含まれる。
 それとともに「積極的平和主義」同様、筆者が気になったのが「法の支配」の強化という点である。戦略において自由・民主主義・基本的人権の尊重・法の支配を「普遍的価値」と提示する。このこと自体、日本のみならず国際社会においても普遍的価値たりうるものと考える。安倍首相は東南アジア諸国連合(ASEAN)歴訪の際、日本と同様、これらの国とは「法の支配」という価値を共有できるパートナーとコメントしている。中国の海洋戦略を意識し各国と「共闘」していこうとする意図が垣間見えるが「法の支配」の「法」とは何か?「支配」されるべき対象は何か全く意味不明である。
 NSSにおいて「法の支配」は国家戦略として国際社会に向けて強化すべきものとわざわざ指摘している。法の支配の強化対象項目として「海洋」「宇宙空間」「サイバー空間」を掲げている。
「力による支配」の対抗概念として「法の支配」が採用されているがNSSの防衛体制強化や日米同盟を基軸として韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンといった地域とのネットワーク(多国間軍事同盟)をも射程に入れていることなど「法の支配」ではなく「力による支配」のなにものでもない。
 また、「法の支配」について国際法や国際的なルールづくり(公平性・透明性・互恵性等)に積極的に参画していくこととしている。然らば、安倍政権は「国内法」における「法の支配」についていかなる構想があるのか、この点については不明である。つまり、国際社会に向けては領土問題などに乗じて国際法遵守を他国に迫り、日本は国際法の擁護者としての「法の支配」に積極的に参画していく姿勢を示したいのだろう。他方、国内法においては、さきの臨時国会で強行採決し成立させた「特定秘密保護法」、かつて国会はもとより法曹界・各メディア、市民団体が反対し頓挫した「共謀罪」を再び制定に向けて法案提出準備等々、安倍政権としては「法の支配」の範疇の外に置いている。まさにダブルスタンダード以外のなにものでもない。
 以上、今回策定されたNSSが前述した憲法の平和主義とは相容れないものだと指摘してきた。このような内容を国民に向けて発するということの意味は憲法を敵視することを鮮明にし、また、これらの目標を着実に実施すること、即ち、憲法改悪を際限なく不可避な状況を際限なく作り出すことだと思う。憲法敵視姿勢の一例を引きたい。愛国心醸成を求める以下の内容である。NSSの目標達成には、国民一人ひとりが国家安全保障を身近な問題として捉え、その重要性や複雑性を深く認識することが不可欠であると指摘し、そのためには「わが国と領土を愛する心を養うとともに、領土・主権に関する問題等の安全保障分野に関する啓発や自衛隊、在日米軍等の活動」への理解を国策として推進するという。その意味で今回の国家安全保障戦略(NSS)策定は「戦争のできる国」づくりへの歴史的大転換と考える。

「新防衛大綱」と「中期防」
 新大綱は、民主党政権時代に南西方面防衛、島しょ部防衛への防衛資源配分強化を定めた前大綱(二〇一〇年策定「動的防衛力構想」)を廃止し今回、「統合機動防衛力」を打ち出した。
 日本を取り巻く情勢として、中国の軍拡、日本周辺への領空領海侵犯行為が繰り返されている動向を「強い懸念」と指摘し、また北朝鮮の弾道ミサイル発射や核開発を「重大かつ差し迫った脅威」にあると分析し後述する日本の軍備増強の合理化を図っている。
 日本の安保政策の柱を①日本独自の努力(自衛隊による自主防衛)②日米同盟の強化③安全保障協力の積極的な推進とする。つまり、日本独自で紛争解決をある程度可能とする軍備整備、日米同盟をさらに深化させ一体的な共同作戦遂行能力の育成、日米・米韓同盟など相互防衛協力体制からオーストラリアなども含めて多国間のアジア太平洋防衛条約機構的なものを志向していこうとしている。
 以上の点を踏まえ、防衛力の配備を具体的に計画したものが大軍拡の「中期防衛力整備計画(中期防)」である。予算総額は今年度から五年間に二四兆六千七百億円(前回比一兆二千億円増)。新たな主要な導入兵器としては以下の通りである。陸上自衛隊では沖縄・尖閣諸島など島しょ部防衛強化のため、「水陸両用車(五二両)」を導入し米国海兵隊ような役割を担わせる。沖縄配備で大問題となった「オスプレイ(一七機)」も独自に整備する。海上自衛隊ではイージス艦二隻、航空自衛隊は無人偵察機三機やステルス戦闘機二八機、空中給油・輸送機三機である。
 配備では南西諸島に大幅な増強が図られ、対中対策として睨みをきかせる、またイージス艦配備によりミサイル防衛の強化がなされ「敵基地攻撃能力」とリンクしていく。
 文字通り、政府は防衛力の質的・量的な強化を図ったといえる。その内容は、前述のように「専守防衛」の域を脱し、軍備配備により周辺国といたずらに緊張を高め、不測の事態をも招きかねないものとなっている。領土問題など外交努力によって平和的に解決すべきことがらを、それを台無しにするかのごとき軍核計画で本末転倒と指摘したい。

むすびに
 本稿ではNSSと新防衛大綱と中期防の内容を「積極的平和主義」というキーワードを素材として概括的に考察した。安倍政権は目指す軍備増強や憲法改悪がより積極的な平和主義実現に資するという論理を今後も展開してくることが予想される。特定秘密保護法や国家安全保障会議(日本版NSC)法の制定は自民党が公表している改憲草案、それに基く「国家安全保障基本法案」に連なっていくものである。年内にも「集団的自衛権」行使容認の有識者会議(安保法制懇)の提言がまとめられ、そのことを政府の憲法解釈の変更や「国家安全保障基本法案」に明記して成立を目指していくのではないかと思われる。
 安倍首相や菅官房長官は「国家国民のため」「国益」等、折に触れこの言葉を多用する。このことをいえば、国民は当然視あるいは黙っているものだとの認識から発しているのであろう。
 改めて問わなければならないのは、彼らの「国益」とはこの国で生きる一人ひとりの幸福に資するものでもなく、また平和国家としての日本への国際社会からの信頼を失いかねない行為が行われうると指摘したい。それは経済界の反応からも読み取れる。閣議決定を受けての日本経済団体連合会(経団連)米倉会長の以下のコメントである。「五年間の防衛予算が増加し、約二五兆円となったことを歓迎したい~中略~将来ビジョンが策定されたことを評価する。武器等の移転に関し、新たな安全保障環境に適合する明確な原則を定めるとしたことは前進であり、防衛装備品の活用等による平和貢献・国際協力や防衛装備品等の共同開発・生産等の推進が可能となる具体的な制度の設計を期待」するという。
 武器輸出禁止解禁や禁止基準緩和が経済界がもろ手をあげて賛意を示しているということである。日本製の兵器が他国の紛争地域において使用されたとしても使用する側の問題であり商取引としては当然ありうるといいたいのであろう。まさに「死の商人」だ。
 本稿を締めくくるにあたって今一度、憲法の前文・第九条の原意(防御的なものも含めて戦争を放棄しそのための軍備を撤廃する。この崇高な理念を日本一国にとどまらず国際社会において勧誘していくということ)を指摘したい。
 筆者は憲法第九条や平和主義に関する歴代自民党政権の「解釈改憲」や「専守防衛」といえども自衛隊そのものの存在自体は合憲という立場に立たない。しかしながら、米ソ冷戦の終焉など新たな国際情勢をみれば「日本の防衛力」を今後どうしていくのかの方向性は縮減・完全撤廃に向かっていくことこそが求められるのではないかと思う。その意味では、安倍政権の「軍事戦略」は全く時代錯誤も甚だしい逆の方向である。それでも安倍首相は数の力を背景として改憲路線に突き進んでくるだろう。
 憲法の危機をいかに阻んでいくのか。それはこの国の現状が軍事優先ではないという現実を国民に伝えることだと思う。日本社会は、貧困・格差・非正規雇用問題など日々生活するにも厳しいというのが現実ではないか。他国の脅威から国を守っても、国は私たちが生活に困窮しても救ってはくれない。国民の生存権を保障することさえできない国に守るべき国の価値はあるのだろうか憲法の理念を具現化していくことこそ、真の意味での「積極的平和主義」であることを指摘したい。

※本稿は、『科学的社会主義』190号、(社会主義協会・2014年)所収の拙稿「安倍『積極的平和主義』論批判」より転載したものです。執筆時期が2014年1月ということでご覧下さい。(執筆後、集団的自衛権行使容認閣議決定、そして昨年、安保法制(戦争法)が成立しています)。安倍政権が「積極的平和主義」という名の下、今日まで何を行ってきたのか、そして、日本国憲法や平和学でいうところの「平和主義」とは何か?この両者が全く異質の似て非なるものであるということをご理解して頂ければ幸甚に存じます。