書評 村岡到『ソ連邦の崩壊と社会主義』ロゴス社、2016年

斉藤日出治
 いまや、グローバリゼーションは断末魔の状態にある。社会主義崩壊後に急進展したグローバリゼーションは、金融市場、労働市場などの規制緩和を推進し、国境を越えた市場競争を激化させ、中産階級の崩壊、格差の拡大、雇用喪失と成長率の低迷、「反テロ」戦争と大量の難民を生み出し、ひとびとの不満と不安が、ついに国家主義とナショナリズムの強化を招来し、イギリスのEU離脱やトランプ大統領の出現をもたらした。だが、このようなグローバリゼーションの反動は、排外主義、マイノリティの排除やヘイトスピーチ、難民の排斥といった社会の分断化と敵対関係をさらに増幅するだけで、グローバリゼーションを乗り越える道を逆に閉ざしてしまう。
 この社会の破局から脱する道を社会主義の理念の再創造を通して提示しようとするのが本書である。ロシア革命から一〇〇年を迎えようとする画期にあって、この革命によって出現したソ連邦の社会がいかなる特質をもった社会であったのかをふりかえり、その社会がなぜ崩壊したのか、その原因を探り、二〇世紀社会主義の批判的再検討を通して、その対極に独自の社会主義像を提示しようとする。
二〇世紀社会主義を生み出したエネルギーも、そしてその二〇世紀社会主義を崩壊させたエネルギーも、ともに新自由主義的グローバリゼーションとは異質な社会形成の可能性をはらんだものであった。このことを新自由主義の破局の時代にあらためて想起することの重要性を著者は強く問いかける。
 本書は、まずソ連邦を、「国家社会主義」でも、「国家資本主義」でもなく、共産党という単一政党が管理する「党主指令社会」と定義する。ソ連邦では、共産党が管理する指令型計画経済を社会主義と同一視し、その体制が七〇年以上にわたって存続した、著者は、この体制を、その思想的根拠となったレーニン、さらにはマルクスにまでさかのぼって批判的に検討する。そしてそこにマルクス主義の根本的な弱点を見いだす。唯物論の社会認識、階級闘争の歴史観は、社会形成の原理としての法を軽視し、人権とりわけ生存権を欠落させ、分配よりも生産を重視し、自然環境・農業・生殖・多様性をないがしろにした、と。
 このマルクス主義の批判的考察を踏まえて、著者はマルクス主義の教義を刷新する社会主義の像を提示する。社会主義とは、国家所有、計画経済のシステムなのではなく、なによりも友愛という社会道徳を原理とする社会である、と。著者は社会主義を狭義の経済システムとして資本主義と対比するのではなく、社会の道徳的基盤にまで掘り下げて再定義する。私的利益、効用、有用性を価値規範とする社会から連帯と相互扶助と友愛にもとづく社会への転換こそが社会主義をもたらすのだ、と。
 それは人権の新自由主義的理念を打ち砕く。人権は私的所有、市場競争、私的利益という私的個人の排他的な権利から、生存、生命の尊厳にもとづく社会的個人の権利へと転換する。そしてこの権利概念を基盤にして、分配と生産の社会主義システムが提言し直される。分配は労働能力のあるひとびとの労働にもとづくのではなく、社会のすべての成員に生存権にもとづいて保証されなければならない。生産は単一政党による官僚主義的な指令によってではなく、労働者の協議にもとづかなければならない。
著者は、すべての社会成員に生活カードを配布する分配構想を提言する。著者は一九二〇-三〇年代におこなわれた社会主義経済計算論争にも言及して、社会主義システムの運営に必要な経済計算方法の必要性を説き、市場価格に代る協定価格の設定、分配の公正、情報の公開、経済における道徳的・倫理的要素の重視といった多面的な視点から市場経済に代る経済計算方法を模索する。生活カード制度は、このような模索から生み出されたひとつの具体的な構想であった。
 さらに、法の軽視が民衆の権利抑圧や恐るべき粛清を招いたソ連邦の社会主義に代って、法学社会主義、オットー・バウアーに代表されるオーストリー・マルクス主義が再評価される。今日の資本主義においても法の原理は貫かれているが、法はつねに市場や企業との関係において功利主義的な価値規範から機能主義的に解釈され制定されており、企業の私益とストレートに結びついている。著者は、このような法を生存権、社会的公正という市民的権利から再定位することによって、社会主義と法の関係を明示しようとする。
 本書に収録された諸論稿は、ソ連邦が崩壊した一九九一年に始まり、二〇数年に及ぶ。その間、社会主義革命を己の信条としてきた者として、著者は、ソ連邦の崩壊を自己自身の責任において真摯に受け止め、ソ連邦システムの内在的な批判と社会主義像の刷新に全力を傾注してきた。象牙の塔の寄食者のように専門研究にこもったり現実から逃避することなく、在野で孤独な探究をひたすら続けてきた。
 著者のこの探究は、新自由主義的グローバリゼーションによって破局的な危機に追いやられた現代社会の閉塞状況のなかでひときわ鮮烈な輝きを放っている。多様な社会運動とも共鳴し共反射する生命力をもった思考の歩みを本書のうちに読み取ることができる。(さいとう・ひではる、現代社会論、社会経済学専攻、大阪労働学校アソシエ講師)

『図書新聞』3285号、2017年1月1日号、掲載

書評『移民の政治経済学』(ジョージ・ボージャス 白水社)  ― 移民排斥は「ホワイト・プア」の地位向上をもたらすのか?

『移民の政治経済学』著者・ジョージ・ボージャスの研究はトランプ大統領の選挙演説にも引用されたという。移民の流入が低所得労働者の賃金を低下させているという統計的な根拠にもされたのであろう。本稿はこの書を国際主義的な立場から批判的に検討してみる。
 ジョージ・ボージャスは労働経済学者で、キューバ革命後、家族と共にアメリカに亡命した工場経営者の息子である。自身が移民というマイノリティでありながら、他方、革命の混沌に心理的外傷を受けたという屈折した立場の人である。研究者としての立ち位置としては、「特定の政治的立場に組みしない」としながら、「移民受け入れがアメリカの経済的利益をもたらす」という学会主流派のプロパガンンダには批判的で、他方、自身は移民や途上国の利益ではなく、アメリカの国益に立脚した主張をしている。

1、移民の国としてのアメリカ合衆国

 1607年以来、米国には9200万人以上が海外から移住したという。米国の国籍法は属地主義で移民の子供は米国で米国人の権利を取得できる。現在の米国の人口は3億人強、したがって、米国はネイティブを除けば、移民が定住して成立した国家と言える。
 初期の移民についていえば、1790年まで66%がイギリスから、20%がドイツからの移民であるという。1845年にアイルランドで「ポテト飢饉」が起き、20年でアイルランドの人口の20%、170万人がアメリカへ移住した。
その後の移民の流れとしてはふたつのピークがある。第1のピークは1900~1909年までで、年間80万人くらいが移住、イタリア・ポーランド・ロシアからの移民が多かった。これらの移民を発展する米国・製造業が吸収、1914年のフォードの従業員の75%が移民であった。帝国主義の形成から第1次世界大戦への向かう時期である。
第2のピークは1990年代から現在までで、年間100万人を超える人々が渡航し、アジアとラテンアメリカからの流入が増大している。グローバリゼーションと新自由主義の時代であり、1970年から2015年まで、輸出入が占める対GDP比率は11%から30%へと増大、外国生まれの人も5%→16%へと拡大している。要するに、現在の米国の移民の増加はグローバリゼーションと軌を一にしたものである。2011年、トップ大学から特許75%に外国生まれが関わり、ノーベル賞の3分の1程度が移民であるという。
米国における移民は、2014年で約4220万人、うち書類不保持移民1140万~1500万人でメキシコ人が60%を占める。外国人の上位10か国のうち、5か国がアジア、5か国がラテンアメリカである。移民たちの子供たちは「ニューアメリカン」とも呼ばれる。
要するに、移民の国・米国は、グローバリゼーションの中、今や、途上国を内に抱え込んだ国家になりつつあると言えるのではないか。

2、「いったい誰の肩をもつのか」 - 核心としての再分配

 ボージャスは、「国境間の異動の自由で数十兆ドルの所得拡大が見込める」というリバタリアン・新自由主義のシナリオを批判する。また、米国・労働経済学会の通説:「移民は長期的には平均収入に影響を与えない」:が、「投入労働と資本を2倍にすれば製造商品も2倍になるというモデル」を前提としている以上、結論が先にありきであると批判する。
 ボージャスによれば、移民と米国人の所得格差は1960年マイナス11%であったが、1990年にはマイナス28%に拡大、教育レベルも同等からマイナス2年へと変化してとする。
ボージャスはキューバ移民を受け入れたマイアミの研究として、全体としての労働市場は安定しているにせよ、サプライショックにより移民を受け入れた低賃金階層グループの賃金低下あったことを指摘する。また、ソ連崩壊後、優秀な数学者の流入で博士号を取った数学者の失業者が急増したことを指摘する。ここからボージャスは、簡潔に言うと「低技能労働者の移民受け入れは米国人低技能労働者の賃金低下につながり、その結果、移民を受け入れで、5000億ドルが競合する米国労働者から雇用企業に再分配される」と結論づける。
 要するに移民受け入れの良し悪しは、この移民雇用企業と競合労働者の「どちらの肩を持つのか」であるということになる。かくして、トランプ支持者の移民排斥運動につながる論理となったのである。

3、国際主義とマルクス主義の復権を!

 だが、「いったい誰の肩を持つのか」と問われれば、われわれは、「世界の民衆の肩」と回答しなければならない。食糧の3分の1が廃棄(フード・ロス)される世界で、10人に1人の人が、子供でいえば4人に1人が飢餓に苦しんでいる。これが帝国主義の世界支配と紛争がもたらしている現実だ。
 労働者は団結しなければならない。労働者階級の現状を変えるのは、支配者が正しい政策を取るからではなく、労働者の抵抗が支配者を動かすからである。純粋経済学的に考えれば、移民の増加は労働人口・消費人口の増加と変わらない。しかし、現実には国際的な経済格差が移民の賃金格差に反映するのである。資本は利益を増やすために従来の労働者を低賃金労働者に置き換えているのである。低賃金労働者を排除すれば賃金が防衛されるというのは幻想に過ぎない。労働者の団結が分断されれば、資本が労働者に対して有利になる。現在の先進国での中産階層の零落は、資本に対する労働者階級の抵抗力の喪失によって社会のルールがますます資本に一方的に有利なものに変容しているのが原因である。
 ボージャスは「低技能移民は国家に社会保障の負担をもたらす
とするが、資本家による労働者階級の搾取こそ、最大の問題だ。低所得層への社会保障は、強搾取による家族崩壊に対する国家の最低限の義務だ。資本家は低賃金労働者からは高賃金労働者から以上に利益を得ているのであり、社会保障はそのわずかな還元に過ぎない。
 外国人を排斥する運動では同じ国籍の労働者の団結も実現できないであろう。万国の労働者は団結せよ!

愛知連帯ユニオン 佐藤隆 2018年1月8日