月別アーカイブ: 2017年9月

社会的連帯経済の研究

社会的連帯経済を様々な書物に基づいて研究していきます!
場所 大阪労働学校アソシエ(阿波座駅)
日付 10月27日18時〜
参加費 無料

 

主催者は以下の通りです。
細谷 正太
山本 哲哉
トモサカ アキノリ
斎藤 日出治

 

以上の4名から社会的連帯経済に関する研究報告及び発表がございます。また、ご連絡いただければ、発表できます。

批判や議論が前提とされておりますので、
社会的連帯経済入門
か以下を流し読みで良いので読了してください。

http://www.shukousha.com/category/column/hirota/

フランスー連帯経済と社会的経済

 

以下は、今までの発表した資料です。
1回目の発表資料
細谷 正太
社会的連帯経済入門ー批判(社会的連帯経済入門の2章まで、もしくは集広社のサイト10回目を予め目を通したことを前提とした文章です。)
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4QnQ4bG9lZ0sxVDA/view?usp=sharing

 

2回目
細谷 正太
「国家哲学を体現する企業=思想の実験的試みと公役務」
https://docs.google.com/document/d/17YBsutVvCwV5yR8XAXZw3q71QuVYud2NTVFYWb8HOa0/edit?usp=sharing
斎藤 日出治
「私的所有の社会から社会的連帯経済の社会へ」
https://docs.google.com/document/d/1Dl5VtPiW39Bq2oyx36vHr7zCgGRsTTJryAYU4tOLAFk/edit?usp=sharing

 

3回目
細谷 正太
産業組合の歴史から社会的連帯経済への可能性を模索する
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4TzIwUWo1VFZ0Yms/view?usp=sharing
斎藤 日出治
競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へー大阪産業大学経済論集第18巻
https://docs.google.com/document/d/1TZQYQd76jzh7lRuicfp1Yc9xpEPWnkHjx1K7SclWgiY/edit?usp=sharing

 

4回目
細谷 正太
第三セクターの存在的機能(試作1)
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4N0d4R0ZYLVdYMmc/view?usp=sharing
トモサカアキノリ
『戦間期日本の社会思想──「超国家」へのフロンティア』
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4OC02MGFuSzlMblU/view?usp=sharing
斎藤日出治
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4S2tBZ3JrcUhnOTA/view?usp=sharing
こちらは、社会的連帯経済に関する論文等です。参考にしてもらえたら幸いです。

 

参考資料
フランスー社会的連帯経済法
社会的経済の促進・世界の動向
地域通貨から補完通貨へ
協同組合と雇用:世界報告
協同組合理論の展開と今後の課題
産業組合拡充運動と産青連
産業組合法の制定とその意義
戦前の東京における町内会
フレシキュリティと移動的労働市場のアプローチ
フレクシキュレティ:デンマークにおける労働組合の見解
もう一つの国民の家(上)
もう一つの国民の家(中)
もう一つの国民の家(下)

10.28シンポジウム

「イタリアの連帯思想とその実践-社会的連帯経済のネットワーク形成に向けて―」

協賛および参加のお願い

 

日 時 2017年10月28日(土)13時~15時30分

場 所 学働舘・関生(大阪市西区川口2-4-2)

講 演 「イタリアの連帯思想とその実践」 ジャンフランコ・マルゾッキ氏

協 賛 一口5千円から

資料代 一人1千円(学生・非正規労働者は一人5百円)

 

前略 平素は当労働学校の活動にご支援・ご協力を賜り誠にありがとうございます。

私たちは10月28日にイタリア・ボローニャ大学のジャンフランコ・マルゾッキ教授をお招きし、10.28シンポジウム「イタリアの連帯思想とその実践-社会的連帯経済のネットワーク形成に向けて―」を開催します。

 

イタリアから講演者を招いたのには理由があります。イタリア協同組合は150年以上の歴史を持ち、労働者協同組合も140年の長い歴史を有しています。非営利組織からなる非営利セクターは「社会的経済」と呼ばれており、井上ひさし著『ボローニャ紀行』で有名なボローニャの町は協同組合の町で、そこから列車で30分のイモラの町は人口12万人余りですが、100以上の多種多様な協同組合が集まる協同組合の町であり、同時に150以上のアソシエーションその他の非営利組織からなる社会的経済の町です。驚くべきことに、この町の市民は自分たちの町が協同組合の町でありかつ社会的経済の町であることを皆知っているのです。それだけでなく、イタリア市民には一般に社会的経済という言葉の意味を知っている人が多いようです。

 

このように協同組合や非営利組織の長い歴史を持つイタリアにはそれと関係する「連帯」という言葉も歴史を持っており、その理念には広く深い意味が含まれています。単に団結!といった掛け声だけではありません。協力しあい連帯しあって、連帯の理念を実現する制度やシステムや法律が企業レベルから国法レベルまであるのです。マルゾッキ教授はイタリアの社会的経済を研究面・実践面で推進する第一人者です。スペイン・バスクのモンドラゴン協同組合も類似の連帯の思想と実践の歴史を持っていますが、資本主義の競争システムとは異なる連帯の思想と実践についてイタリアから学ぶことが今回の講演の第一の目的です。

 

マルゾッキ教授を日本に招くことになった理由にはもう一つあります。それは日本の協同組合並びに非営利組織の横のつながりを協同・連帯というレベルでさらに拡大し一歩進めることです。日本にはまだ協同組合全体の連合会はありません。また非営利組織全体のつながりを拡大・強化する運動体もありません。政府には、協同組合や非営利組織に会社法を適用し、これら組織を分断・統治し株式会社の活動領域を拡大する、という隠された方針があります。これに対抗するためには協同組合や非営利組織がネットワークを形成し協同・連帯の流れを強めるしか方法はありません。すでに私どもは非営利組織の全国ネットワーク形成に取り組み始めています。イタリアの連帯思想と実践の講演がそのきっかけになることを念じてやみません。

 

是非、本シンポジウムにご協賛、ならびにお一人でも多くの方がご参加くださいますようお願いいたします。

 

大阪労働学校アソシエ・社会的連帯経済研究会代表 津田直則

後期の授業時間変更について

後期の富永京子先生の授業時間変更について

ようやくしのぎやすい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
後期の大阪労働学校アソシエで開校する富永京子先生の講座についてです。
予定しておりました10月9日から隔週月曜日に行う講座が変更になりました。
後期は、10月12日、10月26日、11月9日、11月23日、12月7日、12月21日、1月11日に行います。
時間帯と場所は、前回と変わっておりません。
ご参加の方よろしくお願いいたします。

大阪労働学校アソシエ事務局

関西生コンの社会闘争が切り開いた地平

競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へ

 

斉藤日出治(大阪労働学校アソシエ講師)

 

まえがき
以下に掲載するのは、2016年9月16日に協同会館アソシエでおこなわれた組合総研中小企業総合研究所の職員研修で筆者が行った講演「現在の危機をどう読むか、それにどう反撃するか-関西生コンが切り開いた地平」を文章化したものです。
はじめに
20世紀末から急進展したグローバル化は深刻な危機に直面している。グローバル化は、所得格差、地域格差を拡大し、中産階級を崩壊させ、大量の移民・難民を創出し、宗教紛争・民族紛争を激化させることによって、ついに反グローバリゼーションの反動を呼び起こした。イギリスのEU離脱、米国におけるトランプ大統領の誕生、ヨーロッパ諸国における極右政党の台頭は、グローバル化の隘路に直面した諸国の反動を物語っている。この反動は、グローバル化の隘路を主権国家の強化によって打開しようとする。流入する移民・難民を排除し厳しく取り締まる、自国民の雇用確保を優先する、といった排外主義的な政策が強化される。
日本も同じ流れに棹さしている。経済の新自由主義的進展がもたらした雇用の不安定化、貧困の増大、所得格差と資産格差の拡大は、社会の監視の強化、治安の強化、そして国家の軍事化と排外主義への動きを強化し、立憲主義の危機、神権的国体論を触発している。
新自由主義とは社会を市場の競争原理に委ねるシステムであり国家の非介入を原則とするにもかかわらず、新自由主義の行き詰まりが国家の軍事化および治安の強化と連動し、ひとびとの市民的自由を抑圧する動きが高まっている。本論では、このように一見すると逆説的にみえる経済と国家の動向を市民社会の共進化という視点から再考する。この再考によって、経済における市場原理の進展と、国家における権威主義の台頭と、市民社会におけるポピュリズムという大衆的熱狂が相乗効果をともなって増幅する新自由主義の社会危機の動態を究明する。その究明を踏まえて、この社会危機を乗り越える連帯と協同の新しい共進化の方向を提示したい[1]。

 

一 市民社会の共進化―D・ハーヴェイ
あらゆる社会領域への市場競争の浸透が社会生活を脅かし格差を拡大する動き、国家が経済に従属すると同時に軍事化傾向を強め権威主義化する動き、そして社会における排外主義、社会的弱者に対する憎悪、ヘイトスピーチが高まる動き、これらがたがいに反響しつつ社会の破局的な危機を引き起こしつつある現代世界をどのようにとらえたらよいのだろうか。
本論では、この社会危機を認識する方法論的な手がかりとして、デーヴィッド・ハーヴェイ[2010]の市民社会の「共進化」という概念を援用したい。
ハーヴェイは、「共進化」という概念をマルクスの『資本論』から学んだ、と言う。マルクスは機械制大工業を論じた章で、機械という技術が社会の諸領域に及ぼす作用を、ダーウィンの進化論の方法を用いて読み解く。
マルクスはそこで、機械という技術が、人間の自然に対するかかわりかた、人間の生活諸関係の組織のしかた、世界を表象する精神的観念のありかた、労働と資本の階級関係のありかた、生産過程における労働者のありかた、ジェンダーや家族のありかたに、さまざまなかたちで作用を及ぼしつつ、それらのさまざまな領域がたがいに共進化して、資本主義の総姿態をかたちづくっていくことに注目する。
原動機-伝導機-作業機の自律したシステムとしての機械制大工業の出現は、労働者を、道具を使いこなす固有の熟練と技能を備えた職人の地位から機械のたんなる付属品の地位へと押し下げた。だが、やがて機械を操作する労働者の配置転換を促進するために工場立法が制定され、労働者の教育を義務づける。労働者の教育が広がることによって、固定した分業関係に縛られていた個人は、全面的に発達した個人へと転換する可能性を切り開く。女性や児童の労働への参加は、子供の教育のありかた、および家庭における性別役割分担のありかたにも大きな影響をあたえる。
ここでマルクスは相対的剰余価値生産の方法として機械制大工業をあつかっているのだが、機械の出現とともに、精神的諸観念、社会的諸関係、日常生活の形態、社会的諸制度、技術などの多様な活動領域がたがいに共進化する動態をつぶさに観察する。これらの活動領域は、「資本主義の歴史的進化の中でさまざまに共進化する。どれか一領域が他の諸領域を支配するわけではない。・・・・・これらの領域のいずれも、・・・絶え間なく更新され変容する傾向がある。領域間の関係は因果関係ではなく、資本の流通と蓄積を通じた弁証法的な絡み合いである。したがって、全体としての編制のあり方が社会生態学的総体性を構成する」(D・ハーヴェイ[2010]、邦訳一六四-一六五頁)。
共進化とは、生物学の用語で、複数の生物がたがいに作用を及ぼし合いながら進化を遂げていく過程のことを言う。ハーヴェイは、共進化においてそれぞれの活動領域が社会総体のたんなる部分として存在するのではなく、それぞれの活動領域が独立して運動し、その相互作用が総体をかたちづくることを強調する。それらの活動領域は自立して運動するだけでなく、それらの相互作用から影響を受け、その共進化を通してみずからの活動領域をかたちづくる。市民社会の共進化の動態的運動が、その結果として資本主義のかくある様態を生み出すのである[2]。
新自由主義的な資本主義の様態は、市民社会の共進化が特定のベクトルに向かって作動した結果として創出された。今日の市民社会は、国家に対抗する市民的公共性の領域でもなければ、市場経済から自立した市民の共同生活圏でもない。それよりもむしろ、市民社会は市場取引の諸関係に還元されるか、あるいは市場取引の諸関係を補完する領域へと還元されつつある。地域の自治組織が衰退し行政によって指導されるようになり、福祉・教育・医療などの公共的事業がビジネス化し、NPOやNGOの非営利・非政府組織も企業の市場取引や政府の事業を補完する役割を担うだけのものになりつつある。
市民社会のこのようなベクトルが共進化の作用を引き起こし、社会生活のあらゆる領域を市場取引の諸関係に還元し、国家の軍事化や権威主義化を推進し、社会諸関係の分断とひとびとの孤立化をおしすすめ、ひとびとの敵対関係を増幅させることになる。
このような特定の方向に向けて共進化する市民社会の動態が、日本の今日における経済構造の転換、および国家の政策転換と密接に連動している。

 

二 戦後日本における経済・政治・社会表象の共進化
-企業主義的調整・日米妥協・「戦後」という社会表象
日本の新自由主義的共進化の動態を考察する前に、戦後日本において確立された経済-国家-市民社会の共進化の構造について見ておきたい。敗戦後の日本社会は、経済と国家の相互補完的で独自な制度的構造によって編成された。

 

1 企業主義的調整と企業社会
戦後日本は、1950年代後半の戦後復興、1960―70年代前半の高度成長、1970年代後半から1980年代の輸出主導型成長を通じて経済成長を追求し、「経済大国」化への道を突き進んできた。
この戦後日本資本主義の成長経済を支えたのが、「企業社会」あるいは「会社本位主義」と呼ばれる日本に固有な労使間妥協と企業間関係の調整様式であった。まず、大企業の男性正社員を中心に経営者と労働組合のあいだに結ばれた特殊な妥協、それは経営側が労働者に長期の雇用を保障し、その見返りとして労働側に企業に対する無限の忠誠を求める、という雇用をめぐる労使間妥協であった。終身雇用・年功賃金・企業別組合という日本的経営のセットは、この労使間妥協を維持する制度的仕組みであった。この妥協によって、企業は不足する若年労働力を企業につなぎとめ、働きながら作業現場で技能を身につけるOJTという日本に固有な技能教育の慣行を創り出す。また、社員住宅、健康管理、社員旅行、保養所の整備、文化・スポーツ・福祉サービスの提供など手厚い企業内福利厚生によって従業員の企業との一体化を強化した。このような労働者の企業への全面的な包摂と労働者の勤労意欲の向上を通して、日本企業の生産性と国際競争力の維持が図られた[3]。
この労使間妥協が長期的に維持されるためには、企業が持続的に成長する長期的な展望が見通せなければならない。この展望を保証するものとして、日本資本主義に固有な企業間関係が築き上げられた。メインバンク制度と株の相互持ち合いによる<系列>と呼ばれる企業集団の組織化がそれである。
メインバンク制度とは、銀行が取引先の企業に対して資金を供与すると同時に、企業の投資を企画し管理し監視して経営の保護を図る、企業はその見返りとして銀行に収益機会を提供するという銀行-企業間の妥協である。また、企業は取引関係にある企業同士で株を相互に持ち合うことによって、企業同士の安定したつながりを築き、外国資本からの買収を防止する。このような金融妥協、企業間妥協によって、企業の長期的な経営が保証され、この妥協が企業内部の労使間妥協を支え、この重層的な制度的妥協によって、日本企業は、正規労働者の長期雇用を保障すると同時に、企業の国内外の競争力を維持・強化した。これが戦後日本の経済成長を支えた固有な制度化の重層的構造であった[4]。

 

2 日米間の制度的妥協-天皇制による国体の護持と軍事権の譲渡
だが、戦後日本の経済を支えた労使間妥協、銀行・企業間の妥協、企業間妥協という重層的な制度構造は、敗戦後の日本の権力構造をかたちづくる独自な国家間妥協の制度を基盤にし、その上に存立していた。
敗戦時に、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏した日本の指導層は、みずからの権力崩壊の危機に直面した。国内の左翼勢力が共産主義革命を起こす脅威とソ連の日本進駐による外部からの共産主義革命の脅威がそれである。日本の指導層はこの脅威に対処するために米軍の駐留を積極的に受容する。そして、その受容の代価として、皇位継承権を存続させ国体を護持することを占領軍に承認させた。占領軍にとっても、天皇制は日本の統治を進めるうえで必要なものであった。そのために、米国の軍事占領は1951年の日本の主権回復後も継続される。1951年の9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、そのわずか5時間後に日米安保条約が調印される。日本はその後現在にいたるまで米国の軍隊の駐留を容認した。日本の司法権力は、日米安保条約を日本国憲法や国内法よりも上位に位置づけ、米軍基地の治外法権を承認し続けている。この米国への軍事的従属は、沖縄に米軍基地の大半を押しつけることによって日本と沖縄との植民地主義的な関係を戦前と同じようにして継続させた。
日本は米国への軍事的従属と引き替えに、天皇の戦争責任を免責し、天皇を軸とした国内の社会統合をうちたてる。こうして、「天皇+米軍」(矢部宏治[2015])という戦後日本の権力構造が制度化されることになる。
米国は日本への基地建設によって、戦後アジアの極東戦略をうちたてることができた。それに対して、日本はこの米軍の核の傘の下で、軍事的負担を免れ、経済成長に邁進して、国力の回復を図る。さらに、朝鮮戦争、ベトナム戦争といったアジアの軍事的緊張を「特需」景気として利用し、アジア民衆の苦難を踏み台にして自国の経済成長を推進する。
要するに、日本に固有な労使間妥協、企業間妥協、銀行-企業の妥協は、天皇制と米軍の妥協的取引の制度化に支えられて存立していることがわかる。この日米間の制度的妥協を外交方針として示したのが、「吉田ドクトリン」であった。
冷戦下で軍事的緊張が高まると、米国は日本の全面的な武装解除の方針を転換して、日本に防衛費の増額と再軍備を求めるようになる。しかし吉田茂首相は日本国憲法の戦争放棄条項を楯にこの要求を拒み、防衛費を削減し、米国の核戦略の傘のもとで、貿易・技術革新を推進し経済成長への道を突き進む[5]。
日本に固有な労使間・企業間の制度的妥協の構造は、日本資本主義の欧米資本主義と対比される独自性をはらむものであるが、その構造が敗戦後の日本の独自な権力構造によって支えられているという認識は、とりわけ経済学のまなざしからは抜け落ちる。だが、矢部宏治[2015]が指摘するように、この権力構造は安保村、原子力村のような、政治家、財界、ジャーナリズム、研究者を巻き込んだ利権集団を組織し、戦後日本の経済と政治とイデオロギーの中核をなすようになる。日本の労使間妥協、企業間妥協の制度は、資本主義経済の骨格をなすと同時に、その構造を根底で支える権力構造を覆い隠すイデオロギー的な機能をも果たした。
この権力構造は、やがて1990年代以降の経済不況のなかで労使間妥協、企業間妥協の制度が動揺しはじめるとともに不安定化していく。

 

3 市民社会の表象と深層の社会意識
経済の制度的妥協の構造と国家の権力構造との相互依存によって編成された戦後日本の体制は、市民社会の独自な表象によって媒介されると同時に、その深層の無意識を押し隠す。
戦後日本の市民社会の支配的な表象は、国民主権と戦争放棄を謳った日本国憲法に依拠している。平和・人権・民主主義の理念が教育、メディア、政治に支配的な表象として浸透していく。だがその表象と併存するかたちで、国民統合の原理としての天皇制と、米国の軍事的統治の権力構造が日本の社会の深部に深く定着する。米国は軍事的な権力として定着するだけではない。都市型生活様式と消費文化を通して、ひとびとの生活の深部にアメリカが巣くうようになる。同じく、天皇制がメディアや消費財(「三種の神器」)のイメージを通して家庭の深部に浸透していった。
「天皇+米軍」の権力構造は、このようにして市民社会におけるひとびとの支配的な表象と共進化する。権力構造と経済の制度的妥協の構造が市民社会の表象を生み出すと同時に、後者が前者の構造を強固に支え媒介する。
だが、この市民社会の支配的な表象の深部には、日本の重層的な制度的構造によって隠された社会的無意識が潜んでいた。
それは、日本が「天皇+米軍」の権力構造を確立することによって手つかずのままに放置した戦前日本の帝国の原理であり、植民地主義の原理である。
一見すると、戦後市民社会の表象を支える日本国憲法は、この帝国の原理を清算したかにみえる。だが、日本国憲法はそれ自体が国体の護持と米軍への軍事的従属という権力構造のうえに成り立つ制度である。この権力構造は、戦前の帝国の原理をそのまま維持している。ただし、その原理は米軍への従属によって保証されている。白井聡[2013]は、この戦後の体制を「永続敗戦」と呼んだ。日本は帝国の原理を継承するために米軍に対する軍事的従属を続けることを余儀なくされる。それは敗戦を否認することを意味する。ポツダム宣言を受諾し、極東裁判を受容し、サンフランシスコ条約に調印したにもかかわらず、日本はその深層において敗戦を否認し続ける。そして、敗戦を否認するがゆえに、米国への軍事的従属を持続させる[6]。
だが、敗戦の否認は、米国に対する敗戦の否認である以上に、アジア諸国に対する敗戦の否認であった。それは同時に、アジアに対する侵略戦争と植民地主義の肯定を、さらにこの植民地主義支配と侵略戦争が行使したおびただしい日本の国家犯罪の肯定(アジアの民衆虐殺、性暴力、細菌戦、生体解剖、略奪、村落破壊など)を意味した[7]。
ただし、この敗戦の否認と国家犯罪の肯定の意識は、戦後日本の経済的な妥協の制度、および日米妥協の権力構造に支えられて、市民社会の表象に浮上することなく、その深部に沈殿した。
さらに、この制度的構造に照応する歴史的時間意識が築き上げられた。それは、自国の侵略戦争を被害として記憶する歴史記憶の集合的表象である。日本人は、敗戦をみずからにふりかかった災難=被害と受け止め記憶する。疎開、空襲、飢え、被爆、窮乏生活といった被害の記憶によって過去の戦争がたどられ、毎年8月にその記憶がメディアによって集合的に呼び起こされる。このような集合的記憶の呼び起こしが、戦後の歴史の集合的記憶に引き継がれる。つまり、戦後復興から高度成長、そして「経済大国」へと進んでいく歩みが、敗戦によって壊滅的な打撃を受けた日本がその被害から立ち直り復興を遂げていく過程として記憶される。このような戦後史認識は、経済成長が行き詰まった1990年代以降も、長期不況を「第二の敗戦」として表象することによって継承される。
日米妥協と労使間及び企業間の妥協の制度的構造に支えられた日本の経済成長は、帝国の原理を平和と経済のイメージで包み込んで覆い隠した。戦前のように、軍事力と侵略戦争と植民地支配によるのではなく、経済取引という平和的手段によって国富を増進させ、国力をつちかったという経済ナショナリズムの表象は、戦前の帝国の原理との断絶を際立たせる。だが、この表象における帝国の原理との断絶は、その正反対のものを、つまり断絶を通して帝国の原理の継承を無意識のうちに保証したのである。
日本は、国家次元においても、民衆の次元においても、侵略戦争と植民地支配がアジアのひとびとにもたらした国家犯罪の責任を放置した。犯罪の実態を究明することも、罪を犯した当事者および責任者を処罰することも、被害者に謝罪することも、賠償することもしないままに放置した。日本の司法も、この政府の方針に追随し、その方針を事実上追認した。
だがそれ以上に重要なことは、このような国家犯罪の免責が、日米間の妥協とその上に立脚する経済の妥協的取引によって戦後社会のなかに構造化されていた、ということである。戦後日本の体制がまるごと国家犯罪の肯定と敗戦の否認のうえに立脚し、その否認を日常的に承認し続けてきたのである[8]。

 

三 戦後日本の共進化の危機と新自由主義的共進化の出現-経済の新自由主義化と国権主義の台頭
1990年代以降の日本の長期不況は、戦後確立された日本資本主義に固有な制度的妥協の構造の転換を強いる。それはこの制度的妥協の構造によって保証されてきた日本の国家犯罪の肯定の体制をつき崩し、国家犯罪の肯定という現実を市民社会の表象に浮上させることを意味した。

 

1 企業社会から規制緩和と市場競争社会へ
1980年代以降進展する世界経済の金融化とグローバル化の流れのなかで、日本はバブル経済の崩壊に直面し、1990年代以降、「失われた二〇年」と言われる深刻な長期不況を強いられるようになる。日本資本主義は、この長期不況を打開するために、戦後日本の資本主義を支えた制度的な労使間妥協を放棄し、企業主義的調整を市場的調整に向けて転換する。
日本に定着した労使慣行を破棄して、日本企業は1990年代後半に採用の停止・抑制、配置転換、希望退職者の募集、一時帰休、解雇といったさまざまなリストラ策を実施するようになる。正規雇用を削減し、雇用量をフレキシブルに調整できる非正規雇用への切り替えが進む。1997年から2001年にかけて、正規雇用が171万人減る一方で、非正規雇用は206万人増加する(菊池史彦[2013]四七頁)。そして、この被害をもっとも強く被ったのは、20
30代の若年労働者層であった。
戦後の日本の労使間妥協は、新卒一括採用の方式によって、若者を教育機関から企業へとスムーズに移行させ、若者を企業社会に包摂し、企業社会のなかで働きながら技能を習得する慣行を定着させた。だが、その制度的仕組みが崩れることによって、若者は企業だけでなく社会から孤立し、排除されるようになる。労使間妥協の解体は、企業経営者の雇用政策だけでなく、市民社会の社会意識の転換をもたらす。菊池史彦[2013]は、この制度的仕組みの崩壊にともなって、1990年代後半に生じた新しい社会意識の出現をつぎのように表現する。
「従来のような、外部を積極的に包摂し、内部を均質化するように働く<社会意識>に代わって、内部を分割し、選別的に外部に押し出すように働く新しい<社会意識>が浮上してきた」(五五頁)。
もちろん、戦後に定着した日本的経営にも排除の意識は働いていた。日本的経営は、労働者の企業意識を高め、他企業の労働者や非正規および周辺の労働者を差別し排除する性格を色濃く有していた。とはいえ、日本的経営の基本性格は、労働者を企業共同体に包摂しそのなかで平等の競争関係を通して技能形成を図ることにあった。しかし、1990年代以降の企業のリストラは、内部に包摂した労働者を外に排除し、内部を階層化して、選別する傾向を強くする。
1995年に日本経済団体連合会が提唱した「新時代の日本的経営」は、企業のこの選別・排除の志向が如実に示されている。そこでは、従業員の雇用形態が三つのカテゴリーに分類される。第一は、「長期蓄積能力活用型グループ」と呼ばれる管理職、総合職、技術部門の社員グループで、この社員だけが長期雇用契約での採用を許される。第二の、「高度専門能力活用型グループ」と呼ばれる企画・営業、研究開発の専門部門のエキスパートは、契約社員として有期の雇用契約が結ばれる。そして第三の、「雇用柔軟型グループ」と呼ばれる一般職、販売職の社員については、契約、派遣、あるいは臨時職員という多様な非正規雇用で不安定就労を強いられ、企業の都合で雇用量がフレキシブルに調整されるようになる。
雇用のフレキシブル化と並行して、賃金方式を年功賃金から成果主義賃金に転換し、個人の能力を重視する新型の日本的経営がうちだされる。このような包摂から排除へと転換した雇用政策はもはや日本的経営とは呼べない。それをあえて「新時代の日本的経営」と呼ぶのは、日本的経営の新自由主義的な詐称と言えよう。
この経営方針に呼応するようにして、政府は雇用の規制緩和についての法改正を進めた。1986年に制定された労働者派遣法が1999年に改定され、派遣を可能とする職種を大幅に増やす。この時期以降、日本の労働者の正規雇用と非正規雇用の比率は大幅に変化する。厚生労働省によると、1990年に総労働人口の20%だった非正規労働者の比率が、2016年には40%へと倍増している。
企業と政府が一体となった企業主義的調整から新自由主義的調整への転換によって、日本経済の骨格をなした労使間妥協は崩壊する。さらに、金融のグローバル競争に対抗するための都市銀行の再編によってメインバンク制が解体し、株の相互持ち合いによる企業集団の結合も解体再編される。
戦後に確立された日本資本主義の制度的妥協の構造解体は、日本の企業社会を揺るがし、市場の競争主義的調整を強めていく。労働者は企業というよりどころを失い、不安定就労とフレキシブルな賃金形態によって、かつての企業社会の労使間妥協とは異なるかたちで、長時間労働と過労死の不安へと追い立てられていく。
市場主義的調整の波は、労使間妥協、企業間関係を超えて、社会の生活空間にまで及んでいく。ひとびとの居住空間であり、コミュニティの場であった都市の空間が、開発業者、ゼネコン、金融資本などの巨大資本の投資活動に対する規制を緩和され、無放縦な開発にさらされる。政府の都市政策が、都市空間のこの規制緩和を強力に推進する。2001年に誕生した小泉内閣が発足と同時に組織したのが「都市再生本部」であった。その設置のねらいは小泉内閣の新自由主義的構造改革路線を都市計画にまで適用することにある。この「都市再生本部」によって、一九九〇年代以降続く日本経済と都市の低迷状態を打ち破るため、土地の流動化を図り、民間企業の都市開発投資を促進するために、2002年2月に「都市再生特別措置法」が制定される。この法律では、東京をはじめとする全国の主要都市の中心地区を「都市再生緊急整備地区」に指定し、この地域に関しては、都市計画法や建築基準法の適用除外地域と定め、日照権や景観などを考慮することなしに、事実上の建築規制なしの高層ビル建設が認められるようになった。東京では、渋谷、池袋、恵比寿、新宿、大崎、品川、東京駅、秋葉原など山手線沿線で高層ビルが建設され、「職住一体」をキャッチフレーズにした都心部のマンション建設ラッシュが始まる。その結果、都心部の地価は急上昇し、2003
2004年の都心部のミニバブル現象が発生する[9]。
このような都市政策の実施によって、東京をはじめとする日本の主要都市の空間は、都市に住む住民の暮らしを改善するためではなく、企業の投資とビジネスチャンスのために開発され、都心部に集中した都市開発が進む一方で、郊外地区や地方都市は荒廃した状態のままに放置される。東京の都心部に向けた一極集中と、首都圏と地域との格差が急速に拡大する。
このようにして、企業の労使間妥協、企業間の妥協、企業と銀行間の金融妥協が解体され、市場競争による調整へと移行し、雇用の法的規制が緩和されて派遣・非正規の雇用関係が急増し、都市空間の規制緩和によって資本主導の都市開発政策が急速に進められる。労働者は賃金の低迷と生活苦だけでなく、企業の安定的雇用、労働組合の支え、地域の支えといったセーフティネットを失って、分断され孤立化し、競争と敵対の関係に追いやられる。

 

2 国家の国権主義的な転換―日米安保条約から日米軍事同盟へ
日本資本主義を支えた労使間妥協の制度、銀行と企業の妥協の制度、企業間関係の制度が、グローバル市場競争の波のなかで解体し、新自由主義的調整へと移行する動きと並行して、これらの制度を根底で支える日本の権力構造が動揺を始める。
この動揺を引き起こした背景にあるのは、1990年を境とする冷戦の崩壊である。冷戦の崩壊は、米国のアジアにおける軍事戦略の転換をもたらす。米国は日本に固定した軍事基地を置いてそのための巨額の費用をかけるよりも、中東、ヨーロッパ、ユーラシア、ラテンアメリカの世界情勢をにらみながら機動的で柔軟なグローバル軍事戦略を必要とするようになる。
他方で、日本は、1990年代以降の長期不況とアジアにおける新興工業国の出現によって、アジアにおける経済的な覇権が揺らぐようになる。日本は、この経済的覇権の衰退を補完するために、米国への軍事的な従属関係から脱して日米安保条約を対等な軍事同盟へと再編し、軍事力を増強しつつ、日米軍事同盟を軸にしてアジアの覇権を再建しようとする。米国の極東軍事戦略の傘のもとで経済成長をてこにアジアの経済的覇権を確保してきた日本が、日米同盟をてことするアジアの軍事的・外交的覇権の確立へと方向転換を図る。
冷戦の崩壊は、対共産圏を軍事的に封じ込めるという米国の極東戦略を転換させ、米国は中国との経済的取引を重視する戦略へと向かうが、日本の日米軍事同盟の強化はこの米国の戦略に対応しつつ、アジアの覇権を再確立しようとするものでもあった。
こうして、日本政府は、1990年代以降、吉田ドクトリンの外交方針を転換し、日米軍事同盟の強化を前面に出し、日本が米軍の軍事的肩代わりをする責任を主張して、自国の軍備強化政策を強力に打ち出すようになる。すでに1978年に「日米防衛協力のための指針」で日米新ガイドラインを定め、「朝鮮有事」の際に日本の周辺で武力衝突が起きたとき自衛隊と米軍がどのように役割を分担するかが定められ、「日本が自衛のため適切な防衛力を保有」(『日本の防衛』1979年7月)するとして、日本の軍事的な役割が明示されていた。この方針の延長線上に、1999年には周辺事態法が制定され、日本にとって脅威となる事態が発生したときに、自衛隊の軍事行動を可能にする法案が通過した。2015年には「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応」(防衛省、2015年4月27日ホームページ)を積極的に謳うようになる。
かつて、米国の核戦略に依存して「下請け帝国主義」(酒井直樹[2015])の役割を担い、経済成長によってアジアの覇権を確保してきた日本は、アジアにおける相対的地位の弱体化を補完するために、領土問題や排外主義イデオロギーによってアジア諸国との緊張を煽り、軍事力の増強によって軍事的・政治的な覇権を確保する方向へと向かう[10]。
このような日米妥協の変質は、米国への軍事的従属によって支えられた天皇制にも作用する。経済成長を通して日本の国民生活のなかに無意識のうちに定着していた天皇制にもとづく国体の秩序は、経済危機による格差・不平等・貧困の拡大とともに日本の社会の安定を支えきれなくなる。そのために、国体思想を意識化させ、明示化させる必要に迫られる。1999年には国旗国歌法が制定され、学校の式典で国旗の掲揚と君が代の斉唱が義務づけられる。近年の女性天皇説、天皇の「生前退位」の議論も、無意識の国体秩序を支えてきた天皇制を自覚化し、国民と天皇制の結びつきを国民に覚醒させようとするねらいがその背景にある。
かつて、天皇制による国体の護持と米国への軍事的従属との制度的妥協の構造は、経済成長を支える労使間・企業間の制度的妥協の構造と共進化し、ひとびとの日常生活のなかに安定したかたちで根づいていた。テレビ、新聞などのメディアを通して、消費文化を通して、天皇とアメリカが日本人の集合的アイデンティティと社会統合の原理として定着した。
だが、日米関係が、日米安保条約から日米軍事同盟へと進展するにつれて、天皇制に立脚する国体の秩序は、米国への軍事的・文化的・精神的従属よりも、戦前の帝国の原理と親和的になっていく。天皇を、国民主権にもとづく国民統合の象徴として、「人間天皇」としてとらえるのではなく、国家神道にもとづく神権的国体の元首として再定位しようとする主張が日本会議のような市民団体によって唱えられるようになる [11]。

 

3 市民社会の表象の転換
労使間・企業間の企業主義的調整と日米間の制度的妥協が共進化して経済成長が保証された時代から、経済の新自由主義的調整と日米軍事同盟による国権主義的な政治が共進化する時代への転換がこうして推進される。
市場の規制緩和と自由競争が国家の軍事的強化、権威主義国家の台頭と結びつくのは一見すると矛盾しているように見えるが、このねじれのようにみえる現象を媒介しているものこそ、市民社会の表象である。そしてこの市民社会の表象は、自覚化された表の表象と、深層に隠された無意識の表象との二重構造から構成され、この二重の構造の転換を媒介にして、市場と国家のねじれた共進化の動きが進展している。
日本が戦前と断絶した「戦後」という表象によって包み隠し否認していた深層の原理、日本国憲法と米国の軍事的覇権の影で隠されていた原理、それは帝国日本の原理であり、その原理のもとに推進した侵略戦争と植民地主義を肯定する原理である。この深層の原理は、同時に帝国日本が行使したおびただしい国家犯罪の事実を否認し、その犯罪を事実上肯定してきた。
この深層の原理が、戦後日本の権力構造の動揺とともに、市民社会の表象に浮上するようになる。だがこの深層の原理は、戦後定着した市民社会の支配的な表象とは矛盾する。戦後に定着した市民社会の支配的な表象とは、日本国憲法に基づく人権・平和・市民的自由と平等の民主主義という理念である。この理念は、戦前の軍国主義と植民地主義による国富の増強政策とは対極的な、自由貿易と自由な市場取引にもとづく経済発展による国富の増強政策と連動する。したがって、この理念は、一九四五年を境として戦前と戦後を裁断する日本の歴史的な転換を画する理念とされた。そのために、この理念は日本の国民に定着した歴史認識とも連動していた。日本は侵略戦争と植民地主義という過ちを犯して、そのために国民は多大な犠牲を払った。日本は、その過ちを反省し、壊滅的な被害を克服して、戦後復興をなしとげた、とする歴史認識がそれである。
被爆、空襲、飢餓といった苦難をもたらした軍国主義・侵略戦争と決別し、平和憲法と民主主義の政治体制によって帝国日本の旧体制に終止符を打ち、日本が平和と自由と平等にもとづく新しい歴史をスタートさせた、という歴史意識がひとびとのあいだにそれなりに根づいた。
冷戦体制下でこの歴史意識に逆行する日本の再軍備、基地強化の反動が始まると、この反動が「平和国家」と経済成長の道を妨げるものと受けとめられ、それが反戦平和運動や反基地闘争の市民運動のエネルギー源となった。
経済成長の過程は、同時に戦後日本のナショナリズムを支える基盤にもなった。国民は経済成長による国力の増強とアジアにおける経済的覇権の構築を通して、国民意識、つまりナショナリズムを強化した。この表象は、戦前の日本が「富国強兵」とアジアの植民地化によってナショナリズムの意識を高揚させたのとは異なる平和的イメージをナショナリズムに付与することによって、同じように戦前との断絶の表象を強めた。
だが、すでに見たように、敗戦を被害と受けとめる国民意識の背後には、日本の植民地統治と侵略戦争がアジアの民衆に行使した重大な国家犯罪を暗黙のうちに容認し、その加害責任を被害の表象に転移させる無意識の詐術がはらまれていた。日米妥協において日本が米国に軍事的従属しているという被害意識と天皇制の表象によって、日本の加害責任が被害意識に転移され、巧妙に包み隠された[12]。
日本の国家犯罪の無意識の容認は、犯罪の事実そのものの隠蔽、忘却、事実の調査の不履行、犯罪者と責任者の特定や被害者に対する謝罪と賠償の不履行、によって正当化された。政府から独立しているはずの司法も、時効や国家無答責という法律を楯にとってこの正当化に荷担した。
この国家犯罪の無意識の容認によって、日本は戦前の帝国の原理をそのまま戦後に継承する。そしてこの継承を保証したのが、記述したように天皇制の国体護持と米軍への軍事的従属の制度的妥協であった。逆説的なことに、日本はこの制度的妥協によって、日本国憲法が理念に掲げる国民主権、自由と平等と民主主義という社会の表象を通して、帝国の原理を継承する構造を存続させたのである。
これも逆説的なことであるが、この帝国の原理の存続は、戦前と戦後の断絶という歴史認識を媒介にして保証されたのである。つまり、平和憲法と経済成長を通して敗戦の被害から立ち直る歴史がナショナリズムという集合意識をはぐくむことを通して、日本社会は戦前との断絶という歴史認識を強固なものとし、この戦前との断絶という歴史意識によって、日本はみずからが犯した重大な国家犯罪を容認する無意識を温存したのである[13]。
だが、日本の市民社会における表層の理念と無意識の深層とのねじれた関係は、日米間の制度的妥協とその上に立脚する労使間、及び企業間の制度的妥協の構造が危機におちいるとともに、変質を始める。
自由・平等・人権・平和の理念を実質的に支えたのは、日本国憲法よりも、日本に固有な労使間妥協と企業間妥協によって編成された企業社会であった。市民社会の総体を企業に吸収した日本の労使間関係は、企業への全面的な忠誠を条件として労働者の雇用を長期的に保証することによって、労働者の生活保障と生活権の比較的平等な確保を保証した。この労使間妥協から排除された不安定就労者、失業者、ジェンダー差別(男女間の雇用格差と賃金格差、性別役割分業)を随伴しながらも、この労使間妥協と企業間妥協の構造によって市民社会の表象の理念はともかくも維持された。
だが、1990年代以降、日本経済の長期不況と共に進行する制度的妥協の動揺によって、市民社会の表象が揺らぎ始める。雇用の不安定と賃金格差の拡大は、一億総中流という表象を幻想とし、平等の理念を突き崩す。企業社会の動揺とともに、それに代わって市民社会の表象を支配するのは新自由主義にもとづく市場原理である。市場競争の自由と平等、そのための労働市場、金融市場をはじめとする市場の規制緩和が支配する。平等は企業への帰属による雇用保証の平等ではなく、個人の能力主義的競争条件の平等が理念に掲げられる。
能力主義的競争の結果がもたらす不平等は是認され、分配の不平等を是正することは、能力主義的競争を妨げるものとして拒まれる。
政治的権利としての民主主義および人権の理念が後退し、市場原理主義にもとづく個人間競争の自由・平等の理念が浮上することによって、市民社会の表象が社会を統合する能力を著しく衰退させていく。
企業主義的な制度間妥協と共進化していた市民社会の表象が変質して、新自由主義的な市場原理と共進化するようになり、社会の統合力を衰弱させていく。
それに代わって、社会統合の基盤となっていくのが、国家の軍事化・権威主義化を推進する国権主義の原理である。この原理は日本の経済力を基盤とした経済的ナショナリズムに代わって、領土問題や歴史認識を契機としてアジアの近隣諸国の脅威と嫌悪をあおり立てる排外主義的ナショナリズムの表象を喚起する。そして、市民社会のこの表象の転換を契機として、戦後、市民社会の深層に根づいた社会的無意識の構造(帝国の原理)が市民社会の表層に浮上してくる[14]。
だがこの原理は、人権、民主主義を理念とする日本国憲法の原理と矛盾する。市民社会の表層に浮上してきた相矛盾するこの二つの原理が対立する。だが、人権、民主主義にもとづく自由・平等の原理は、新自由主義における市場競争の自由・平等へと変質することによって、帝国の原理に対抗する力をしだいに弱体化させ、帝国の原理に支配的な表象の座を譲り渡すようになる。これが、嫌韓・嫌中の言説、ヘイトスピーチ、マイノリティや難民や障害者の差別と排除を助長するようになる。
だが、帝国の原理と国家犯罪の否認の言説は、日本の市民社会における人権・自由・平等の理念と衝突するだけではない。主権国家日本を超えたトランスナショナルな価値理念とも衝突する。日本によって虐殺され、労働を強いられ、性的暴力を振われたアジアの近隣諸国の被害者民衆が、日本政府を告発し、謝罪と賠償を求める。国連人権委員会、世界女性会議、国際法律家協会などの国際組織が人道に対する罪として日本の「慰安婦」問題、強制連行、細菌戦、生体解剖を批判するようになる。これらの告発や批判に対して、帝国の原理に立脚する日本の市民社会は、この国際的批判を「日本に対する内政干渉」あるいは「日本を犯罪国家に落としめるための国際的陰謀」へと読み替えて、反論する。これが右派の論壇が唱える「歴史戦」である[15]。
市民社会の共進化の構造転換は、このような複合的でトランスナショナルなヘゲモニー闘争を惹起する。
新自由主義的な調整を原理とする経済構造、国権主義的な国家の組織化、そして帝国を原理とする市民社会の表象は、たがいに共進化して、ひとびとの競争と分断と敵対の関係を増幅させ、分断した諸個人を排外主義的ナショナリズムの理念へと流し込む。

 

四 連帯と協同の対抗的共進化―関西生コンの社会運動

経済の新自由主義的転換、国家の権威主義的転換、市民社会における帝国の原理にもとづく排外主義的ナショナリズムの表象の台頭、という現在の日本の支配的な共進化のベクトルは、ひとびとの共同の絆を解体し、社会諸関係を分断して、諸個人を能力主義にもとづく競争の関係に追いやり、対外的な脅威をあおり立てようとする。この共進化は、戦前の日本がたどったのと同じ破局を招くリスクを高めている。
本論で見てきたような競争と分断と敵対関係を増幅させる共進化に対して、ひとびとの連帯と協同をはぐくむ共進化への道が求められている。このような共進化を担う日本の運動団体は、消費者協同組合、生活協同組合が想起されるが、これらの組織が新自由主義の共進化に対抗するベクトルを明確にし、経済と国家の構造転換を展望する道はきわめて不透明である。本論の最後に紹介するのは、労働組合運動から出発して、市民社会、経済、国家のありようを転換する方向性を明示し、その方向に沿った共進化の運動を創出してきた関西生コンの社会闘争である [16]。

 

1 産業単位の労働組合の創出
関西生コンの労働運動は、1965年全国自動車運輸労働組合の支部を結成し、関西生コン支部としてスタートした。この労働組合はその当初から個別企業を超えた生コン産業における業種単位の労働組合として発足した。それは個人加盟の産業別組合であり、したがって個別企業を超える業種単位の統一司令部をもった(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部発行[2015]284頁)。
したがって、生コン産業内部での労働者間の競争を排除し、産業単位で賃金条件・雇用条件を統一する集団交渉をおこなった。組合は資金をプールして福利厚生費を確保し、その費用で労働者の権利を強化するための教育活動・福祉活動に取り組んだ。
このような労働組合の組織化は、すでに見たような戦後日本の企業別組合とは正反対のベクトルを提示する。個別企業単位で結ばれた日本の労使間妥協は、経営側が労働者に長期の雇用を保障し、その見返りとして労働者が企業に全面的忠誠を尽くす、という雇用妥協によって成り立つ。そのために、労働者は資本の統制に全面的に服従し、自らの生活の総体を企業に譲り渡す。労働者は企業と一体化して、企業間の競争に身をゆだねる。企業の外との競争だけではない。企業の内部では、人事考課の能力査定によって、労働者はたがいの競争心を募らせ、出世競争に邁進する。労働者は連帯して労働条件の改善に努力するよりも、他の労働者よりも高い評価を得ようとして、たがいに敵対し競合する。日本企業に特徴的な手厚い企業内福利厚生も、労働者の権利を向上させるためのものではなく、企業の一体感を高め、企業への労働者の帰属意識を強めるためのものであった。
関西生コンの事業単位の連帯労働組合は、そのような企業間、労働者間の競争に依拠して労働者の権利を企業に委ねるのではなく、その逆に連帯と協同によって組合に結集する全企業の労働者の権利の向上をめざす。連帯労組は、組合員全員の統一した賃上げ、業種単位で雇用を保証する連帯雇用保障制の確立、ミキサー車の運転などの劣悪な労働条件や長時間運転の改善を図る。
このような業種単位の規模の労働組合が生み出された背景には、生コン業界の特殊な事情があった。生コン業界は弱小の中小企業群によって編成されているため、個別企業の労使間取引では、労働者の労働条件を改善した企業が他企業との競争に不利な立場になる。したがって、業種単位のレベルで労使間交渉をしないと賃金・雇用・労働条件の改善を獲得することは難しい。このような生コン産業の悪条件を関西生コン支部はむしろ業種単位の労働組合を創出するチャンスに変えて、連帯労組を結成したのである。

 

2 労働組合と経営者の協働による事業別協同組合の建設―共同受注と共同販売
関西生コン支部は、経営者との集団的な労使関係を労働条件の交渉だけにとどめるのではなく、生コン産業の産業政策にまで発展させる。1975年に労使共通の政策提言をおこなうために生コン政策懇談会をたちあげ、1976年には大阪兵庫生コンクリート協同組合を結成して、中小企業経営者と労働者の共同行動を組織する。1994年には、大阪広域生コンクリート協同組合を結成し、生コンの共同販売、事業資金の貸し付け・借り入れ、福利厚生、情報提供などの活動に取り組む。
生コン産業は弱小の中小企業群から編成されているため、セメント産業と建築産業といういずれも大手の独占資本が支配する産業の間に挟まれて、高価格のセメントを買わされ、生コンを低価格で売るよう強いられる。
そのために、生コン労組は中小企業経営者と連携して事業協同組合を組織し、セメント・メーカーからセメントの共同受注とゼネコンへの生コンの共同販売の事業に着手する。事業協同組合が、セメントの共同受注や共同販売に取り組むことによって、生コン産業の個別企業がたがいに価格競争をすることを回避し、安定した販売価格を確保することによって、労働者の労働条件や賃金の改善を図る。このようにして、生コンの労働運動は、資本の直接生産過程だけでなく、資本の流通過程の価格決定交渉にまで参入することによって、社会的労働運動の新たな地平を切り開く。
労働運動は、個別企業の経営者との労使交渉の次元を超えて、産業単位の集団的労使交渉を組織し、さらには産業間の価格決定交渉にまで介入するようになる。生コンの労働運動は、このようにして資本の流通過程次元における階級闘争という日本の労働運動史上未経験の地平を切り開いたのである。

 

3 事業協同組合の産業政策
労働組合と経営者との集団的労使交渉は、共同受注や共同販売を超えて、さらに産業全体の多様な産業政策の取り組みへと発展する。
1996年滋賀県工業組合は技術試験センターを設立したのを皮切りに奈良県、和歌山県で共同の試験場をつくる。
1998年には、コンクリート構造の安全を考えるシンポジウムを開催する。2004年には、中小企業経営者の組合と労働組合が共同で中小企業組合総合研究所を設立して、生コン業界の課題研究、調査、学習の活動に取り組む。研究会を組織して、生コン業界のシンクタンクを組織する。2005年以降マイスター塾を開催して、生コン業界の技能の継承を図る。
さらに、企業と社会の共生をめざし社会に貢献する事業への取り組みを推進するために、2006年には大阪市と「災害発生時に水利確保に係わる防災活動協力に関する協定書」を取り交わす。また、産学連携研究発表会を開催して、産学官と連携し、研究者や技術者と協力して、社会のニーズに応える研究開発に取り組む。
2009年には、共同会館アソシエを建設し、そこに、グリーンコンクリート研究センターを設置して、自然環境と調和するコンクリート技術の開発に取り組む。この技術研究の成果が、ポーラス・コンクリートの開発であった。ポーラス・コンクリートは、アスファルトとは違って吸水性があるので、排水路の負担を軽減し、歩行者にも優しく、カラー舗装によって町の景観にも貢献する。地域の緑化運動の一翼も担う。このように、都市の空間編成や緑化にも役立つ技術の開発が目指される。
教育事業に関しては、小学生のコンクリート教室、小学生物作り勉強会を組織する。
このような技術開発、教育活動の蓄積を踏まえて、関西生コンの社会運動は、2016年大阪市川口区に学働館・関生ビルを建設し、大阪労働学校アソシエを設立した。労働学校の設立は、技能教育や労働運動の知識を身につけるだけでなく、労働運動が新しい文明と社会を創造するという歴史的使命をもつものであり、その使命を自覚的に担うための素養を備えた人格形成を課題としている。労働学校は、すでに述べた日本の市民社会における表象の変革と創造の活動にも参画する。労働学校の教育は、自由・平等・人権・平和の理念を日本の国家犯罪の歴史的責任にまで掘り下げて内実化する主体を育てる教育に取り組むことによって、日本の市民社会の再創造にも寄与する。企業経営者と労働者が協同組合運動の一環としてそのような人材の育成を課題とした教育に取り組むという希有なこころみが進行しているのである。

 

4 社会的連帯経済の創出運動への参画
関西生コンの社会運動は、以上のような労働組合と労働運動のありかた、中小企業経営者と労働組合の集団的交渉、事業協同組合によるさまざまな産業政策(共同受注、共同販売、技術開発、教育、技能形成、社会貢献活動など)、労働学校の創設などを通じて、市場の価格変動による需給調整の経済に代わって、当事者の協議と協同にもとづく社会連帯経済に向けた展望を切り開いた。関西生コンと労働組合と協同組合は2014年11月に開催された「グローバル社会的経済協議会設立総会」に参加し、みずからが切り開いた連帯経済の活動の成果を報告した。
新自由主義的資本主義の経済は、ひとびとの生活に必要な財やサービスをすべて市場で調達し、教育、医療、福祉、文化、コミュニケーションといったひとびとの社会的諸関係にかかわるすべての活動を市場取引の関係に還元しようとする。そしてそのために、ひとびとの多様な共同的関係を解体し、ひとびとを私的な諸個人に分断して、市場取引の関係に流し込む。
関西生コンの運動は、みずからの社会闘争を連帯経済の構築として位置づけ、国際会議に参加し、グローバル市民社会における連帯と相互扶助の理念を掲げる運動の一翼を自覚的に担おうとする。
関西生コンの労働運動は、本論でも指摘した日本の新自由主義的共進化の運動の深層に横たわる日本の国家犯罪の否認にたいしても、鹿島建設の花岡蜂起のような中国人強制連行の実態の究明に積極的に関わり、日本の国家犯罪の歴史的責任と向き合う運動を展開する。

 

むすび
関西生コンの社会運動は、社会活動のさまざまな領域に市場の需給関係による調整様式を導入しようとする新自由主義的なベクトルに対抗しつつ、市場の外で連帯と協同の理念にもとづく集団的な協議によって調整する仕組みに置き換える営みを続けてきた。
人間と自然とのかかわり、資本の生産・流通・分配・消費の過程における交渉取引、技術のありかた、都市空間のありかた、世界の精神的表象のありかた、これらのさまざまな人間の活動領域を市場の需給関係によって調整しようとする新自由主義の共進化の運動に抗して、連帯と協同の共進化の運動を創出してきた。
この運動は、社会主義の20世紀的なありかたを刷新し、グローバル市民社会のコンテクストにおいて社会主義を再定義する道を切り開く。社会主義の伝統的な戦略は、国家の権力奪取、生産手段の国有化、さらには経済の計画的管理といった単一の目標を設定し集権主義的な解決をめざすものであったが、このような戦略が歴史的に挫折した原因について、D・ハーヴェイ[2010]はつぎのように指摘する。このような社会主義戦略に欠けていたのは、社会主義を創造していく社会のさまざまな活動領域の共進化のダイナミズムであった。
「共産主義的ないし社会主義的オルタナティブをつくり出すこれまでの試みは、異なった活動領域間の弁証法を運動させつづけることに致命的に失敗した」(284頁)。
さらにハーヴェイは言う。これに対して、資本主義が生き残ってきたのは、ほかならぬこの共進化の弁証法的運動を生み出し続けてきたためである、と。本論で最初に論じてきたように、日本の新自由主義は経済政策、軍事化政策、市民社会における歴史認識、歴史教育、社会運動といった領域において、たがいに矛盾するかのような活動を通して共進化の運動を創造してきた。それが環境の破壊や金融危機や災害といった社会の破局的危機を引き起こしながらも、その危機を共進化の運動の契機として包摂しつつ生き延びてきた。
資本主義のオルタナティブを求める運動は、この新自由主義の共進化に対抗しうる新たな共進化の運動を創出しなければならない。ハーヴェイはこの共進化の運動を「共-革命理論の構築」(同、邦訳283頁)と呼ぶ。求められているのは、さまざまな諸領域の内部、および諸領域間の関係を横断する「戦略的な政治的介入」(同、邦訳285頁)であり、この政治的介入を通して、社会を新自由主義の共進化とは異なった発展径路へと移動させていくことである、と。
この政治的介入は、前衛政党のような統一指令部の指示によってなされるものではありえない。しかしかといって、それぞれの活動領域で個別に変革を進めれば自動的に共進化が生じてくるわけでもない。自然とのかかわり、自由で公正な社会制度の改革、民主主義的な行政手続き、連帯と協同にもとづく社会の組織化、解放と自律の精神的諸観念の生産といった、さまざまな領域での取り組みが、相互に作用を及ぼし合うような関係を自覚しつつ戦略化することが求められている。
反資本主義の運動にとって重要なことは、個別の契機のダイナミズムをみるだけでなく、「他のすべての契機との諸関係がどのように適応しそれを反映するのかを見ながら注意深く修正
(邦訳285頁)することにある。
これらの諸契機のなかでも、とりわけ重要な契機が「世界を理解する新しい精神的諸観念」(邦訳294頁)である。精神的諸観念は、生産組織、社会諸関係、技術、自然との関係といったあらゆる契機を組織する際の知的・道徳的指針を提供するからである。新自由主義の共進化においては、市場競争や私的所有における個人的自由を最高の理念とする精神的観念が社会形成のあらゆる契機を組織する指針となる。この精神的観念は、能力主義の神話、優生思想の神話と容易に共鳴し、ひとびとを孤立させ分断する。
ひとびとが市場競争や私的所有の自由に代わって、連帯と協同にもとづく自由の観念を共有するとき、社会の活動の諸契機を組織するベクトルは大きく舵を切ることになる。大阪労働学校アソシエはそのような精神的諸観念をはぐくむ重要な教育装置である。
わたしたちに求められている市民社会の共進化とは、社会の多様な活動領域を連帯と協同にもとづく社会の発展径路へと誘導する実践的・政治的介入の道筋にほかならない。
関西生コンの運動は、個別企業の労使間交渉という狭義の労働運動の枠を超えて、経営者との集団交渉による産業政策への介入、労働者の技能形成、技術開発、労働者の精神的諸観念の創造、都市や地域の組織化、といった社会の多面的な領域で、連帯と協同の関係を創造するという共進化の運動を創造してきた。そしてこのような運動が、労働運動を超えるさまざまな活動に取り組むひとびととの出会いを促した。沖縄の反基地闘争、フェミニズムの運動、部落解放運動、NGO/NPOの運動、公害問題に取り組む市民運動、反原発の運動、関西生コンの運動はこれらの社会運動との共進化を果たすことによって、新自由主義に代わる市民社会の対抗的な共進化を創造している。
ハーヴェイは伝統的左翼の運動が政党と工場内の労働組織を中心に担われていたのに対して、共進化の革命闘争は「市民社会の全スペクトラムを横断する社会行動のダイナミズム」(同、邦訳312
313頁)へと移動する、という。
この市民社会の共進化の運動がその帰結として国家の転換と、その国家の下での社会的・経済的な制度改革を推進するエネルギーとなる。

戦後日本の共進化の構造転換について、以下に図示したい。

[1] 本研究ノートは『大阪産業大学経済論集』第18巻第3号、2017年6月に掲載されたものからの転載である。なお、このノートは、拙論[2017]の内容とも重なっていることを申し添えておく。
[2] たとえば、松原隆一郎[2000]は、戦後日本における家電製品の普及が、家族形態の核家族化、専業主婦の出現などに作用を及ぼしていることをとらえて、このような新しい商品の出現がまったく異次元の家族形態、ジェンダーの領域に及ぼす作用を「共進化」という概念で解き明かしている。
ハーヴェイが自著に「資本の<謎>」というタイトルを付けた理由は、資本がこの共進化の運動を通して組織されるものであり、この運動がどのような形で実を結び、いかなる姿の社会を生み出すかは、その結果においてしかわからない「謎」だからである。
[3] ただし、この労使間妥協は、労働者の生活を企業に全面的に統合することによって、長時間労働・過労死・単身赴任・配置転換などの深刻な人権侵害を増幅させることにもなる。
[4] 日本資本主義における労使間妥協、メインバンク制度、企業間妥協といった諸制度の相互補完の関係については、山田鋭夫[2008]を参照されたい。
[5] 吉田ドクトリンについては、加藤洋典[2015]を参照されたい。
[6] 敗戦を受け入れたはずの日本が、敗戦を否認する意識を持ち続け、その意識がなぜ新自由主義のもとで浮上してきたのか。それは日米妥協の制度的構造の危機と密接に関連している。
[7] 「慰安婦」制度、戦時性暴力、強制連行と強制労働、住民虐殺、細菌戦、生体解剖などの国家犯罪について、日本は今日にいたるまでその歴史的責任を放置し、その事実に関する調査も、責任者の処罰も、謝罪も、賠償も十全に果たすことはなかった。それは国家犯罪の事実上の肯定である。戦後日本の権力構造と経済的な制度的妥協の構造は、この国家犯罪を肯定する制度としても機能し続けた。
海南島における日本の軍事占領下で行われた日本の国家犯罪に関する調査の一例を紹介したい。筆者が参加している市民団体(海南島近現代史研究会)は、その前史も含めてほぼ20年間にわたり海南島を訪問し、各地の村を回って、被害者の遺族や幸存者の方々から聞き取りをおこなってきた。
研究会が海南島で確認した日本軍による住民虐殺は4000名を超えている。1939年11月4日旦場村で90名余り、1941年4月12日―14日重興鎮(排田村、白石嶺村、昌文村、腸第村)で241名、1941年5月13日、19日九曲江郷の波鰲村、上嶺園村、上辺嶺村で129名、1941年6月24日北岸村、大洋村で499名、1941年6月28日大溝村で38名、1941年8月4日澄邁県橋頭鎮沙土保峒の7村で500名、1942年3月2日石馬村で172名、1942年4月20日金牛流抗村で82名、1942年10月31日昌美村で43名、1943年4月10日鰲頭村で73名、1943年4月13日九尾吊村で72名、1945年5月2日月塘村で190名、1945年4月10日坡村、長仙村、三古村、南橋村、雅昌村、佳文村、鳳嶺村、吉嶺村、宮園村で777名、1945年7月30日秀田村で140名、など。日本軍がおこなったこれほどの国家犯罪が、戦後70年が経過した今日でも、日本ではなかったことにされ、その事実が否認されている。
詳細な聞き取りの記録としては、紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログ、紀州鉱山の真実を明らかにする会制作のドキュメンタリー[2004]、写真集[2007]および海南島近現代史研究会制作のドキュメンタリー[2008b][2008 c]を参照されたい。
また、海南島の8人の女性(当時14
19歳の少女だった)が日本の戦時性暴力の被害を受けたとして2001年に東京地裁に「日本政府に対して謝罪と名誉回復並びに損害賠償を求めた」訴訟を行った。
これに対する判決は、「旧日本軍が中国人の少女を強制的に拉致・監禁死、継続的かつ組織的に戦時性奴隷とした」事実を認定し、「被害女性らに対して軍の力により威圧しあるいは脅迫して自己の性欲を満足させるために陵辱の限りを尽くした軍人らの本件加害行為は、極めて卑劣な行為であって、厳しい非難を受けるべきである」とし、PTSDはもとより「破局的体験後の持続的人格変化」も認定している。(2009年3月26日東京高裁判決)。だがにもかかわらず、判決は、日中共同声明により「裁判上訴求する権能」が放棄されたとして、この請求を棄却している。
住民虐殺や戦時性暴力の犯罪は、その事実が否認され隠されていると同時に、たとえその事実があきらかにされても、日本の司法権力は日本の国家に対してその事実の謝罪も、賠償も求めようとしていないことがわかる。
日本の国家犯罪の事実については、南京大虐殺についても、「慰安婦」問題においても、公式に確認されている。これに関しては、笠原一九司[2013]を参照されたい。にもかかわらず、日本の市民社会では、国家犯罪の事実を否認する主張が新聞、雑誌、テレビなどのメディア、あるいは教育の現場で公然と語られている。
[8] 武藤一羊[2016]は戦後日本国家が、①米国の覇権、②憲法の平和主義、③ 「大日本帝国の継承原理」というたがいに矛盾する三つの原理の折衷として構築されていることを指摘する。武藤一羊はこの三つ原理の折衷を国家論として展開しているが、本論では、この国家論的展開を制度的妥協の構造、および市民社会における共進化の政治として再定位する。そうすると、三つの原理がたんに折衷されているのではなく、相互に補完すると同時に、たがいに矛盾対抗する関係にあり、その関係が社会危機の源泉になっていることが見えてくる。
[9] 都市再生本部と都心部の建設ラッシュについては、五十嵐慶喜・小川明雄[2003]を参照されたい。
[10] 民主党政権時代に、日本は東アジア共同体の理念を掲げて近隣のアジア諸国との連帯にもとづく関係をめざそうとしたが、沖縄の米軍基地の県外移転の挫折が示すように、既存の日米関係を改革することなしに、アジアとの関係の再編はむずかしく、自民党の政権返り咲きとともにこの道は後景に退く。
[11] 日本会議については、菅野完[2016]、山﨑雅弘[2016]、青木理[2016]を参照されたい。
[12] 五十嵐恵邦[2007]は、人気ラジオ番組『君の名は』、怪獣映画『ゴジラ』、プロレスラー力道山の活躍といった戦後日本人の大衆的人気を博した大衆文化が、日本国民の加害のトラウマを被害意識に転移させたこと、戦後の歴史がその被害を乗り越えていく過程として国民に表象された、と指摘する。1960年代の高度成長や1964年の東京オリンピックは、敗戦という悲惨な被害体験をさらに未来に向かって前進させるエネルギーへと転換させていった。
[13] D・ハーヴェイ[2003]は、近代社会が過去と断絶し過去を刷新するという理念を掲げながら過去を復活させ継承する動きを「モダニティの神話」と名付けて、19世紀前半のパリで、過去との断絶を強調する「モダニティの神話」がルイ・ナポレオンによる帝政の復活という王政復古を正当化したと語る。日本の戦後においても、戦後復興が過去との断絶を強調することによって過去の原理を復活させる神話の作用を果たした。
[14] 武藤一羊[2016]はこの戦後社会において隠された内実を「帝国継承原理」と呼ぶ。戦後国家は、「国家としての戦争責任―対内、対外の-回避」(59頁)によって「自己免責」し、国家犯罪を否認してきた。そのために、日本の国家は、みずからが戦争犯罪人を裁くことも、犯罪者の氏名を公表することも、被害者に謝罪し、補償することも、回避してきた。つまり、「戦後日本国家の底部に帝国継承原理が自己免責コンセンサスの形で仕込まれてしまっていた」(62頁)のである
[15] 右派の「情報戦」「歴史戦」については、山口智美ほか著[2016]を参照されたい。この国際陰謀説は、「大東亜戦争」を日本が欧米諸列強の陰謀によって「仕掛けられた戦争」だとして、過去の戦争を正当化する歴史意識と接合する。
「歴史戦」は、主権国家を超えた次元における市民権に対する日本の市民社会の反応であり、その意味でグローバル市民社会におけるヘゲモニー闘争の一表現でもある。「歴史戦」のこのような位置づけに関しては、斉藤日出治[2017]を参照されたい。
[16] 関西生コンの労働運動、及び協同組合運動については、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部[2015]、および中小企業組合総合研究所[2013]を参照されたい。なお、関西生コン型労働運動の意義については、拙著[2016b]も参照されたい。

参考文献
青木理[2016]『日本会議の正体』平凡社新書
Harvey D.[2005]A Brief History of Neoliberalism,Oxford University Press.[『新自由主義』渡辺治監訳、作品社、二〇〇七]
[2010]The Enigma of Capital and the Crisis of Capitalism,[『資本の〈謎〉』森田成也ほか訳、作品社]
能川元一・早川タダノリ[2015]『憎悪の広告』合同出版
五十嵐慶喜・小川明雄[2003]『「都市再生」を問う』岩波新書
五十嵐恵邦[2007]『敗戦の記憶』中央公論新社
加藤洋典[2015]『戦後入門』ちくま新書
海南島近現代史研究会編[2008a]『海南島近現代史研究会会誌』創刊号
[2008b]映像ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』
[2008c]映像ドキュメンタリー『朝鮮報国隊』
[2011]『海南島近現代史研究会会誌』2号・3号
[2016]『海南島近現代史研究会会誌』4・5号
紀州鉱山の真実を明らかにする会[2004]映像ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』
[2007]『写真集 日本の海南島侵略と抗日反日闘争』
笠原十九司「南京大虐殺をめぐる歴史修正主義と歴史学者」『歴史評論』761号、2013年9月
菅野完[2016]『日本会議の研究』扶桑社
金富子「日本の市民社会と「慰安婦」問題解決運動」『歴史評論』761号、2013年9月
菊池史彦[2013]『「幸せ」の戦後史』トランスビュー
道場親信[2008]『抵抗の同時代史―軍事化とネオリベラリズムに抗して』人文書 院
武藤一羊[2016]『戦後レジームと憲法平和主義』れんが書房新社
薗村進・中島岳志[2016]『愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか』集英社新書
菅野完[2016]『日本会議の研究』扶桑社
松原隆一郎[2000]『消費資本主義のゆくえ』ちくま新書
酒井直樹[2015]「パックス・アメリカーナの終焉とひきこもりの国民主義」『思想』1095号
斉藤日出治[2005]『帝国を超えて-グローバル市民社会論序説』大村書店
[2011]「歴史記憶の組織化をめぐるヘゲモニー闘争」『季刊唯物論研究』
[2016a]「現在に生き続ける植民地主義」近畿大学日本文化研究所編「『変化と転換を見つめて』風媒社、所収
[2016b]「社会的労働運動から連帯経済へ-関西生コンの社会闘争が切り開いた地平」『象』84号
[2017]「市民社会の共進化と新自由主義の危機」近畿大学日本文化研究所『対話 潜在する可能性』風媒社
白井聡[2013]『永続敗戦論』太田出版
矢部宏治[2015]『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社
山口智美ほか[2016]『海を渡る「慰安婦」問題―右派の「歴史戦」を問う』岩波書店
山崎雅弘[2016]『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部発行[2015]『関西地区生コン労働運動50年』、社会評論社
中小企業組合総合研究所発行[2013]『関西生コン産業60年の歩み 1953
2013年』
山田鋭夫[2008]『さまざまな資本主義』藤原書店

社会的連帯経済の研究会

社会的連帯経済を様々な書物に基づいて研究していきます!

場所 大阪労働学校アソシエ(阿波座駅)
日付 9月27日13時〜
参加費 無料

 

主催者と内容は以下の通りです。
細谷 正太
「社会的経済と日本の協同組合」
山本 哲哉
「社会的連帯経済の会計学」
トモサカ アキノリ
「検 討 中」
斎藤 日出治
「モロッコからの報告」

 

以上の4名から社会的連帯経済に関する研究報告及び発表がございます。批判や議論が前提とされておりますので、社会的連帯経済入門か、以下を流し読みで良いので読了してください。http://www.shukousha.com/category/column/hirota/
フランスー連帯経済と社会的経済

 

以下は、今までの発表した資料です。

 

1回目の発表資料
細谷 正太
社会的連帯経済入門ー批判(社会的連帯経済入門の2章まで、もしくは集広社のサイト10回目を予め目を通したことを前提とした文章です。)
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4QnQ4bG9lZ0sxVDA/view?usp=sharing


2回目
細谷 正太
「国家哲学を体現する企業=思想の実験的試みと公役務」
 
斎藤 日出治
「私的所有の社会から社会的連帯経済の社会へ」
https://docs.google.com/document/d/1Dl5VtPiW39Bq2oyx36vHr7zCgGRsTTJryAYU4tOLAFk/edit?usp=sharing


山本 哲哉
参考資料
松尾匡 新スウェーデンモデル
http://synodos.jp/economy/9541


マルクスの基本定理とその証明。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_fmt.html

 

数理マルクス経済学
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/数理マルクス経済学


龍円エキジ
『福祉国家の病理――スウェーデン病の解明』(毎日新聞社[毎日選書], 213頁, 1981年)
高橋是清『経済論』
https://www.amazon.co.jp/経済論中公クラシックス-高橋-是清/dp/4121601459

 

Social Capital and
Development Trends in Rural Areas
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4TDh5RkQ1cmJudnc/view?usp=sharing
 

トモサカ アキノリ
「今後の研究に向けたメモ」
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4bWRpVXpLcnExOVU/view?usp=sharing


以下を参考に
「山本和重「日本における国家社会主義労働運動」」
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4SkRGZ1FfQ0Z5azA/view?usp=sharing


 
3回目
産業組合の歴史から社会的連帯経済への可能性を模索する
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4TzIwUWo1VFZ0Yms/view?usp=sharing

 

競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へー大阪産業大学経済論集第18巻
https://docs.google.com/document/d/1TZQYQd76jzh7lRuicfp1Yc9xpEPWnkHjx1K7SclWgiY/edit?usp=sharing

 

こちらは、社会的連帯経済に関する論文等です。参考にしてもらえたら幸いです。

参考資料

フランスー社会的連帯経済法
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4MXNUX2R2Z18yRjg/view?usp=sharing


社会的経済の促進・世界の動向
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4U3l3dUZ5Mi1Jdk0/view?usp=sharing


地域通貨から補完通貨へ
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4VkFFNmlaSGdjaUk/view?usp=sharing


グローバル化とイスラームPVO
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4NzJmTHE3UE9xM0U/view?usp=sharing


協同組合と雇用:世界報告
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4djB4TFBLT2hGMzA/view?usp=sharing


協同組合理論の展開と今後の課題
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4cEtOcTB5b1UtdHM/view?usp=sharing


産業組合拡充運動と産青連
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4NUJpQTA5eHdxTmc/view?usp=sharing


豊福保次関係文書目録
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4UmRtNGJlU1dSOGM/view?usp=sharing


産業組合法の制定とその意義
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4UTl4SHRnbmd3M1k/view?usp=sharing


神戸大学経済経営研究所所蔵の読売新聞所蔵・産青連
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00847819&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1


戦前の東京における町内会
https://drive.google.com/file/d/0B4VfvYDRRzs4bTdYN0wza3pqdFE/view?usp=sharing


フレシキュリティと移動的労働市場のアプローチ
https://drive.google.com/file/d/0B7UTDr82WR58WGhiaXhvSWZTMjA/view?usp=sharing


フレクシキュレティ:デンマークにおける労働組合の見解
https://drive.google.com/file/d/0B7UTDr82WR58Q0JEczNkZFJFSnM/view


もう一つの国民の家(上)
https://drive.google.com/file/d/0B7UTDr82WR58VFZiYVpHNHpjOGM/view


もう一つの国民の家(中)
https://drive.google.com/file/d/0B7UTDr82WR58NUNaYWNqN0QyRzQ/view


もう一つの国民の家(下)
https://drive.google.com/file/d/0B7UTDr82WR58X2RYWC01YXBHMTg/view