学長通信(第9号)

 講義に関心のある方々の聴講を歓迎いたします。いつでも、ご都合のおつきになる時間に、1コマでもいいので、ご参加下さい。場所は、学働館3階・講義室・図書室です。
 聴講ご希望の方はお問い合わせフォームよりご一報下さい。
 また、11月から「労働講座」が、各労働組合の自主的な運営で開始されています。ここにも、組合員以外の方々の聴講をお待ちします。

1.  12月の大阪労働学校・アソシエの講義予定

第1限(10時半~12時)「基礎ゼミナール」
 毎週月曜日、田淵太一・講師「保守系経済学のどこが間違っているのか?」
毎週木曜日、鈴田渉・講師「憲法を学ぶ」
 毎週金曜日、本山美彦・齊藤日出治・講師「自由討論」

第2限(13時半~15時)「社会変革の古典を読む講座」
 毎週月曜日、大賀正行・講師「『空想から科学へ』購読」
 毎週金曜日、田畑稔・講師「マルクスのアソシエーション論」

第3限(16時半~18時)「社会制度の改革を学ぶ講座」
 5日(月)、鄭海東・講師「TPPと日本の農業」
 8日(木)、上原公子・講師「地方自治」
 12日(月)、仲村実・講師「戦後労働運動史」
 19日(月)、豊嘉哲・講師「EUの労働者」
 21、22日(水、木)遠藤敏幸・講師「韓国における格差問題」

第4限(19時~20時半)「共生・協同社会建設を学ぶ講座」
 12日(月)、津田直則・講師「社会的経済の革新と新たな文明」
 16日(金)、柳充・講師「実践・討論」

特別「労働講座」(18時半~20時)
 13日(火)、山元一英・講師「商品生産と価値法則について」

2. 地域との共生を模索して―地域史から学ぶ
 第6回 国際結婚についての明治新政府の規定
 1. 「戸籍」は日本だけのものである。

 前稿(第5回)で、私は、トーマス・グラバーの終生の妻・ツルが、(しばしば言われているように)グラバーの「戸籍」(不用意な通説であるが)に入らずに「日本国籍」になぜ留まったのか?つまり、なぜ正式に結婚しなかったのか?の問いを出し、多くの人がその点について誤解をしていると指摘した。このことの理由について、今回は、この文の末尾で、簡単に説明しておきたい(詳しくは次号で説明する)
 残念ながら、日本国内で不当な国籍・戸籍上の差別を受けるという哀しい経験をした人々を除いて、日本国籍を持つことが当たり前であると思っている人たちの多くは、戸籍についてあまりにも鈍感すぎる。世界中で、戸籍制度のある国は、厳密には、「日本」のみであるということすらほとんど知られていない。この事実だけでも、日本人の多くは自国の特殊性を知らなさすぎる証拠として十分であろう。
 例えば、「戸籍制度」という日本語に当たる英語はない。「戸籍」という英語を強いて探せば、「ジーニアス和英辞典」の’family register’が見つかるが、そこでは、コメントが付されていて、「米英など多くの国では戸籍制度はない」とある。
 「戸籍」の二つの漢字の「籍」の意味は分かる。しかし、「戸」とは何か?このことへの疑問すら日本人の多くは、懐いたことがないのではなかろうか?
 「戸」と「家」とはどう違うのか?これは、非常に重要な論点なのだが、このことの分析に立ち入ってしまうと、いたずらに訓古論になってしまうので、今回は説明しない。それでも、「戸籍」とは、「家」制度(筆頭者、配偶者、子供の序列、税負担に単位、等々)を前提としたもので、権力が支配しやすいように作り上げられたものであることだけは指摘しておきたい。
 「入籍する」、「入籍しない」という言葉の持つ怖い響き、「家」を中心に据えた昨今の「憲法改正論」。この持つ問題に人々はもっと多くの関心を寄せてもいいのではないだろうか。もちろん、家族の絆は大事にしたい。家族でなければ温もり合えない心の襞がある。しかし、心の自然な発露と、国家・社会支配の道具になってしまっている「戸籍制度」の維持とはまったく別問題である。「戸籍」などという排他的な制度になりがちなものは廃止して、欧米なみに、「個人」ごとに、住民・税金負担者として相互に認め合う合意を基盤とした「登録」慣習でいいではないか。
 個人的なことを言わせていただくが、私は競馬が大嫌いである。出走馬の父は誰、母は誰、兄弟・姉妹は誰といった競馬の予想記事に食い入るように見つめる競馬フアンを見ると、虫酸(むしず)が走り、哀しくなる。血統で私たちの人生は決まってしまうのか。そうであって欲しくない。つまらない横道に逸れて、失礼をした。
 現在の日本の「戸籍」は、昭和22年(1947年)12月22日(法律224条)を根拠にしたものであるが、その法律には、「戸籍」とは何か、についての定義はない。ただ、「夫婦と子供」を単位としたものであり、外国人と結婚した日本人は、家族とは離れた別の「戸籍」を作り、そこに本人と実子のみが「戸籍」として記され、配偶者である外国人は日本の「戸籍」には入れずに、付記されるだけである、といった手続きのみが述べられているにすぎない。そうすることになった論拠が、きちんと示されているわけではない。
 
 2. 日本の権力者は、人民への課税と「正しい」血筋を要求してきた
 多くの制度がそうであるが、「戸籍制度」も日本は中国を模倣してきた(現在の中国の戸籍制度は事実上有名無実なものになっている)
 古代、律令制度ができる前は、氏素性(うじすじょう)を「正す」ことと、課税のために、現在の戸籍に似たものが作られていたとされている(裏付ける文献はまだ発見されていない)
 きちんとした血筋のものであることが疑われれば、「盟神探湯」(くがたち)という、対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる、怪しげな(答えは初めからでているという意味での)儀式が行われていたという伝承がある。
 『日本書紀』に書かれている逸話には、「允恭(いんぎょう)天皇」(5世紀の人と言われている)が、「氏」(うじ)、「姓」(かばね)の「正しい」血筋を偽る輩を排除するために、この野蛮な儀式を行ったとされる。これにより、血筋を詐(いつわ)っている者は恐れて儀式を受けなかったので、正邪がすぐに分かったと、天皇の儀式を褒め称えていたのが、『日本書紀』である。
 「継体(けいたい)天皇」の時代にもあった。「任那(みまな)人」と「倭(わ)人」の間で子供の帰属を巡る争いが発生した際、「倭国」から派遣されていた代官が、「盟神探湯」によって判断を下した。当然だが、火傷を負って死ぬ者が多く、そうした紛争は沙汰止みになたという。酷い神話である。
 今回はこの辺で筆を措(お)くが、トーマス・グラバーの妻問題だけは先に結論を出しておこう。
 明治6年(1871年)3月14日の「太政官(だじょうかん)布告」第103号が、日本の歴史で初めて「国際結婚」の法的な決まりを外国政府に告知した。翻訳する。
 1. 外国人との結婚は政府の許可が必要である。
 2. しかし、外国人に嫁いだ日本の女性は、日本国籍を失う。
 3. 日本人に嫁いだ外国の女性は、日本の国籍を取らなければならない。
 4. 外国人に嫁いだ日本女性が日本国内で財産を持つことは許されない。たとえ、結婚前に本人名義で財産を取得していても、それを保有し続けることはできない。
 5. 日本人に婿養子に入る外国人は日本国籍を取らなければならない。
 6. 外国で、外国人と結婚する場合も現地の日本公使・領事の許可を得なければならない。
 お分かりになっただろうか?もし、ツルが英国の国籍を取られなければ、無国籍者になってしまうのである。
 しかし、逆の見方もできる。ツルが英国籍を取れば、当時の外国の締約国人に有利な不平等条約によって、日本の居留地(ツルは大坂西区川口近くの松島で育ったとの説もある)では特権的位置を獲得できたはずである。ツルはそれをしなかった。ここに回答の鍵がある。憶測で申し訳ないが、スコットランド人としてイングランドの法律に与したくないグラバーの矜恃(きょうじ)も、ツルの選択に見られるということを私は読み取りたい。