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テロ準備罪について

「テロ等準備罪(共謀罪)」は現代版「治安維持法」
大阪労働学校・アソシエ講師 鈴田 渉(憲法・政治学研究者)

 安倍政権は過去三度廃案となった「共謀罪」法案を今通常国会において、テロ対策を大義名分に「テロ等準備罪」と名称を変え、四度目の法案提出を予定している。日弁連や全国各地の弁護士会・研究者・市民が反対の意思表明をしている。近時の世論調査においても反対が賛成を上回り、同時にわからないという層も三割程度を占めているという状況である。安倍政権お得意の数を頼んで法案を強行成立させるという性質のものではないということをまず強調しておきたい。あらかじめ申し上げたいのは、筆者は刑事法学では門外漢であるので刑法・刑事訴訟法の子細な解釈・法技術論については専門の研究者・弁護士等の実務家に譲り、憲法上の人権論や国際条約と憲法等を主たる視点にして、この「テロ等準備罪(新・共謀罪)」がいかに私たち市民社会にとって危険なものなのか、また現代版「治安維持法」といわれるのか述べていくこととする。

 テロ対策のため?
 安倍政権は東京五輪などを控え、テロ対策のため「テロ等準備罪」の必要性を説いている。結論からいうと「テロ対策」と無縁で「共謀罪」を形を変えて成立させたいための便法である。
政府は「国際組織犯罪防止条約」を批准し、テロ対策を講じるため法案提出が必要との見解である。では、この「国際組織犯罪防止条約」とは何か、テロ対策の条約なのかということが問われる。この条約は二〇〇〇年イタリアのシチリア島のパレルモで署名会議が開催された。マフィア発祥で有名なシチリアという文字通り、銃器・人身取引・密入国などの犯罪対策という内容である。以上のようにテロ防止は含まれていない。ちなみに国連広報センターの掲げている「テロ防止」の条約は核物質防護・ハイジャック防止・テロリストによる爆弾使用や資金供与など一四本の条約がある。この国際組織犯罪防止条約は「テロ対策条約」として国際的には見なされていない。(二〇〇五年、当時の南野法相もテロ防止条約ではない旨答弁している)。したがって、東京五輪などを引き合いに出して「立法事実」とするのは誤りであり、詭弁といわざるを得ない。むしろ、特定秘密保護法や戦争法制などを下支え、補強し、権力による国民監視の正当化の意図さえ感じられる。

 テロ等準備罪は現代版「治安維持法」?
 安倍首相は「一般人は共謀罪(テロ等準備罪)の対象にならない」、「組織犯罪集団」に限定していると市民に無縁なものと「安心感」を与えるかのような答弁をしている。果してそういえるのか。少し歴史をたどってみることとしよう。戦前、数十万人の逮捕者を出し、拷問などで死者を出した「治安維持法」はどうであったのか。法案提出時、天皇制を否定し国体を変革する意図をもって活動する結社や人間を対象としているので善良な一般人は対象とならないと当時の政府は主張していた。小川平吉法相は「細心の注意を払い、乱用はしてはならない」、また警察を指揮監督する内務省警保局長も「運用については非常に注意し純真な労働運動や社会運動を傷つけないように心がけ…」と見解を述べていたが、結果は一般人も巻き込む大弾圧、監視社会に道をひらいたのではあるまいか。安倍政権によるテロ等準備罪導入の理屈は治安維持法の時と全く同じである。現代版「治安維持法」といわれる所以はここにある。

 憲法上の重大な問題
 テロ等準備罪の対象について法務省は以下の見解を示した。「目的が正常な団体が、犯罪集団に一変した場合、対象となる」。極めて重大な内容を含んでいる。当初の安倍首相の見解を飛躍的に拡大させている。野党各党も首相と法務省見解は不一致であると批判した。当然である。そこで安倍首相が事例の一つとしてあげたのが「オウム真理教」事件である。「当初は普通の宗教法人であったが、地下鉄サリン事件等の凶悪事件を引き起こした…」答弁だ。
 まず指摘したいのは「オウム真理教」が「組織的犯罪集団」なのかという点である。凶悪事件の首謀者や実行犯は教祖及びそれに臣従する「教団幹部」であって、一般信者は信仰者である。その意味では憲法上認められた結社(一連の事件後、宗教法人格は失うも宗教団体)であり「犯罪者団体」というのは失当である。事実、公安調査庁が「組織犯罪を行った危険な団体」として「破壊活動防止法」適用(団体としての死刑判決)を求めたものの、憲法学者から同法及び同法適用は「憲法違反」であるとの指摘・意見もあり、一九九七年一月公安審査委員会は公安調査庁の請求を退けた。その意味では安倍首相の事例は誤りである。
 そもそも、法務省見解が許容されるなら沖縄の高江の森を守る団体が基地反対のための活動を行えば公務執行に対する「組織的妨害」と認定し、同罪適用対象として摘発可能さえなり得る。政府は、「一変」の認定は「裁判所」で行われるというが、その前段階で捜査・摘発・訴追が為されない限りにおいて「司法判断」は不可能である。よって、この政府の答弁もおかしなものである。結局、実務上、警察(捜査機関)が「組織犯罪集団」か否か、また「犯罪に該当する」か否か等、フリーハンドということになる。当然、「違法捜査」や「でっち上げ事件」などの懸念もある。政府に対してたてをつく団体・個人はいかようにも理由付けをし立件・検挙が行われるのではないかという反対派の声はあながち間違いではない。

 むすびにかえて
 テロ等準備罪の問題性のごく一端をみてきた。結局、テロよりも「等」の中身が何かということが問われる。しかし、政府は条約上適用犯罪を六〇〇余といったものをここにきて二〇〇程度に絞り込もうとしている。これはまさに「恣意的」法案作成ではあるまいか。近年、自衛隊や公安警察の違法捜査が明るみになってきている。仙台におけるイラク自衛隊派遣反対集会参加者の個人情報を「自衛隊情報保全隊」が収集し、仙台高裁は原告一人に対し、「違法捜査と認定・プライバシーの侵害」を判示した。また警察庁外事三課等公安警察が都内在住のイスラム教徒を「国際テロ対策」と称して、一人ひとりの動静を調査し個人情報を「履歴書」のような書類にまとめ、さらにデータベース化しているという恐るべき実態が発覚した。(情報共有サイトウィニーから流失し全世界に拡散した)。善良な市民運動・労働運動・一般人などへもすでに権力の手が及んでいる証左といえよう。「監視社会」の到来だ。
 その意味では、すでに進行している市民的自由を奪う「監視社会」から真の意味で自由に意見表明ができる社会に是正していかなければならない。テロ等準備罪はこれに逆行するものであり、市民社会にとって容認されるべきものではないということを強調したい。政府は法案提出を断念すべきである。そのためにも、この危険な法案の真実を多くの人たちに理解してもらい反対の声をあげてもらいたい。そしてまたメディアも政権のプロパガンダではなく、本来のあるべき姿(事実を正確に伝えること)に徹することを強く期待したい。(すずた わたる)

※新社会党大阪府本部より依頼をを受け執筆し新社会大阪№131(2017年3月発行)に掲載され転載したものです。本稿執筆時点が2017年2月末ということもあり、政府による共謀罪法案の正式国会上程をうけての内容ではありません。しかし、本質的な問題は想定される法案においても変わらないと思われます。

学長通信(第13号)

 目次
1 2017年4月の講義
2 シリーズ、地域との共生を模索して―地域史から学ぶ(12)、大塩平八郎の乱(3)
3 学生レポート 学生C

1 2017年度4月の講義
 新年度より、「働きながら学ぶ」という労働学校の趣旨に則って、開講は週2回(前期の昼の部は火・木曜日。夜の部は月・水曜日)、1限目は13:30~15:00、2時間目は15:30~17:00、夜の部は18:30~20:00と、前年度より大幅に変更しましたので、ご注意ください。
 講義は、①基礎ゼミナール、②実践講座(ただし、後期開講の予定。労働運動の歴史に学ぶ、社会運動の経験に学ぶ)、③読み書き話す基礎教養講座、④公開市民講座(不定期で土曜日の昼)、⑤労働を支える会員労組の労働講座、の5本柱からなります。

①基礎ゼミナール 
前期火曜日、昼の部、4月4、11、18、25日。
大賀 正行
(部落解放・人権研究所理事、社会変革の古典を読む)
1時間目(13:30~15:00)
田端 稔
(唯物論研究会・『唯物論研究会』編集長、マルクスのアソシエーション論)
2時間目(15:30~17:00)

前期木曜日、昼の部、4月6日、13日、20日、27日。
斉藤 日出治
(大阪産業大学経済学部元副学長・本校副学長、『資本論』で現代資本主義を読む)
1限目(13:30~15:00)
佐藤 正人(海南島近現代史研究会、歴史を読み直す)
2時間目(15:30~17:00)

③読み書き話す基礎教養講座 
前期月曜日(ただし隔週)、夜の部、4月3、17日。
山本 哲哉
(大阪大学大学院・哲学、弁論・提案・文章・読書・課題報告)
3限目(18:30~20:00)
前期水曜日(ただし隔週)、夜の部、4月5、19日。
富永京子
(立命館大学産業社会学部准教授、コミュニティ・オーガナイズの手法)
第3限(18:30~20:00)

⑤労働を支える会員労組の労働講座
前期水曜日(ただし隔週)、夜の部、4月12、26日。
山元一英
(全港湾大阪支部前委員長、毛沢東の『実践論』)
第3限(18:30~20:00)。
  
2 地域との共生を模索して―地域史から学ぶ(第10回)

 大塩平八郎の乱(3)
 王陽明

 天満与力・「大塩平八郎」の屋敷は、五百坪もの敷地であった。幕府から与えられた土地である。現在の感覚からすれば大きな敷地であるが、江戸末期の与力としては標準的な広さであった。病弱な彼は若年で、養子への家督を継がせる願いを許され(38歳)、余生は私塾を開いていた。敷地には、塾室、講堂、書斎、家族の住居と、それぞれ独立した棟があった。
 講堂には、「立志」、「勉学」、「改過」、「責善」の四つの言葉からなる扁額が掲げられていた。
 この四つの言葉は、「王陽明」(1472~1529年)が、左遷されて蟄居していた「龍場」(地名)で弟子たちに教え込んだ内容が凝縮されたものであるとされている。
 大塩平八郎を論じるに当たっての予備知識として、王陽明について、ごく一般的に紹介しておきたい。
 王陽明は、中国明代の儒学思想家、高級官僚、武将であった。読書のみによっては、真理に到達することはできない。仕事や日常生活という実践を通して真理を求める心を育むことこそ重要であるという考え方を、彼は、流布させた。「実践儒学陽明学」と呼ばれているものがそれである。
 「陽明」は号で、「陽明洞」(地名)に住居を置いたことから来ている。「大塩平八郎」の塾名「洗心洞」は、平八郎の「王陽明」への憧れを表したものであると言える。
 科挙試験を首席で合格し、「竜山公」として高級官僚の誉れ高かった父の下で、これまた秀才として育ち、「王陽明」も科挙試験に三度目(二八歳)で合格している。
 二六歳の時、異民族の侵入に苦しめられている明王朝を護ろうとして兵法を修めた。三五歳の時、宦官「劉瑾」の独断的な政治を批判する上奏文を、皇帝「武宗」に提出したが、「劉謹」の恨みを買って、僻地の「貴州省龍場駅」の役人に左遷された。ここでの苦しい自活生活の末に会得したのが、「龍場の大悟」と言われる四つの言葉であった。
 その後、「劉瑾」の専横が明らかになり、彼が追放されると、「王陽明」は県知事に任じられた。後は順調に出世階段を上り、武勲も積み上げた。江西巡撫、南京兵部尚書、江西・復福建省南部の農民反乱や匪賊の鎮圧、寧王の乱の鎮圧、広西の反乱鎮圧、等々である。最後の遠征の帰郷途中の船中で、持病の結核の発作を起こし病死した。
 「王陽明」の思想は、「宇宙の根本原理」(「理」)が唯一の真理であると主張する「陸九淵」(1139~92年)の「一元論」を受け継いでいる。
 陸の一元論は「朱子学」の二元論から脱しようとしたものである。「宋学」とも呼ばれているように、「朱子学」は、宋代に興った儒教の学派で、宇宙万物の形成を、「理」(宇宙の根本原理)と「気」(物質を形成する原理)の一致として説明する「理気二元論」である。中国の古来から伝承された宇宙論的存在論を南宋の「朱熹」(朱子)が完成させたとされている。ただし、重きを「理」に置くか、「気」に置くかで、朱子学内部でも対立が連綿と続けられてきた。それは、西洋哲学における「観念論」と「唯物論」との対峙と同じものと見なしてもいいだろう。
 「王陽明」は、真理は心の中のみにあるという考え方を基本としていた。「事物の理は自分の心の中のみにある。心の外に、事物の理を求めても、それはできない」という「心即理」を主張し、自己の心の中には、「天地の理を判断できる力(「良知」)があるとする「致良知」(良知を致す)説、さらには、知と行を切り離して考えるべきでないという「知行合一」説を主張した。真理とは、「孔子」などの古代の「聖人」の心と同じ心を持つようになることである。その心に達する道は、「学問」だけではなく「行い」(実践)を伴うことが必須であると、「王陽明」は説いたのである。
 「大塩平八郎」の塾の扁額の字、「立志、勉学、改過、責善」に戻ろう。
 「聖人」に近付くべく、これら四つの言葉を実践すべしというメッセージがこの扁額には込められている。
 ①まず「立志」。立派で完全な人間になろうとの「志」を「立てる」こと。
 周知のように、「立志」とは孔子の『論語・為政』の言葉を源としている。
 「子曰く、『吾、十有五にして学に志し(「立志」)、三十にして立ち(「自立」)、四十にして惑わず(「不惑」)、五十にして天命を知る(知命)』」。
 ②「勉学」。常に学びとろうとする、謙遜と勤勉を身につけること。
 ③「改過」。自分の過失を常に意識し、常に改善する努力をすること。
 ④「責善」。人に善を勧めること。ここでの「責」は「人を責める」という意味ではなく、「勧める」という内容である。「四書」の『孟子』の一節「責善朋友之道也」(善を責(すすめる)は朋友の道なり)を意識したものであろう。
 王陽明の代表的な考え方をおさらいしておこう。
1. 「心即理」。「王陽明」が意識していた倫理観。朱子学の主題である「性即理」を克服しようとした考え方。「朱子学」では、心を「性」と「情」に分けていた。「性」とは天から賦与された純粋な善という性である。「情」とは感情(心の動き)である。「情」は卑しい欲望に傾きがちであるので、「朱子」は卑しくなり得る「情」を見下し、「性」のみが「理」に辿り着くとした。
 しかし、「王陽明」は、「性」と「情」を合わせた「心」そのものが「理」に到達できると考えた。その意味において、心を動かす実践が重視されたのであろう。
2. 「致良知」。「良知」とは、誰もが持つ先天的な「道徳知」であり、生命力の源である。「王陽明」は、この生命力に最大級の重要性を付していたと思われる。
 理は善悪を超えたものであるべきだが、心は善と悪との間で揺れ動く。人は、「良知」によって、善悪の区別を知り、悪を正すことができる。その手続きとして、人は絶えず「無」の境地になる必要がある。その際、既成の善悪の観念から自由にならねばならない。
3. 「知行合一」。「知」とは、上記の意味の「良知」(認識)。「行」とは「実践」。外的知識によるだけでは、「理」に辿り着けない。認識と実践は不可分の関係にある。「知」が先にあって「行」が後になるのではない。
 「王陽明」の考え方は、「陽明学」と称され、明治維新の思想的原動力として大きな影響を及ぼした。三宅雪嶺の『王陽明』、雑誌『陽明学』などが、日本人の道徳観を涵養させる試みであり、日本人に大きな影響を及ぼした。
 幕末の維新運動も「陽明学」を基礎に置いている。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山がそうであり、本稿の主題である「大塩平八郎」が、日本の保守派の政治家たちから讃美されるのも、日本的「陽明学」のなせるものである。
 戦後初期の保守政党の首領たちの師であった安岡正篤も、彼流に解釈し直した『王陽明研究』を武器としていた。
 「大塩平八郎」への拘りのない讃美論に足を掬われないために、今回は王陽明を説明した。
 王陽明の思想は『伝習録』、『朱子晩年定論』、『大学問』に凝縮されている。
 以下は「王陽明」に関する参考文献。
荻生茂博「陽明学」『日本歴史大事典 3』小学館、2001年。
三島由紀夫『行動学入門』文藝春秋、1970年。文春文庫、1974年。
王陽明、山田準・鈴木直治訳『伝習録』岩波文庫、1936年。
王陽明、溝口雄三訳『伝習録』中央公論新社・新版中公クラシックス、2005年。
王陽明、島田虔次訳『中国文明選6、王陽明集』朝日新聞社、1975年。
島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書、1967年。
王陽明、島田虔次訳『大学・中庸』朝日文庫(上下)、1978年。
荒木見悟『陽明学の位相』研文出版、1992年。
吉田公平『日本における陽明学』ぺりかん社、1999年。
吉田公平『陽明学が問いかけるもの』研文出版〈研文選書〉、2000年。
大橋健二『良心と至誠の精神史―日本陽明学の近現代』勉誠出版、1999年。
大塩平八郎『(古本)大学刮目』玄武洞文庫、1891年(中之島図書館所蔵)
井上哲次郎『日本陽明学派之哲学』富山房、1900年(国立国会図書館所蔵)
三宅雪嶺『王陽明』政教社、1893年(国立国会図書館所蔵)

3 学生レポート
学生C
2017年2月14日
「保守系の経済学のどこが間違っているのか?」の講義で学んだこと(講義ノート)
感じたこと、考えたこと」

目次
1,学んだこと(講義ノート)
 (1)まずはマルクス経済学を批判的に読む
 (2)経済学は人々の生活や将来に影響をあたえる
 (3)ケインズの主張とフリードマンの主張の理解(その1 ケインズの主張)
 (4)ケインズの主張とフリードマンの主張の理解(その2 フリードマンの主張)
 (5)ショックドクトリン的手法(その1 ラテンアメリカでの実験)
 (6)ショックドクトリン的手法(その2 日本におけるショックドクトリン)
 (7)19世紀から20世紀初頭(戦間期)にかけての変遷(その1 国際金本位制)
 (8)19世紀から20世紀初頭(戦間期)にかけての変遷(その2 再建金本位制)
 (9)アメリカ発の世界金融危機の内実(その1 アメリカの回転ドア人脈)
 (10)アメリカ発の世界金融危機の内実(その2 サブプライムショックの仕組み)
 (11)アメリカ発の世界金融危機の内実(その2 恐慌の仕掛け人)
 (12)トランプ米大統領誕生の本質(その1 トランプ大統領誕生の歴史的背景)
 (13)トランプ米大統領誕生の本質(その2 パックスアメリカーナの終焉)
 (14)トランプ米大統領誕生の本質(その3 エスタブリッシュメント対非エスタブリッシュメント)
 (15)トランプ米大統領誕生の本質(その4 東アジアの行く末)
 (16)トランプ大米統領誕生の本質(その5 米中関係の行く末)
 (17)ユーロ危機の本質(その1 ソブリン危機に至る背景)
 (18)ユーロ危機の本質(その2 ギリシア危機の真相)
 (19)右傾化する欧州の行く末
 (20)アジア通貨危機など恐慌の真相
 (21)日本のバブル景気(その1 バブル崩壊の背景)
 (22)日本のバブル景気(その2 狙われた日本の銀行)
2,感じたこと
3,考えたこと 

1,学んだこと(講義ノート)
(1)まずはマルクス経済学を批判的に読む
経済学は新古典派経済学だけにあらず、また、新古典派経済学に対置する経済学もマルクス経済学だけでない。経済学は多様であることを学んだ。
保守派の経済学はどこが間違っているのか。縮めていえば経済学批判である。
左派の多くは、経済学ないし経済学批判についてはマルクスの専売特許であり、マルクスを学ぶことだと主張する。それは教条的教えである。まずそこを疑わなければならない。
剰余価値論は正しい。数学的に証明できる。しかし、そのままでは活かすことができない。なぜならマルクス経済学での剰余価値論の元になっているのは労働価値説だからだ。労働価値説は交換の理論としては成り立たないる。つまり商品の交換価値の説明にはならないのである。どうしても労働で量ったときの価値と価格はずれてしまうである。平均値にもならない。よって経済学の説明にはならないのである。搾取は説明できるが、交換が説明できないのである。
資本主義の全体系を解き明かすには搾取の仕組みだけでは足りず、交換についても説明しなければならない。現在においては色々なテクニックがあり、主流派経済学によらなくても交換の説明が可能である。だから経済学批判をたて直すことができるのであって、またそれが必要なのである。
しかし、運動の世界のみならず学者の世界においても、それを批判的に読み直す精神が弱まってしまっている。経済学批判をするときは、マルクスから出発するということを自明の前提にしないことが肝要であり、それがこの講座の目的でもある。
マルクスは社会心理を射程に入れていなかった。そして貨幣の理解も足らず、マルクス経済学をもとにして貨幣、金融を理解しようとしても理屈が足らないのである。なぜなら生産現場のみで考えた価値論だからである。
マルクスが資本論を書いていた頃は、これから国際金本位制が成立しようとしていた時期であった。国際金本位制の成立は1870年代以降であり、資本論は1867年である。だから貨幣、金融から見た資本主義をとらえ損ねている面がある。マルクスの言葉で現在の経済は語れない。抽象的には語れるが、データは示せない。なぜならマルクスの時代と現代とでは状況がまったく違うからである。
「マルクス、レーニン主義」はスターリンがつくったものである。スターリンが、自分が正当な後継者であるということを装うためにつくったようなものである。だから中身はスターリニズムである。そして批判すべきはスターリンの個人批判だけでは足りない。スターリンはマルクス主義が生みだした負の遺産であると総括しなくしてはならず、それなしにマルクス主義は受け入れてもらえないのである。ソビエトはマルクス、レーニンを錦の御旗にしてきたのであり、もって社会主義、共産主義を受け入れるということはソビエトに加担し協力するものと解釈されているからである。
毛沢東はフルシチョフのスターリン批判(個人崇拝批判)を批判した。自分にとって都合が悪かったからである。その後、中ソ論争がおこり、国境紛争へと発展していった。毛沢東も批判され、断罪されなければならない存在である。
社会主義が、資本主義を打倒できなかったのは、スターリン主義に変質させられた結果である。社会主義、共産主義は信用されていないのである。
(2)経済学は人々の生活や将来に影響をあたえる
二つ目には、経済学は他の学問と違い社会に与える影響が大きいこと。人々の生活や将来に対し大きく影響を与えることなどであることを痛感した。
例えば戦後から1970年代ごろにかけて、世界の多くの国々おいては(ケインズの本意を汲んだものであったかという点は別として)財政政策などをもって有効需要を増大させ完全雇用をめざすという経済政策がとられていた。この政策の要は大量生産、大量消費による好循環を生み出すことにある。そのため労働者に対する一定の配慮、つまり、労働組合の容認、最低賃金制度及び社会保障政策等の福祉政策拡充など労働者に対する一定の政策的配慮などもあわせて行われてきており、先進国の多くにおいては、福祉政策が充実し、分厚い中流層が存在するという状況となっていった。このような発展様式を「フォーディズム的発展様式」という。
しかし、1973年にチリでピノチェト(ピノシェ)政権が樹立して以降、世界的にミルトンフリードマンなどが主唱するマネタリズムの発言力が強まり、イギリス、アメリカ、日本などの先進国の多くで新自由主義的な経済政策がとられるようになっていった。
この新自由主義的な政策転換が世界的に広まったことによって、世界的に不安定雇用の労働者や賃金の低廉な労働者が増大し、また、世界各国間、あるいは各国国内においても所得や貧富などの格差が拡大していったのであった。
事実、日本の(生鮮食料品や原油・エネルギー等の価格変動の激しいものやディスカウト店のPOSデータ等は除外されており不正確さは否めないが)消費者物価指数、いわゆるCPIを見る限りにおいては、1970年代頃から物価が右肩下がりに下がり続けるというデフレ状態に陥っている。これは単位労働コストが下がり続けていることを意味する。つまり1970年代頃から労使の力関係が資本側の方へと傾きだし、労働者の賃金が抑制される傾向になっていることを示すものである。すなわち階級闘争において労働者側が後退局面にある、そういうことを物語っているのである。
(3)ケインズの主張とフリードマンの主張の理解(その1 ケインズの主張)
三つ目には、ケインズとフリードマンそれぞれが提唱した経済理論の違い学んだ。
ケインズの経済理論は、大きな政府を志向するもの、つまり雇用を重視し、政府が積極的に財政政策を発動することで有効需要を増大させて完全雇用及び物価の安定をはかるものである。また、労使間の力関係を単位労働コスト(能率賃金)という概念をもって意識し、物価変動などを説明するものでる。
そしてケインズは、古典派経済学の雇用決定論を『一般理論』において「雇用の特殊理論」と呼び批判したのであった。
古典派経済学は、労働市場の価格メカニズムによって常に労働需給均衡が達成されると主張する(セイの法則)。つまり、失業というものはあったとしても「自発的失業」(自ら働かないことを選択する失業)、あるいは「摩擦的失業」(転職や自己都合による一時的な失業)など労働者の自発的なものであって労働市場のメカニズムから生じたものではないとし、それを(実質賃金率をy軸、労働需要量をx軸にした場合)右肩に下がる労働需要曲線と、(実質賃金率をy軸、労働供給量をx軸とした場合)右肩に上がる労働供給曲線などの関数グラフをもって説明した。両曲線が交差した点が古典派経済学のしめすところの完全雇用である。
それに対しケインズは、失業というものを自発的失業や摩擦的失業のほかに「非自発的失業」(現行賃金の水準で働くことを望む労働者が、就職機会がなく失業にある状態)の存在を定義した。そして、それを供給関数と需要関数の関数グラフにおいて、需要曲線の存在は認めつつ、労働供給曲線については独自の理論を展開したのであった。それは、労働者は実質賃金率に応じて労働供給量を変えたりはしない。つまり労働者は(生活がかかっているので)一定の現行賃金をもらえさえすれば真面目に働き、さらなる賃下げに対しては断固として闘うものである。よって企業においては不況時でもさらなる賃下げができず、もちろん賃上げもしないというものである。この理屈を曲線で示すと不完全雇用時の労働供給曲線は右水平に動き、完全雇用に達したところから垂直に上昇するというものである。そして需要曲線と供給曲線が交わった点から完全雇用に達した点、つまり労働供給曲線が垂直上昇する点までの間における失業が非自発的失業にあたると説明したのであった。
なお、ケインズの発見については、一般的に有効需要の原理のもと雇用量の拡大かつ生産量引き上げ策としての公共投資の有効性を主張する部分のみが取り沙汰されることが多い。しかし、ケインズはそれだけでなく、国内物価水準の安定を維持するための方策として、通貨と信用の供給を調整する方法、いわゆる「管理通貨制度」なども提唱しており、財政政策などによって有効需要を積極的に喚起するだけでなく、管理通貨制度なども駆使し、その時々の社会情勢や経済状況の変化に応じて臨機応変かつ柔軟に対応し、経済の安定をはかることを提唱していたのであった。
(4)ケインズの主張とフリードマンの主張の理解(その2 フリードマンの主張)
フリードマンはマネタリズムを主唱する経済学者である。マネタリズム、いわゆる「貨幣数量説」については、マネーサプライコントロールによって物価を調節することをめざすものである。また、フリードマンはリバタリアン、いわゆる自由至上主義の旗手でもあり、アダム・スミス以来の自由放任の考え方を信奉する人物でもあった。
しかし、(お金の量を減らせばインフレの抑制になるのは事実ではあるが)貨幣数量説については、現実にそぐわない面があることは否めない。なぜなら中央銀行ができるのはマネーサプライ、マネタリーベースまでの関わりであり、核心部分のマネーストックをコントロールすることは叶わない。なぜなら、それについては銀行が貸し出しを行うか、あるいは渋るかによって決まるからである。1990年代の日本においては、日銀の量的緩和政策によってもたらされた過剰資金の多くは実体経済には向かわず、株式や不動産などへの投資(投機)にまわされ大規模なバブルを引き起こしてしまったことは記憶に新しいところである。
このフリードマンという人物であるが、経済学者ではあるもののその活動については政治的な意図を強く感じる。なぜならフリードマン自身が、マネタリズムはレトリックであるといい、貨幣数量説ではマネーストックにコントロールが及ばないことを暗に認めているふしがあるからである。
また、フリードマン的マネタリズムの内実は、マネーコンサプライトロールによる(投資家の心理に働きかけるという)金融市場操作であり、それによって恐慌という経済的暴力を生じさせる手段、つまりフリードマン的にいうとショックセラピー、いわゆる人々に不人気な政策を実施するための暴力的手段という政治的な側面の方が強いように感じられるからである。
(5)ショックドクトリン的手法(その1 ラテンアメリカでの実験)
四つ目にはショックドクトリンの手法、つまりミルトンフリードマンが主唱するマネタリズムやネオリベラリズムなどが「ショック」とう暴力をもって政治経済体制を一変させる手法を具体的に学んだ。
フリードマンたちはこの手法を「ショックセラピー」といい、これはCIAの尋問マニュアル(ショックによって人格を変え供述をとったりするための手法)を個人心理にではなく、社会心理に対し効果を生むよう発展させた手法である。その趣旨は、国民に不人気な政策をショック(大きな天災、社会変動等)を起こし(または生じたときに)、人々が茫然自失しているうちに実行してしまうというものである。
 まず、手始めとしては1970年代初頭にチリが狙われた。当時チリでは世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権が生まれた。それがアジェンデ政権である。ラテンアメリカにおける社会主義の力拡大を懸念したアメリカは危機感を募らせ、CIAを使って反アジェンデ派が多い軍部に働きかけてクーデターを起こさせたのである。それによってアジェンデ大統領は自殺に追い込まれ、凶暴な軍政のピノシェ政権が成立したのである。
ピノシェ政権は、公営企業の民営化、社会保障の民営化、外国資本導入の促進など新自由主義的な政策を暴力的に推し進めた。チリ版構造改革を展開したのである。この民営化と外国資本の導入は一時的な活況を見せ、「チリの奇跡」と称され、長らくラテンアメリカのモデルとされてきた。その具体的手法は、軍人を囲い込み、政権を握らせ新自由主義的な経済政策を実行させて、もって米系企業に権益を独占支配させるというものである。また、債務問題につけ入り、IMFなどに介入させて経済を徹底管理するものである。この手法による新自由主義的な政策転換がラテンアメリカの国々ですすめられ、以後、ラテンアメリカ諸国においては深刻な貧困問題から抜け出せない状態に陥っていくのである。
このチリの政変以降、シカゴ学派の若い学者たち(シカゴ・ボーイズ)の新自由主義的な政策による経済再建成功が世界的に脚光を浴び、1980年代のイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権、日本の中曽根内閣などの先進諸国などにおける各国政府の経済政策に対し大きな影響を及ぼすこととなった。いずれの国においても「小さな政府」を掲げ公営企業の分割民営化、規制緩和などが大々的に行われていたのであった。
それが21世紀に入り一変する。ショックドクトリンにより新自由主義政策の実験場となったラテンアメリカ諸国において、過酷な収奪に曝された民衆の怒りが爆発し、ベネズエラなどでは反米左派のチャベス政権が誕生し自国の石油利権を国有化して、その石油利権で得た資金を格差解消や貧困層支援にまわすこという政策を断行したのである。その後、ベネズエラは隣国キューバやボリビアなどと連携し反米体制を築いていった。
しかし現在、ラテンアメリカでは逆転現象が起きている。ベネズエラなどではチャベス大統領が不自然な死をとげ、当面、強硬な左派政権ができる見込みがなくなった。また、キューバなどはアメリカと和解をし、ブラジルにおいては左翼政権が汚職で転覆しかかる状態にある。いまラテンアメリカにおいてアメリカの方向へのゆり戻し現象が起きている状態にある。反米気運が停滞する見通しとなっている。
しかし、一時期、ラテンアメリカは反米一色に染まっていたのである。
そしてショックドクトリンの一番の例がソビエト連邦、東欧諸国である。ソビエトが崩壊し東欧諸国が挙って西側になだれ込んだときにもアメリカ人を中心とした経済学者などがショックセラピーという言葉を使い社会主義経済を一気に資本主義へと転換させるため暗躍していた。ソビエトなどでは、ソビエト崩壊に乗じてKGBをはじめとする官僚機構やマフィヤなどが国有企業や国有資産を私物化した。これにはアメリカ、イギリスの後ろ盾があったと囁かれている。特にエリツィン政権時代の急進的経済改革で最悪な状態に陥っていった。現在のプーチン政権が成立して以降、規律が回復し、新興財閥や寡頭資本家、いわゆるオリガルヒに私物化された石油利権などが次々と国有化されていっているのである。
(6)ショックドクトリン的手法(その2 日本におけるショックドクトリン)
日本におけるショックドクトリンのはしりは中曽根内閣による国鉄分割民営化、国労つぶしであった。電通をはじめとするマスコミ各社はこぞって国鉄の累積赤字を批判し、そのうえで国鉄職員の横柄な接客態度、勤務時間中の入浴や昼寝など緩みきった職場規律、ブルートレイン検査係の添乗手当を「ヤミ手当」ボ-ナス日の早退などを「ヤミ休暇」、病欠などを「ポカ休」、合理化による雑業務の従事を「ブラ勤」などといい、マスコミを挙げて国鉄批判キャンペーンをおこなったのであった。要は過剰雇用や莫大な累積赤字などが攻撃の的、ショックドクトリンを引き起こすきっかけにされたのである。
しかし、そもそも国鉄は過剰雇用だった。それは敗戦後の膨大な復員者(軍関係300万、民間300万)の雇用の受け皿になったためである。20万人もの復員者を雇用し、戦後の物流を一手に担い復興の柱となっていたのである。わかった上で過剰雇用にしていたのである。また、累積赤字については国鉄が所有する膨大な不動産資産の売却で返済することは可能であった。
つまりこの国鉄批判キャンペーンは虚構のものであり、まさにショックドクトリンによって国民を誘導するための欺瞞工作であった。中曽根首相のブレーンたちは、国労の分割・民営化反対ストに対し自衛隊出動まで検討していたほどであった。仮にスト現場に自衛隊が配置されていたならば、そのショックの与える効果は計り知れないものであったと思われる。
その真の狙いは国労解体であり労働組合弱体化であった。このショックドクトリン的手法による国鉄批判キャンペーンで、資本側はまんまと国鉄の分割民営化、最盛期57万の「最強の労組」国労を衰退させたのである。これに呼応するように財界においても日本的経営をかなぐり捨てて、正社員は幹部候補生のみ、あとは使い捨ての非正規労働者というあらたな雇用慣行を打ち立ていったのである。
2005年11月20日、NHKのテレビ番組の中で中曽根元首相は「55年体制(自社体制)崩壊は意識的にやったのか」というNHK側の質問 に対し、「意識的にやった」「国労が総評の中心だった。いずれこれを(国労を)崩壊させなきゃいけない。民 営化で、国労が崩壊し、総評が崩壊し、そして社会党が崩壊した。一連でやったこ とで意識的にやった」との後日談を述べている。
ちなみに国鉄批判キャンペーンの先頭に立った電通の本社ビルなどは汐留貨物駅跡地に建設されている。
また、1990年代のバブル崩壊というショック、つまりそれまで日本人が抱いていた永遠なる経済発展、地価上昇という幻想の崩壊、例えば日経平均などは36000円台を記録ところ(現在は16000円台)、それがいきなり五~六分の一に急落するというバブル崩壊というショックドクトリンで選挙区が小選挙区にかえられ、それによって社会党が消えて、(ネオリベラリズムを唱えるもうひとつの保守の党を標榜する)民主党が誕生し、労働組合組織も総評が解体され連合におきかえられた。これまで日本の労使の力関係においては、戦後長らく拮抗する状態にあったが、この出来事を境に大きく資本側に傾いていくのであった。
その後においても小泉の「国民に痛みの伴う構造改革なくして成長なし」というキャッチフレーズを旗印におこなわれた規制緩和については、左派までが難なくそれを受け入れてしまうという事態となった。この小泉構造改革の要は規制緩和であり、規制緩和の二本柱は労働・雇用の規制撤廃と金融規制の緩和であった。
日本においてはいまだショックドクトリンの波が打ち続ける状況にある。
日本のマスコミは年に数回、日本の借金1000兆円を越え、国民ひとりあたりに換算し直すと国民ひとりあたり800万円云々と報道する。これこそ騙しの脅しである。まず、借金が1000兆円あるという部分であるが、それはあくまでも租債務のことを指す。現在、政府の金融資産が500兆円ほどあるので正味の純債務としては500兆円程度ということになる。
また、日本の借金の多くは政府債務であり、その債務形式についてはほとんどが国債である。さらに国債の残高については700兆円~800兆円というところであり、その多くは日銀、または、ゆうちょなどが所有している。海外向けは1割程度しかない。つまり、ゆうちょや日銀においては国民の預貯金を資金としているものであり、よって、国民は間接的な政府債務の債権者ということになる。決して債務者ではない。この政府債務を国民一人あたりの額に換算し直すという報道が全くもってと騙しであり脅しなのである。このショックドクトリンの狙いは、消費税増税など大多数の国民に不人気な政策を実施することにあることはいうまでもない。
(7)19世紀から20世紀初頭(戦間期)にかけての変遷(その1 国際金本位制)
国際金本位制が19世紀に成立してから20世紀初頭の戦間期に中断されるまでのの間における経済の移り変わりなども詳しく学べた。
いまから100年前にもグローバリゼーションのもとで現代の生活に勝るとも劣らない華々しい幸福な社会生活が営われている時代があった。あくまでも一部の者たちの身の上の出来事という前提ではあるが。「1914 年8月に終わりを迎えたその時代は、人類の経済進歩において何と驚異的な出来事だったことだろう!」、これはケインズの出世作『平和の経済的帰結』の一節であり、1870年から1914年まで続いたイギリスを頂点とする国際金本位制が確立していた時のできごとである。
金本位制ではインフレ、つまり輸出超過による輸出インフレに対する「自動調節作用」がはたらき貨幣価値(平価)が安定すると目されていた。その仕組みは、輸出超過→金流入→貨幣発行量増→インフレ→物価高(貨幣数量説)→輸出減少という具合にはたらくものであり、要は貿易黒字になっても結果的に物価が高騰することで貿易赤字に転落する。そうなると金が国外に出て行き、国内貨幣量は減少する。それによって国内の所得は減り、かつ物価も下がる。すると為替の関係で輸入が減り輸出が増えるというものである。このはたらきが金本位制の自動調節作用とうたわれているものである。また、自動調節作用は「物価正貨流出入メカニズム」とも呼ばれている。これは学説でいうところの貨幣数量説にもつづくものであり、つまり貨幣量が少ないからデフレがおき、多ければインフレになるという理屈から成り立っているものである。いまでも経済政策に関する学説においては主流となっている。昨今の日本においては日銀・黒田総裁がデフレ克服のためと踏み切った異次元の金融緩和、量的緩和などもこの理論を拠りどころとしたものであった。
この貨幣数量説は、すでに16世紀ごろから唱えられており、ジョンロックなども貨幣数量説の創始者の一人であった。
しかし、現実には貿易決算において金の移動はほとんどおきていなかった。なぜなら金が移動する前に中央銀行が高金利・信用制限政策、いわゆる「不況化政策」を行い単位労働コストなどを抑え、貨幣を呼び戻していたからである。このように実際には貿易黒字国に対する経済的力学、すなわち金本位制の自動調節作用は何らはたらいておらず、逆に貿易赤字国が一等国の栄誉を保つため、苦肉の策として意図的に不況化政策を行い調整していたのが実態であった。
※「信用制限政策」については、銀行を貸し渋りの方へと誘導するもの理解する。

金本位制では国内均衡、つまり国内の労働者階級の賃金・雇用・福祉などよりも、外国との約束、つまり為替レート安定や借款の返済といった国家間の約束を重視する国際均衡優先の政策であった。そこには社会を安定させるという政治的意図は微塵もなく、あるのはエリート層の盤石な支配体制の維持、あるはエリート同士の国際的結びつき、一等国としての「栄誉」というものだけであった。
金本位制の第一条件は、エリート支配の維持、雇用を犠牲にして金利を引き上げられる強権体制の確立である。金本位制の内実は、金本位制の維持よりもそれを実現なしうる体制の確立、維持の方に目的があるものと考える。
(8)19世紀から20世紀初頭(戦間期)にかけての変遷(その2 再建金本位制)
19世紀、世界は大英帝国を中心としたピラミッド状の支配体制。軍事力によるパワーバランスで大英帝国を中心に安定していた時代である。まさに大英帝国の黄金時代であった。
しかし、第一次世界大戦でそれが崩れた。それは大戦を戦いぬくため、イギリスをはじめとする参戦各国においては保有する金以上の紙幣を発行して戦費を確保し、その結果、莫大な借金を抱えてしまっていたからである。
第一次世界大戦後の1923年、いわゆる戦間期に再度イギリスを中心とした金本位制が復活された時期があった。ケインズは反対したがイングランド銀行の総裁モンタギュー・ノーマンと当時イギリス蔵相であったウィンストン・チャーチルなどが強硬に推し進めたのである。この時期の金本位制を「再建金本位制」という。
ケインズは、金本位制がうまく機能したのは表面的なものであり、脅しと欺瞞によってつくられた不安定な社会心理に支えられていたと論じ、再建金本位制を強く批判した。また、小冊子『チャーチル氏の経済的帰結』を発刊し、高金利・信用制限政策などを根本的に批判し、金本位制復活に反対していたのである。
その後まもなく再建金本位制は崩壊。それは1937年のできごとである。再建金本位制は不安定かつ短命だった。なぜならイギリスには以前のようなパックスブリタニカと称されるほどの力がなくなっていたからである。第一世界大戦では、フランスと組んでもドイツには勝てそうになく、アメリカを引き込んでやっと勝利できたという状況であった。また、19世紀末には工業生産高でアメリカに抜かれ、さらに20世紀初頭においてはドイツにも抜かれるという始末であった。そして第一次世界大戦後においては、世界の金融センターはロンドンのシティだけが独占するものではく、フランス・パリ、アメリカ・ニューヨークの三か所となり、もはやイングランド銀行の利上げオペだけでは、イギリスに金は寄らなくなってしまっていたのであった。
そしてイギリスをはじめとする欧州各国においては民主化がすすみ、普通選挙や婦人参政権などが認められ、労働者の団結権(労組)なども確立し、労働者の政党まで出現する事態となっていた。このような民主化の発展で、金本位制を守る政策(失業の脅しを演出すための金利引き上げ政策)が打てなくなり、政府においては利上げ政策よりも国内の雇用や福祉などの政策を重要視せざるを得なくなったのである。それは金本位制を支えていたエリート支配層が没落したということを意味する。
国際政治学者のウォルターは、「ある社会階級の者が他の階級の者よりも多く享受し、支配的エリート層が社会の他の集団に経済的不安定性のコストを転嫁できるということ、その面における国家介入の可能性を否定するある種のコンセンサスが存在していたからである」と述べ、民主化すると金本位制は維持できないということを説いたのであった。
然るにチャーチルなどは、金本位制を復活させるとイギリスが以前のようなパックスブリタニカに戻ると勘違いしていた。つまり、戦前はイギリスに力があったから国際金本位制が実現、維持できたのであって、完全にこの点を取り違うという致命的なミスを犯していたのである。
それに対しケインズは、時代状況の変化や、あらゆる経済主体がもつポリティカルパワーないしバーゲニングパワーなど力関係を重視し、外国との関係よりも(為替相場などよりも)国内、つまり雇用を重んじることを主張していたのであった。
(9)アメリカ発の世界金融危機の内実(その1 アメリカの回転ドア人脈)
アメリカ発の世界金融危機の内実も学ぶことができた。
アメリカ発の世界金融危機は人為的に引き起こされた恐慌であった。ウォール街の連中は自らを救済するため「100年に一度の危機」と吹聴し騒ぎたてて皆を狼狽させ、まんまと時の政権にGDPの何割という単位の巨額資金を自らの救済のために拠出させたのでる。
この世界金融危機を「資本主義の必然性」と理解することは早計であり、ウォール街の連中を免罪することにつながる。自分たちに都合のいいようルールを変え、バブルを生じさせそこで大儲けし、それがはじけて(危機で)窮地に立たされると、またもや自分たちの都合でルールをつくり、もって莫大な公金を使い、最終的に自分は勝ち逃げした連中、まさに恐慌を引き起こした張本人たちが「100年に一度の恐慌だ」と皆にすりこんだのである。まさにショックドクトリンであった。
アメリカの政治と金融はごく少数の人物が動かす状況にある。
例えば、ゴールドマンサックスの共同会長であったロバート・ルービンはクリントン政権時に財務長官に「あま上がり」をし、1999年、「金融サービス近代化法」(グラム・リーチ・ブライリー法)を成立させグラス・スティーガル法を廃止に追い込んだ。金融サービス近代化法とは銀行業、証券業、保険業等の兼営を解禁するものである。そしてルービンは財務長官を務めた後、シティグループの会長となった。彼の年間報酬は約4000万ドルであったといわれている。
このシティグループは1998年に銀行業のシティコープと保険業のトラベラーズ・グループの合併によって誕生した。その当時においては、グラス・スティーガル法が健在であって同法により銀行業と保険業の兼業については禁じられる状況にあった。グラス・スティーガル法は、1929年に始まった世界大恐慌の時にルーズベルト政権が成立させたものである。恐慌は、銀行が証券業を兼業するから生じたもの。大衆から集めた預金を株などに突っ込み、その結果バブルが生じ恐慌に至ってしまったとの反省からつくられた法律である。
しかし、シティーグループは同法の抜け穴(2年間の猶予期間に保険部門を売却することを条件に銀行業と保険業との合併を認める)を巧みに使い合併を成し遂げたのであった。その合併の立役者がルービンであったことはいうまでもない。
そしてオバマ政権においてはルービンの子飼いたちが重要閣僚に就任していた。それがローレンス・サマーズとティモシー・フランツ・ガイトナーである。サマーズはクリントン政権時代、財務長官であったルービンを補佐する立場であり、ルービン辞任後はそのポストを継いだ人物である。ガイトナーはクリントン政権時代、国際担当財務次官としてルービンやサマーズの以下ではたらいた人物である。オバマ政権ではガイトナーが財務長官に就任し、サマーズはNEC(国家経済会議)議長に就任していたのであった。
このオバマ政権は世界金融危機の尻拭い、つまり危機を引き起こした連中の利益擁護のため成立させたような政権であった。
まず最初に、米国議会において金融安定化法が可決し、不良資産救済プログラム(TARP)が創設された。これに対して米国政府はGDPの約5%にあたる7000億ドルの公的資金を用意された。このTARPは政府が直接資本注入をする。よって、破たんを回避するため連邦政府の介入の可能性のある制度でもあった。
そして危機が一息つくとウォール街は政府監視のおまけが付くTARPから、FRBによる量的緩和政策(QE)に乗り換えた。このFRBによるQE1~QE3はウォール街の金融機関から国債や紙くず同然となったMBSなどを買いとるプログラムである。
QE1は2008年から実施されMBSの買い取りが主であった。使われた資金は約2兆ドルである。QE2においては2010年11月から同年6月までの8カ月間にわたり実施された。使われた資金は1カ月あたり約750億ドル、合計6000億ドルであり、米国債などの購入にあてられた。QE3においては2012年9月から(雇用が改善されるまでという前提で)2年間実施され、MBSと国債の買い取りに充てられ、ひと月あたり850億ドル(MBS400億ドル。国債450億ドル)の資金が投入された。
時の政権は危機を起こした当事者を何ら処罰せず、骨抜き法をとおすのみで金融規制の強化なども行わなかった。その救済についてはウォール街のみで、多くの倒産した企業、路頭へと放り出された沢山の人々を見殺しにしたのであった。今日のウォール街占拠運動など大衆の抵抗はそれに対する鬱積した怒りが爆発したものであった。
この事例から見てわかるようにアメリカの政府人事は「回転ドア」人脈である。回転ドアというのは日本における「天下り」が、省官庁から、民間企業や独立行政法人の外郭団体への「天下り」という上か下への「一方通行」であるのに対して、アメリカにおいては政権が替わると約3000の主要ポストが総入れ替えになる。その度各分野のエキスパートたちが回転ドアのごとく、官庁(政府要職等)と民間(企業経緯者等)との間を往来するそういう人脈をさしているのである
この仕組みこそが利権の温床となり、恐慌などを生じさせる背景をつくりだしていたのであった。
最近、とあるサイト(http://www.mag2.com/p/money/5378)に海外の富裕層向けセミナーの紹介動画がアップされていた。それはロバート・ルービン元米財務長官、ヘンリー・ポールソン元米財務長官、ティム・ガイトナー前米財務長官など3名の元アメリカ合衆国財務長官が座談会を行うもので、サイトの動画紹介記事には、「中間層が消え、富裕層だけが繁栄を享受し、貧困層がますます増加する一方の現実社会について質問されたヘンリー・ポールソン元米財務長官は、こらえきれずに破顔一笑「俺たちが格差を広げてしまったぜ」と大笑い。司会者も、他の出席者も、会場の聴衆たちもつられて大笑いした」などと書かれていた。
世界金融危機の事実は、ルービンたち首謀者たちは回転ドア人脈を活かし、バブルを仕掛け、バブルが崩壊すると公的資金を兆単位で引き出し、それを借金の穴埋めにして勝ち逃げしていたということであった。このように世界金融危機には「資本主義の必然性」など何ら存在していないのである。
(10)アメリカ発の世界金融危機の内実(その2 サブプライムショックの仕組み)
現在のアメリカの金融市場においては、商業銀行の存在感が一層薄まり投資銀行一色の状況にある。それは1980年代におけるアメリカの金融市場の大きな変化に端を発するものと考える。いうなれば世界金融危機の素地がこの時点において形成されたといえる。
1980年代、アメリカの金融市場では、企業金融につき株式、社債等の証券発行による資金調達形態が発達していった。つまり直接金融の比重が拡大する状態にあった。間接金融、つまり銀行借入などが相対的に縮小する状況にあったのである。また、1990年のバーゼル合意(BIS規制)については、日本の銀行のみならずアメリカの商業銀行にも少なからず影響を与え、BIS規制により商業銀行においては最大でも12.8%の資金枠でしか融資を行えなくなっていた。それに対し、投資銀行(最大30%だが)などでは傘下のファンドなどを使って幾らでも投資できることが可能であった。それらの状況変化が投資銀行の勢力を伸ばすきっかけをつくっていたのであった。
そして、(この点はサブプライムローンとも関連するが)モーゲージローン(不動産抵当借入)など貸付債権等の金融資産の証券化による流動性回復、つまり商業銀行にとってのリスクヘッジや新たな資金調達の手段としてのローンの証券化が急速に進展していったのであった。つまり1980年代、アメリカの金融市場においては資金フローにおける証券体系化がすすんだのである。
さらに1990年代ごろからの金融自由化と時の政権の経済政策などに後押しされる形で、投資銀行が株式、債券、MBS、デリバティブ等の証券金融の取引を効率的に行うことができる環境が整っていったのであった。そのような流れで今回の世界金融危機が生じていったのである。現在、金融が独り歩きし、カジノ化している現状にある。そこにはメカニズムなどは存在しない。
(11)アメリカ発の世界金融危機の内実(その2 恐慌の仕掛け人)
サブプライムローンはウォール街の仕業であった。
アメリカの住宅ローンはモーゲージローンである。日本の住宅ローンは銀行の住宅ローンであり、それは集まった預金を資金源として住宅購入者に資金を貸し付ける仕組みである。これに対しモーゲージローンは、預金を資金源とするのではなく「証券化」という形の資金源をもって住宅ローンを貸し付けるというものである。
また、アメリカの住宅ローンはノンリコースローンである。それは、住宅ローンの借り手が最悪、債務不履行に陥った場合においても担保(当学住宅)を供すれば済むものであり、仮に当該住宅の価値が融資残高に満たなかった場合においても残債につては免責されるというものである。よって日本のように住宅ローン地獄には陥ることはない。なのでアメリカの住宅ローンにおいては優良客(プライム層)が顧客対象であり、審査が厳しいというのが通説であった。
しかし、アメリカでは日本と違って住宅(不動産)は資産として考えられており、住宅の価値は下がらないとものとするのが一般的な考え方である。また、2001年ごろからの住宅バブルを背景に信用の低い人たち、すなわちサブプライム層の信用の低さを住宅担保とあわせて高金利などでカバーするタイプのモーゲージローン、つまりハイリスク・ハイリターンなモーゲージ債が開発されたことで住宅ローン貸出競争が激化していき、さらに、それに拍車をかけるように金融工学を駆使したデリバリブ商品等の再証券化技術の発達によって、サブプライムローンが様々な金融商品に組みこまれ世界中にばらまかれることとなっていった。もってサブプライムローンの残高も激増していったのである。デリバティブ取引のピーク時においては、残高が総額800兆ドル(8京円)ほどあるといわれていた。その売りはノーベル賞級の数学者が金融工学を駆使してつくったデリバティブであるというブランド化と格付け会社の高格付けによるものであった。
ちなみにMBSとはモーゲージ債のことである。CDOとは社債など各種債券やモーゲージ権などで構成される資産を裏付けとして発行される証券のこという。つまり複数の福袋が入った福袋を最後まで封を開けないまま、取引に取引を重ねられるというものである。一種のギャンブルのようなものであった。
CDSとは社債や国債、貸付債権などの信用リスクに対し、保険の役割を果たすデリバティブ契約のことをいい、主にAGIなど保険会社が扱う商品である。その仕組みについてはいたって簡単で、債権の貸し倒れが発生した場合、元利金の支払いを第三者に保証してもらう。その代わりに銀行は保険料を払うというというというものであった。2008年ごろまでにはCDS残高が60兆ドルを超えていたといわれている。それは全世界のGDPと同じ額に相当するものである。
著名投資家のウォーレン・バフェットなどは、CDSについて「金融版の大量破壊兵器」と呼んだ。
最終的には、アメリカの不動産バブル崩壊をきっかけに滞納率が急増したサブプライムローン問題が顕在化しリーマンショックへと発展していったのであった。
アメリカ発の金融危機後、政府資金で事実上破産したAGIなどを救済し、また、FRBは紙屑同然のMBSを現金で買い取ったのであった(量的緩和、QE1~3)。これらの行為は二重の詐欺にあたるといえるものである。
(12)トランプ米大統領誕生の本質(その1 トランプ大統領誕生の歴史的背景)
トランプ大統領誕生の本質なども学べた。
昨年6月23日、イギリスがEUを離脱した。また、昨年11月8日には非エスタブリッシュメントの共和党大統領候補、トランプ氏が大統領に当選した。「エスタブリッシュメント」とはエリート層と富裕層を掛け合わせた「支配層」のことをさす。
このトランプ氏の大統領選勝利については「トランプ現象」と称されている。それは、ポピュリズム的ナショナリズムの席巻を意味するものであり、トランプ氏が過激な発言やパフォーマンスで格差や貧困拡大に怒る大衆の心をつかみ、泡沫候補から見事、米大統選に勝利した状況、つまりアメリカの右傾化、国家主義化する世論のことをさす。このような状況はアメリカだけに限らず、イギリスではEU離脱という形で、また欧州各国において右傾政権が次々に誕生するという形で、そして世界でいち早く右翼政権=安倍内閣が成立する形で日本などにおいても同様な現象が起こっていたといえる。
トランプ氏の大統領選勝利については大統領選をとりまく範囲だけの情勢をみるのではなく、歴史の流れを追うとトランプ氏勝利の理由が浮き彫りになってくる。
戦後、長らくアメリカは「パックスアメリカーナ」と呼ばれる繁栄期を迎えていた。それは、東西冷戦構造の時代、すなわちソビエトをはじめとする社会主義陣営との軍備拡張競争と米ソ代理戦争の時代でもあった。アメリカは朝鮮戦争など世界のいたるところで生ずるイデオロギー対立戦争に莫大な戦費をもって加担し(あるいは仕掛け)、また、ソビエトと競うように援助外交なども展開していった。1970年代の泥沼化するベトナム戦争などにおいては7380億ドル(現在レートで約73.5兆円)もの戦費を費やしたといわれている。そのためアメリカは、1970年代までにはドルの発行額が極端に膨らみ財政赤字とインフレに悩まされることとなった。さらに貿易収支においても赤字に転落するなどアメリカ経済も行き詰まりをみせた。そして1971年、ドルと自国産業を防衛するためニクソン大統領はドルと金の交換停止を発表した。いわゆるドル危機、ニクソンショックである。これによりブレトンウッズ体制の世界秩序は崩れ、世界は変動為替制へ移行していったのであった。
そういった状況のもとアメリカの世界支配が一旦綻びを見せる。OPEC(石油輸出国機構)諸国がカルテルを組み石油価格を1バレル5ドルから1バレル7ドルへと値上げしたのだ。いわゆるオイルショックである。これは資源ナショナリズムを振りかざした資源国の反抗ともいえる。
このアメリカによるドルの垂れ流しとオイルショックによる石油価格高騰などで世界経済は混乱する。日本においては物価高騰という形で、また自動車産業など輸出産業の海外移転による産業空洞化という形で現れた。
そして、この1970年代頃からフリードマンらの発言力が強まるっていく。フリードマン曰くケインズ的政策はインフレ強める。それよりマネーストックをコントロールするべきである。このように貨幣数量説による金融規制緩和を説いったのであった。
フリードマンらシカゴ学派は、1970年代におてチリなどラテンアメリカで暴力的にマネタリズム的政策を実践し、1980年代においては先進国でもマネタリズム的政策を非暴力の形をもって推し進めていった。イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根などの政権もマネタリズム的な政策を実践していった。このころからアメリカでは(世界では)中間層が消滅し、大多数の貧困層と少数の富裕層に二極化の方向へとすすんでいくのである。このような歴史的背景がイギリスのEU離脱やトランプ米大統領の誕生に結びつくのである。
しかし、トランプ米大統領は、最終的に庶民を裏切りウォール街と手を組む可能性が強い。ただ、ペンタゴンとは距離をおくと思われる。
そして、日韓中に対しては経済面で嫌がらせをするであろう。また、日韓に対しては軍事面においても嫌がらせをするであろう。もって米国民の溜飲を下げ、そのうえでウォール街優先、格差拡大型の政治を行うものと思われる。
(13)トランプ米大統領誕生の本質(その2 パックスアメリカーナの終焉)
今回の米大統領選ではグローバリズム支持のヒラリー、反グローバリズム支持のトランプが対峙した。ヒラリー側にまわったのが軍産複合体とウォール街、メディアなどであった。エスタブリッシュメントが反グローバリズムに対抗した形である。
トランプ氏の当選を意外と感じた人はマスコミを妄信している。マスコミはエスタブリッシュメントの一員であり、意図的に事実を歪め、情勢を歪曲し報道していたのであった。メディアがトランプを叩けば叩くほど有権者の多くは、マスコミの世論調査に対し正直に答えなくなっていった。なぜなら「トランプ支持」と答えるとまわりから叱られたり、説教される懸念があるからである。
トランプ氏当選ならドル安、円高、株は暴落すると皆が予想した。開票日の11月9日にはまさにそうなった。円は105円/ドルから101円/ドルに上がった。しかし、翌日以降においてはニューヨークの株式市場では株価が上がり、為替もドル高にゆり戻った。なにか大きな資金の大きな流れがあったものと推測される。
トランプ氏の勝利は、Gゼロの世界の到来を意味する。また、今後の世界は中国とアメリカで差配するという形のG2となる可能性も否定できない。いずれにしてもアメリカ主導の世界秩序の終わりであり、これで正式にパックスアメリカーナが終わったということである。
これは、アメリカが超大国ではなく、ただの大国になることを意味する。今後においては、世界の力関係においてアメリカはロシア、中国、EU、インドなど普通の大国と並び立つ普通の大国となる。
ロイター通信のブレーマーは、トランプ米大統領は孤立主義ではないといっている。というよりもトランプ米大統領には政策やポリシーなどはなく、あるのは不動産ビジネスで培ったビジネス感覚だけである。もって同盟国の安全保障などもビジネスとして取り扱っているのである。いままでアメリカは理念や価値観で動いてきたと述べる。それゆえ世界から信用されアメリカ中心の世界平和、いわゆるパックスアメリカーナが築かれてきたのだと主張する。
トランプ米大統領は外交政策をビジネスにしていくであろう。アメリカは、ただの大国になり下がった。もってG0の世界が到来するのである。
これを多極化という。アメリカの代わりに世界をリードとする国などは現れない。世界は政治的に不安定となる見込みである。
(14)トランプ米大統領誕生の本質(その3 エスタブリッシュメント対非エスタブリッシュメント)
トランプは孤立主義といわれているがそうではない。孤立主義とはモンロー主義とも呼ばれており、昔、アメリカ大統領モンローが打ち出したヨーロッパ大陸との相互不干渉の政策をさす。当初、アメリカの勢力圏は自国のみといっていた。しかし、後に南北アメリカ大陸と言い直した。つまりアメリカはヨーロッパ大陸には干渉しないのである。アメリカは建国以来の大部分においてそういう政策をとってきたのであった。
しかし、イギリスは、アメリカのモンロー主義に反対してきた。自国の衰退をアメリカに補完させるためである。
19世紀の大部分においては、世界の要衝はほとんどイギリスのものだった。しかし、第一次世界大戦においては英仏だけでも勝てず、アメリカに参戦してもらいやっと勝てたとう状態であった。
第二次世界大戦でも同様であった。しかし、第二次世界大戦においてはソビエトが闘いの大部分を引き受けていたのであった。
第二次世界大戦後、イギリスはアメリカを欧州にとどまらせるためのあらゆる手立てをとった。その柱となったのがソビエトの存在である。つまり冷戦構造を画策したのであった。第二次世界大戦後のアメリカの選択肢は複数あった。5つの常任理事国が各大陸に並び立ってバランス良く調整するやり方、つまり多極化構造である。そして二極化、つまり世界を東西に分けてアメリカとソ連が対峙するという東西対立の構造である。
当初トルーマン米大統領はソビエトに対して「共存共栄」という多極主義的な考えをもっていた。それに対しイギリスは、「アメリカとイギリスとは特別な関係」だと称してアメリカを二極化の方向へと誘導していったのである。1946年、アメリカ、ミズーリ州・フルトンにおいてチャーチル元首相に「鉄のカーテン演説」を行わさせた。フルトンはトルーマン米大統領の地元である。チャーチル元首相は、欧州大陸にはソビエトによる鉄のカーテンがおろされており、共産主義圏と自由主義圏の分断が始まっている。そのようにソビエトの脅威論を説いたのであった。
そして、そのイギリスの誘いに、第二次世界大戦が終わり右肩下がりとなっていた軍産複合体が飛びついたのであった。その後、民主党は中間選挙で共産主義に対し強硬論を打ち出す共和党に大敗した。かのアイゼンハワー元米大統領は退任演説のときに、この国は軍産複合体に支配されていると述べていたのであった。
戦後の冷戦構造は、アメリカのエスタブリッシュメントがイギリスの誘導にまんまと乗せられた結果つくられたものである。
戦前はドイツ、戦後はソ連、冷戦後はテロとの戦争。アルカイダの次はIS。アメリカ軍産複合体は常に仮想的をつくってきた。アルカイダとはデータベースのことである。元々、アルカイダはサウジアラビアに存在していた。アルカイダは、アメリカがアフガンでソ連と戦う者に対し武器を供与するためつくられた組織である。(だれに渡してよいかわからないから)。2001年の同時多発テロはテロリストの犯行とされているが、その容疑者のほとんどが生き残っており、他の者がやったなどと証言している。アメリカが警察としてテロリストと戦う現在の構図は非常に胡散臭い。
イラク戦で懲りたイギリスは、議会においてアメリカとの特別な関係は終わりである旨決議した。現在、イギリスは中国、ロシアなどに媚をうり接近している。イギリスの後釜を狙っているのが日本の安倍政権なのである。
今回米大統領選に落選したクリントン候補は、ウォール街と軍産複合体に深く食い込んでおり、エスタブリッシュメントの支持を受けていた。だからトランプは孤立主義だと批判されていたのである。
(15)トランプ米大統領誕生の本質(その4 東アジアの行く末)
トランプ米大統領はTPP脱退を表明した。また、トランプはFTAなどにも反対しており、もって今後においても非公式協議を好むと思われる。
   なぜならTPPはエリート層、つまりエスタブリッシュメントたちの国際的取り決めを優先するからである。TPPはその典型であり、その秘密交渉は連邦議員ですら見ることが叶わない。また、TPPではグローバル企業に対する内国民待遇を求める。国内企業並みに扱うことを要求するのである。しかし、国内企業は国内法規に規制されるが、グローバル企業に対しては内国民待遇でありながら国内法規は適応されない。
そして、TPPの交渉文章は妥結または決裂後、4年間公表されない。覚書などについても連邦議員レベルまで秘密とされている。他方、アメリカの上位600社の企業顧問に対しては常時アクセス可能であり、ルールブック自体がアメリカの上位600社の注文を受けてつくられたものであるといってもよい。
トランプ米大統領は、日本に対してはこれまでのやり方、つまりルールなどを非公式協議で取り決めしてきた経緯をそのまま継承すると思われる。例えば、TPP交渉中に担当者同士で往復書簡のみをもって取り決めが結ばれ、それが日米間のルールとなったこともあった。韓国に対しても概ね日本と同じような扱いをすると推測される。
トランプ米大統領は、アメリカの雇用を日中両国が奪っていると主張する。しかし、米中の経済摩擦は深刻化する模様を呈しているが武力衝突の可能性は低いと考えらえる。なぜなら中国は米国債を1兆1157億ドルほど(昨年10月末)保有しており、経済的、あるいは政治的に相互依存度が高いためである。
アメリカが日本から撤退すると中国との紛争が生じる可能性がある。東アジアの覇権を追求する中国は日韓の防衛を無条件に担わないというアメリカの方針をよしとし、南シナ海などでの行動を活発化させると思われるからである。それに対し、東アジア(特に日本)におけるアメリカの軍事プレゼンスを必要と考える安倍政権はチャンスとみなし、アメリカを引き留めるため工作として意図的に中国との武力衝突を生じさせる可能性がある。
オバマ元米大統領は、尖閣は日米安保の範囲といっていた。しかし、日米安保については日本が「施政権」を有する場所のみの適応であり、一旦占領され施政権を失ってしまうとその場所においては適応されない。よって尖閣が中国に占領された場合、日本が自力で奪い返さなければならないのである。
安倍首相は中国との間の戦争について局地戦を想定している。しかし、そうにはならない公算の方が大きい。中国人は皆、過去、日本人に2000万人の同胞が殺されたことを知っており、未だ反日感情は強い。局地戦であったとしてもひとたび戦端が切り開かれてしまうと2000万人の同胞を殺された恨みで中国は徹底抗戦し、核兵器の使用も可能性も否定できないのである。また、中国共産党などは日本が完全にひれ伏すまで戦う方針をとり続けるであろう。
いま安倍政権はそのような火遊びをしているのである。
安倍政権樹立とトランプ大統領の誕生によって南シナ海における武力衝突の可能性が増してきた。そういった意味で安倍首相とトランプ米大統領との組み合わせは最悪なのである。
(16)トランプ大米統領誕生の本質(その5 米中関係の行く末)
日本、中国が不公正な貿易をして、さらにメキシコに工場を建ててアメリカの製造業や労働者を苦しめるとキャンペーンを行う。これは、時代ごとのマイナスイメージをごちゃ混ぜしているものである。日本との貿易摩擦については1980年代のできごとであり、メキシコの工場化については1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)によるものであった。
トランプ氏の大統領当選で、為替が105円/ドルから101円/ドルに高騰した。しかし現在は120円/ドル台で落ち着いている。
今後の為替相場については、トランプ政権は早速、シンボル的な政策を実行しており、旧来の貿易摩擦のイメージをもって中国、日本たたきを行っている。よって国際的資金は円高に向かうであろう。また、トランプ大統領がドルが高すぎることで雇用を失っていると強調するとドル高の是正に向かうと思われる。つまり円高になるのである。
そして逆にFRBが利上げする可能性あるのだ。利上げをするとドルが強くなる。つまり円は安くなる。要は、為替の行く末についてはどっちの力が強いかで来まる。
日本はドルが強くなり円安になったら製造業は大丈夫である。しかし、中国の立場からいえばどちらでも困るのである。つまり製造業が叩かれたら困るし、利上げをされたら中国のバブルを支えるドル建ての借金を投資家が中国から引き揚げる可能性があり、中国のバブル自体が終焉を迎える可能性があるからだ。
2015年の夏、中国の株式バブルは終わった。しかし、中国政府は株を暴落させなかった。強権をもって株の売買を制限したのである。今後、投資家たちは、中国株には手を出さない状況になるであろう。なぜなら自由に売り買いできないからである。
現在、株市場から流出したマネーが不動産市場に流入しており、今後も中国の不動産バブルは継続する見込みである。
中国のバブルは海外からのドル建ての資金で回っており、ドルの金利が上がると中国バブルはしぼんでいくのである。これは中国がいくら国内で強権を発動しても阻止できない。資金は皆、中国から逃げ出していくのである。
トランプ米大統領の中国に対するイメージは混乱している。「為替操作国」として中国を叩こうとしているのである。現在においても中国は完全な変動レートにはしていない。人民元は中国政府のもとでちょっとづつしか動かない。それは中国経済が輸出依存型であるからであり、ある程度、元安である必要があるからである。よって中国政府は人民元を完全なる変動相場へ移行させず、準変動相場制の政府管理下にしたのであった。それでも中国経済の好調でじりじり人民元が上がっていたのである。
ところが一昨年あたりから人民元が下がり出した。中国政府は下がりすぎれば資金が海外に逃げると焦り、人民元が下がりすぎないよう介入していたのであった。かつては人民元を安くするため元売り介入をしていた。つまりドル買い介入していたのだ。このことをトランプ米大統領は為替操作と批判しているのである。しかし現在の中国がやっていることはまったく逆のことであり、人民元安抑制のため人民元買いの介入をしている。中国が持っているドルを売る。つまり米国債を売りながら(外貨準備高を急激に減らしながら)人民元を買い支えているのである。
トランプ米大統領は、人々がそういった中国の動きを察知しないととたかをくくり、実際とは逆のことを言っていたのであった。虚実取り交ぜていたのである。
そしてアメリカがもう一段、金利を上げると人民元がもっと弱くなる。中国はさらに買い支えなければならなくなる。そうなると中国はさらに外貨準備高を減らしてしまいう。資金が海外に逃げることになる。今はその瀬戸際である。
しかし、アメリカは中国と本気で喧嘩は出来ない。中国が米国債を一気に売るとアメリカは財政危機に陥る可能性がある。根本的な敵対関係にはなれないのである。
(17)ユーロ危機の本質(その1 ソブリン危機に至る背景)
ユーロ危機などヨーロッパの現在情勢を知ることができた。
2009年、ギリシアでの政権交代により(ユーロ危機につながる)ギリシア危機が始まった。ギリシアでは政権交代によっていままでの政権が行っていた悪事が明るみとなったのである。その暴露の中にはギリシアが赤字財政を粉飾していたことなども含まれていた。その暴露がギリシア危機を誘発させたのである。
ギリシアの赤字財政粉飾の発端はユーロの仕組みにあった。元々バラバラの通貨をつかっていたユーロ諸国が集まって一つの通貨をつくった。それがユーロである。条件を満たさなければ参加ができない。条件は財政赤字の状況やインフレ率などであった。財政赤字大きいと参加させてもらえない。また、加入国にあっても財政赤字が続くと罰金等の処罰が下るのである。
そして赤字の規模についてはGDPに比べて累積赤字が60%以内、毎年の赤字が3%以内と決まっている。日本については完全にアウトの水準である。日本は100%を超えている。
ギリシアはユーロに参加するにあたり粉飾という不正行為を行っていたのだ。それは2000年ごろ、ゴールドマンサックスから指南をうけていたのである。2009年ごろ赤字財政の粉飾が明るみとなった時、当のゴールドマンサックスは先頭にたって「ギリシアは危ない」とギリシヤ国債を売り始め、空売りなどもしていた。それがもとでギリシア危機が生じたのであった。
その後、ギリシア危機の影響を受け、南欧諸国やアイルランドなど財政基盤が弱い諸国の国債が売られ始め、国債が暴落し始めた。それらの国は独自通貨を使っていた頃インフレが酷かった国でもある。
また、ギリシア国債はCDS投機の対象にもなっていた(最初のCDS投機の対象はGMの社債であった)。ゴールドマンサックスはギリシア危機による影響で瀕死となったAGIを国に救済させて、難なく金儲けができたのであった。
欧州債務危機とは、「欧州ソブリン危機」や「ユーロ危機」とも呼ばれ、ギリシヤ危機を発端とした債務危機がアイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアなど南欧に飛び火し、そしてユーロ圏、欧州全域へと連鎖的に危機が拡散した一連の経済危機のことをいう。これは欧州全体の金融システムまで揺るがす事態となったのであった。
マーケットにおいては、当時、債務問題の中心となった、ポルトガル(P)、アイルランド(I)、イタリア(I)、ギリシャ(G)、スペイン(S)を「PIIGS諸国」、つまりブタ諸国と呼んだ。
ギリシア危機においては、格付会社によるギリシア国債の格下げにともない、ギリシア国債に対するCDS取引が活発化しプレミアムが急上昇して皆、デフォルトリスクが高まったと受け止めるようになっていった。投資家は挙ってギリシア国債を投げ売りしたのであった。そして、それを契機にCDS投機が殺到し、財政危機がさらに悪化し、それがさらに南欧諸国及びアイルランドに飛び火する結果につながったのであった。
 金融市場は心理や確立、予想が動かしているのである。つまりギャンブルであり、賭けごとである。
   例えば、ケインズの「美人投票」の話が参考になる。これは、投資家の行動パターンを表す例え話しである。たくさんの写真(株)の中から最も容貌のもの(高値になるもの)を選ぶというものであり、自分(投資家)がそう思っていてもその写真(株)を選らばず、他の人たち(他の投資家)の予想を予想し、どの写真(株)にするかを検討するという話である。実際の金融市場では予想の予想の予想・・・などと4~5次元ほどの予想を重ねて売り買いされているのが一般的である。皆が同じ予想をするときは暴落するときである。株式、金融市場においては将来の予想が現在を決めているといっても過言ではない。
一旦こういった状況に見舞われた国においては、何ら逃れる手立てはない。
結局、ギリシア危機については、EUが緊急的に創設した基金をもって鎮静化するに至った。南欧諸国やアイルランドがブタ呼ばわりされたのも何らかの意図が働いていたと思われる。
(18)ユーロ危機の本質(その2 ギリシア危機の真相)
メディアは、ギリシア危機についてはギリシアの国民に非があり、債務不履行に陥った場合、ギリシア人が支払うべきとキャンペーンをはり、いつの間にかそんな国際的風潮が出来上がってしまっている。
しかし、その報道については騙しと脅迫の手段に他ならない。例えばドイツ人は週40時間未満しか働かない。それに対しギリシア人は週60時間働く。労働時間から見るとドイツ人よりもギリシア人の方が勤勉だったのである。また、累積赤字にてついてもギリシアの国民がつくったものではなく、時の政権の失政によるものである。
ギリシア危機の本質は、単位労働コストの伸びをみることで理解できる。(2010年~2011年)の単位労働コストの伸び100%とした場合、ドイツは100のまま横ばいである。これは生産性上げてきたが賃金は抑制が続いていたという状態を示す。
そしてギリシアは1.4倍である。実はこれをつぶすために仕組まれたのがギリシア危機であった。また、アイルランド、イタリア、スペイン、ポルトガルはなどがPIIGS諸国=ブタ諸国と呼ばれ叩かれたのも同様であり、それらの国々においてのきなみ端労働コストが1.3倍の伸びを示していた。生産性伸び悩んでいた割には賃金要求が激しかったのである。ようはアイルランドや南欧諸国は労組、労働者が強く、それを叩くため、労働者の力をそぐために仕掛けられたのが一連の欧州債務危機であると推測する。
(19)右傾化する欧州の行く末
昨年12月4日、イタリアでの改憲を問う国民投票が行われた。投票では改憲反対派が優勢であり、レンツィ首相は昨年12月5日未明、「結果を受けて責任を取る」と辞意を表明した。改憲の中身はイタリアの国内問題であったが、問題なのはレンツィ政権が崩壊することである。そうなると今後、イタリアでは五つ星運動など極右政党が政権につく可能性が出てくるのである。ヨーロッパにおいて極右政権がドミノ的に増える可能性が増えるのである。
イタリアは大手銀行が不良債権を抱えているという危機的状況にある。政権がいかにして銀行をつぶさないよう救済するかの瀬戸際なのである。総選挙において極右政党が勝つ公算が高く、仮にそうなった場合、皆、銀行が潰れると不安がる。ただ、マーケットにおいては実際にそうなる前に(ケインズのいう)群集心理が働く可能性が大である。つまり将来に対する予想が現在価値を決めることになる。皆が将来は悪くなると予想すると危機につながる。例えば皆が「株価、ユーロが下落する可能性がある」と考える。すると皆、「ギリシア危機のようにイタリアも危機に陥る可能性がある」と考えだすのである。
欧州における政治情勢であるが、昨年12月4日、オーストリア大統領選では極右政党の、自由党のホーファー候補が「反エスタブリッシュメント」「反難民」を訴えて選挙戦を闘ったが、僅差でリベラル系の「緑の党」ファン・デア・ベレン候補に敗退した。今後、3月にはオランダで総選挙があり、4月にはフランスで大統領選、6月にはフランスで国民議会選挙、今秋にはドイツで連邦議会選挙がある。トランプ氏の米大統領選勝利で排外的極右が伸びる可能性がある。そうなった場合、ユーロ解体論が大々的に浮上し、欧州全土の排外的活動が活発化することが予想される。
(20)アジア通貨危機など恐慌の真相
アジア通貨危機などの真相も知ることができた。
1997年~1998年にかけて東アジア諸国(韓国、マレーシア、インドネシア等)が通貨・金融危機に陥った。日本においては山一証券が倒産した時期にあたる。
きっかけは、タイ・バーツの暴落であった。投資家たちはタイに似ている国は危ないと連想した。そう予想した投資家らが一斉に資金を引き揚げた。自分は危なくないと思っていても、他の投資家が危ないと思うと予想の予想をして逃げ出すのである。その結果、アジア諸国から資金が流出していったのであった。
それまでは東アジアの諸国には資金が集中し、IMFなども危機の二週間前まで「アジア諸国の経済は健全である」とのレポートを出していたほどであった。
しかし、危機後においては皆、危機は東アジア諸国の「クローニー資本主義」が原因と批判するようになった。クローニー資本主義とは権力者の縁故や家族関係が大きな力を持つ経済体制のことである。新古典派の経済学者や国際機関から、アジア通貨危機を誘発した構造的な問題として批判されることとなった。インドネシアのスハルトやフィリピンのマルコス政権などがよく引き合いに出されている。
このことについては投資家のソロスとマレーシアの首相マハティールが論争を繰り広げたのであった。
アジア諸国は国際的な資金と比べ経済規模が小さく、一度目をつけられると防ぎようがない。投資しているエリート層は国境を超え、介入してくる。資本側の国債連帯は頑強である。これは国際的な階級闘争ともいえる事態でもある。
(21)日本のバブル景気(その1 バブル崩壊の背景)
日本において生じたバブル景気の仕組みなども学べた。
バブルは何れも過剰金融で起きている。その時々のバブル経済においては、その時々に新たにできた技術が使われる。皆が、今度こそ暴落しないと錯覚してしまう。
ハーバード大学教授のケネス・ロゴフ氏が金融バブルの歴史本を書いた。題目は「今回は違うぞ」である。17世紀にオランダで起きたチューリップバブルのことから書かれている。
日本においては1990年代、バブル景気、平成景気と呼ばれるバブル経済が発生した。それは、「プラザ合意」に端を発している。1980年代前半は250円/ドル台だった。その当時、レーガン米大統領が強いアメリカつくると、軍拡(強い米軍)と高金利政策(強いドル)を実施していた。また、日本は1980年代が製造業のピークを迎えており、逆にアメリカは貿易赤字の一途を辿るという状況であった。
1985年9月、アメリカ・ニューヨークのプラザホテルで先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議が行われ、アメリカの要請で過ぎたドル高を是正するため参加各国が提携してドル安協調介入することが合意された。いわゆるプラザ合意である。日本を含む参加各国は皆協調してドル売り介入に転じ、2年の内に120円/ドル台へと下がり、円の価格が二倍となった。
それに対し、日本の製造業は売値を二倍にすることなく耐えしのび、例えば売値が5000ドルのものだったら6000ドル程度に抑えつつ、円高対策として大急ぎで生産工場をアメリカに建設をした。その結果、日本の製造業の空洞化を招いたのであった。さらに日銀はプラザ合意に金融緩和が含まれていたことや日本経済の成長が鈍化していたことなどを鑑み、金利の引き下げを行った。以降、約20年間にわたり日本においてはアメリカより低い金利が続いたのである。
この副作用がまさに平成バブルなのでああった。
東京の賃料や地価は軒並み高値を呈しており、多数の者が転売を狙いの土地ころがしなどを行っていた。それは不況対策などで金利を引き下げたことによる過剰金融が原因していた。1989年、三重野氏が日本銀行総裁に就任する。当時はバブルのピークであった。同年12月、日経平均株価は3万8915円という史上最高の高値をつけていた。大都市圏では不動産価格や家賃が急騰し、1億円を超える住宅などの販売も続出した。そして資産を持つ者と持たざる者の格差が拡大し、持たざる者からの悲鳴、怨嗟の声が上がっていた。
三重野氏は就任直後から急激な金融引き締めに踏み切る。同年12月に公定歩合(当時の政策金利)を3.75%から4.25%に引き上げた。その後、1990年3月に5.25%、同年8月には6%に引き上げた。三重野総裁はバブル退治に邁進する「平成の鬼平」ともてはやされた。
大幅利上げで株価も地価も下降に転じる。日経平均株価は1990年に入ると急落し、同年10月には一時2万円を割り込んだ。地価などの騰勢も鈍化し、1991年をピークに長期の下落基調に転じた。いわゆるバブルの崩壊であった。
その後、バブル崩壊の副作用が日本経済を襲う。不動産担保の融資は担保割れし、銀行の不良債権が急増した。日銀は同年7月、さらなる利下げに転じたが、土地や株などの資産価格の下落は止まらなくなっていた。それを境に日本経済は低迷期に入っていったのである。
平成景気の崩壊後、日本では確かに住宅は再び庶民の手が届く存在になった。しかし、急激な金融引き締めは日本経済長期低迷の要因の一つともなっていった。三重野氏のバブル退治の功と罪である。
(22)日本のバブル景気(その2 狙われた日本の銀行)
1990年、商業銀行に対する世界的な規制、BIS規制がつくられた。
それは、国際業務を行う銀行の自己資本比率に関する国際統一基準であり、「バーゼル合意」ともいう。BIS規制では、G10諸国を対象に自己資本比率の算出方法や、(自己資本比率8%以上の)最低基準などが定められた。BISとは国際決済銀行のことである。スイスに所在する。そのはたらきについては各国間における中央銀行相互の決済をするものであり、銀行の監督などをしている組織である。
このBIS規制の真の意図は、日本の銀行に向けられたものである。1980年代、日本の景気はバブル景気にあり、日本の大手銀行は挙って預金獲得競争をしていた。1980年代ごろまで日本の銀行の評価基準は預金量であった。バブル景気の最中、日本の銀行は膨大な預金をもって外国資産などを買いあさっていた。それに目を余した欧米が日本の銀行叩きとして行ったのがBIS規制である。
欧米ではいつでも引き出せる預金は不安定資金と考えられている。自己資本率とは、銀行が持っているお金は大きく分けて「自己資本」と「他から借りているお金」の2つに分類できる。自己資本とは、銀行が自分で株を発行して調達したお金(資本金)、これまでの利益の蓄積、株などを買ってそれが値上がりして得た利益、所有している土地や建物など他人に返さなくてもいい自分のお金のことである。「他から借りているお金」 とは、銀行が国民から「預金」という形で集めたお金や、日本銀行から借りたお金をさす。他から借りているお金(企業などに貸し出しているお金なども含む)と保有している株などの資産、自己資本などを合わせたものを「総資産」という。つまり自己資本÷総資産×100=総資産に占める自己資産の割合を自己資本率というのである。
例えばある銀行の自己資本が8億円で、貸し出している金額・保有株の総額が合計で92億円だとすれば、この銀行の総資産は100億円で自己資本率は8%となる。
それが、BIS規制があるため、自己資本が少ない銀行はあまり貸し出しすることができない。それでも企業などに貸しているお金が戻ってくれば、銀行は別の企業などにお金を貸すことができる。しかし、バブル景気崩壊後においては、融資を受けた企業は銀行に借金を返すことができない。ということで銀行は貸し出す資金を枯渇させていったのであった。
銀行がお金の貸し出す量を増やすということは、その分のお金を 「預金」 、あるいは 「日本銀行から」 という形で借りなくてはならない。しかし、銀行が他からお金を借りるということは、総資産(他から借りているお金+自己資本)が増えることになり、自己資本は変わらないので、自己資本率を減らすことになる。
さらに、銀行は不良債権を処理して、戻ってこなくなったお金は自己資本で穴埋めしなくてはいけない。なぜなら自己資本が減ったとしても預金者に対してはきちんと預金の引き出しには応じなければならないからだ。 
その結果、自己資本比率はさらに下がる。不良債権の処理は、銀行の自己資本率を減らすのだ。
自己資本率を増やす方法は2つ。①株価などが上がらない限り、銀行の自己資本は増えない。不景気の世の中、株価が上がるのは期待できない。そこで、日本政府が銀行に資本注入する。②分母の総資産を減らすということは、他から借りているお金、つまり銀行が貸し出しているお金を減らすということだ。だから、銀行が貸し出す量を減少させる。それは貸し渋りを意味する。そして預金などを集めて余ったお金を日銀に返済する資金にまわせばよいのである。
その結果、日本経済は平成不況と呼ばれる長い不景気の時代に入っていくこととなった。そして日本経済は新自由主義の方向へと大きく舵を切っていくことになるのである。

2,感じたこと
(1)経済理論については、何か一つの学説や通説をもってすべての社会や経済を説明し語るなどということは叶わない。そう感じた。なぜならそれぞれの理論にはそれを提唱したそれぞれの人が生きた時代状況、立場、価値観、視点などが大きく関係しているからでる。
   例えばアダム・スミスには、アダム・スミスの生きた境遇や環境、時代、社会がある。重商主義的政策により金の蓄積することが国富であるとの風潮が色濃く残る大英帝国に生まれ、まさに産業革命がいま始まり漸進的派展を遂げていくという中で「本当の富とは何か」という視点を追求し自身の経済理論をつくりあげたのであった。
マルクスにおいては資本主義が成長する過程、つまり西欧においても未だ資本主義が成熟していない状態の中、封建的風潮が色濃く残るプロセイン王国に生まれ、産業革命と資本主義革命の風が巻き起こる西欧に生き、多くの人々が搾取と貧困に喘ぎ、かつ自身も弾圧によってドイツ、フランス、イギリスなどを転々せざるを得ないという状況の中で、生産現場に焦点をあてて経済理論をつくり発展させたのである。
ケインズは大英帝国が没落する中、二度の大戦を経験し、大恐慌の嵐が吹き荒れる中で自身の経済理論をつくりあげた。フリードマンにはフリードマンの、ピケティにはピケティのそれがあるのである。だからそれぞれの理論においては違いや齟齬、ズレなどがあって当たり前なのである。
これからは、拠り所とするような自明な理論などは持たず、学ぶべき経済理論については、その理論そのものだけではなく、俯瞰的視点をもちその理論が提唱された時代や背景事情などについても理解を深めていきたい。
(2)この世の中の在り方は経済によって左右されている。そう痛感した。
18世紀までの封建社会までは、誰が支配者で、誰が被支配者なのかはっきりしていた。しかし、18世紀の市民革命を経て成立、発展した近代民主主義の世の中では、それが見えにくくなってしまった。
現代民主主義においては、立憲主義や議院内閣制のもと個人の権利・自由の保障がうたわれ、いかにも市民社会が成立しているような様相が整っている。しかし、その内実については、いまだ19世紀の国際金本位制における支配構造が継続しているように思える。つまりケインズのいう投資家階級、企業家階級、労働者階級による階級社会にあり、いまだに投資家階級による支配が続いているように感じる。それをいま風にいうとエスタブリッシュメントによる支配である。
19世紀においては、国際金本位制が安定し機能する中で、イギリス、シティの投資家階級が利潤・利子・配当金など不労所得を求め、挙ってインドなど植民地やアメリカ、アルゼンチンなど発展途上への資本輸出に興じていた。その利潤を生みだし、可能とする社会体制を確たるものにしていたのが覇権や脅迫、欺瞞、偽り、つまり帝国主義や国際金本位制だったと考える。
現在においてもその支配の構図は変わっていない。国際社会体制やエスタブリッシュメントの顔ぶれ、そして搾取のやり方、覇権のあり方、脅迫、欺瞞、偽りの仕方などが変貌しているだけである。要は、その連中は金融で儲けている。というか金融でこの世の中を食いものにしているのである。それがもとで被支配者側の人々、すなわち労働者は、連中の金儲けによって引き起こされる景気の浮揚、後退、恐慌、戦争、政変、格差、貧困などアクシデントに都度、苛まれてきたのである。
それを例えると18世紀までは「封建権力の物語」であり、18世紀以降において「金融権力の物語」が始まり紆余曲折(一次大戦まで、戦間期、二次大戦後から70代まで、70年代以降)を経ながらも、現在もなおその物語が続いているのである。
それを本講義で国際金本位制の仕組みや世界金融恐慌などバブル景気の背景、ショックドクトリン的手法の実態や全容などを学ぶ中で痛感させられた。
(3)これからはマルクス経済学も批判的に読んでいこうと思っている。というよりも「これは正しい」とのお墨付きがあるものに対しては特にそうしていこうと思う。
また、いままで語られてきた「マルクス、レーニン主義」がどういうものであったか、その本質を理解する必要があると感じた。そのためにアイザック ドイッチャーの「トロツキー伝三部作」を読んでみようと思う。
(4)10月17日の第3講の中での「マルクス経済学の剰余価値論の元になっているのは労働価値説であり、商品の交換価値の説明にはならない」との説明については、よく理解できなかった。
現在においても資本論についてはまともに読めておらず、もって交換価値や使用価値について理解が浅い面がる。ついては、「経済学批判」や「資本論」「賃金労働と資本」、「平和の経済的帰結」「雇用、利子および貨幣の一般理論」などの解説本、そして先生の「貿易・貨幣・権力―国際経済学批判」(既に購入済み)などを読んで自分なりに考えてみたいと思う。

3,考えたこと
(1)これからの自分の研究テーマは「貨幣」と「金融」に絞ろうと考えている。まずは一番根源である貨幣、つまりお金というものを考えていきたい。
現在、JPモルガン新興市場部門ヴァイス・プレジデントという立場で世界金融危機などを体験したカビール・セガール氏が書いた「貨幣の『新』世界史」という本を読んでいる最中である。この本は、経済史、生物学、心理学、脳科学、人類学、宗教、芸術などあらゆる分野にわたる最近の研究を駆使して貨幣について語るものである。
この本を読みながら、そもそも交換の道具であったお金がなぜ人々を貨幣蓄蔵の衝動に駆りたてるのか。そして、そもそもお金はどのようにして生まれ、どのように成長を遂げてきたのか。これからどう発展していくのか、などを想像している。
それを解き明かし、理解するためのカギは、(進化の過程で行ってきた生物の交換行為なども含んだ広義な視点からみた)「交換」というものの理解と人間の表象的思考やホモエコノミクスに影響を与えてきた「側坐核」の発達過程やそのはたらきの理解などだと考える。とりあえず、貨幣や金融などに関する書籍などを読みあさろうと思う。
(2)そのうえで銀行家「ヒャルマル・シャハト」について研究していきたい。
   現在までに評論家の武田智弘氏が書いた『ヒトラーの経済政策』、『マネー戦争としての第二次世界大戦』などの書籍を読み、シャハトの「国際経済に一人勝ちはない」(ケインズも一方的な黒字貿易を「近隣窮乏政策」であるとして批判している)、「経済政策とは理念でなく、現実である」という言葉に感動をおぼえ、また、シャハトのレンテンマルク発行による事実上のデノミ政策、労働手形の発行による財政政策、特別マルクを発行し貿易量を拡大させた「ニュープラン」、物々交換による貿易圏の確立、拡大など数々の華々しい施策について感銘をうけた。
   しかし、シャハトがそれら政策を行い成功させたという事実は書かれてるものの、なぜ成功したのか、その具体的な事由や理屈などについては書かれてはいなかった。
   本来、経済というものは「經世濟民」するためのものである。シャハトの思考や数々の神がかり的な施策はそれを追求したものであり、それを理解することで、經世濟民を叶える経済はどういったものなのかがみえてくるような気がする。そのためにもシャハトについての研究をしていきたいと考える。
以 上

社会的連帯経済をめざして-3.25シンポジウム-

3.25シンポジウム 社会的連帯経済を目指して
3.25シンポジウム案内[PDF]

3月25日シンポジウム式次第
開場 12時30分 / シンポジウム開始 13時
司会 細野直也

大阪労働学校アソシエ学長挨拶 本山美彦 
主催団体挨拶(シンポジウム開催の目的) 津田直則

パネルディスカッション
進行係 津田直則
パネラー(大阪広域ネットワークより)       
 連帯労組関西地区生コン支部執行委員長・
 中小企業組合総合研究所代表理事
 武 建一
パネラー(東海三県ネットワークより)             
 地域と協同の研究センター専務理事
 向井 忍
パネラー(新潟県ネットワークより)
 にいがた協同ネット代表・新潟大学教授
 渡邊 登
 ささえあいコミュニティ生協理事長・
 日本高齢者生協連合会会長
 高見 優

休憩
質問・討論 
終了(しめの挨拶)
山元一英 16時

開催場所:大阪労働学校・アソシエ(学働館・関生) 大阪市西区川口2-4-2
主催団体:大阪労働学校アソシエ・社会的連帯経済研究会
共催団体:ソウル宣言の会・関西